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久美子社長のひとり言

2024年3月

桃の節句を迎えると春の到来を感じます。

3月は、季節の変わり目の月です。
そして春分を迎えての新年度を迎えていきます。

先日、自分の人生のライフビューをいたしました。
いろんな事がありました。
その自分自身の今までの人生を振り返りながら思いました。
「人生に失敗がないと人生に失敗する」と…。

当たり前に出来ることだけをやり、平穏無事を願う人生。

これは、どうなんでしょう?

失敗を恐れるあまり、新しい扉を一切開こうとせず…実はやってみたい事があるのにできずに人の目ばかりを気にして尻込みしている。。。

真剣に考えてみませんか?

たとえ失敗したとしても、実はそこから学ぶことは多く、その体験と経験があるからこそ、後に成功した時に得た喜びを味わう事が出来ます。
同じ苦悩に直面した人にアドバイスも出来ます。
人間力が育つのです。

人間の幅は間違いなく広がるのです。
いつも狭く小さい世界に留まり何もしなかった事を悔やんで手遅れにならないようにしましょう。

それこそが「人生に失敗」したことになってしまいます。

冬の風雪にさらされながら、野山の木々は新たな芽を出しはじめる季節です。
大自然に失敗はありません。

人間だけが思考で調整し、成功、失敗の概念を作っただけだと感じます。

トーマス・エジソンが語りました。「成功の反対は失敗でなく、挑戦しないことである」

また…「わたしは失敗は一度もしたことはない 白熱灯の発明で1万回繰り返しただけだ」

このような事を表現しながら、わたしの人生の中で大切にしている想いがあります。

「人にどう思われ見られるのではなく、自分にどうありたいか!」

3月。。。
花開く出発をいたしましょう!
トーマス・エジソンのように。 

m(__)m

2024年2月

先日久しぶりに実家に行き仏壇参りをしてきました。

亡き父に語り、亡き母に語り、一昨年他界した兄に語り、ご先祖様ご一同にご挨拶を致しました。

 

ふっと…その所作で昨年の今頃の事を想い出しました。

鮮明に想い出されました。

……昨年の今頃です。

朝方、誰かが私の肩を優しくたたきました。「えっ!この感触!」私の意識はライフビューするかのように過去に引き戻されました。そしてその手の感触は兄であることに氣づかされたのです。

 

実はその現象の前に兄の声なき声が聞こえたのです。 

夢に現れた兄のメッセージ。

 

「久美子、大丈夫だよ。色々あるけど、お前が自分を信頼していれば…」

 

その話の続きは控えます。

その事の意味が先日解けました。

 

当時は兄が何を言いたいのかさっぱり分からなかったのです。

 

今になって、わたしが兄からもらったメッセージから、「自ら答えを導き出す」、それが大切だと理解しました。

 

兄は答えを伝えなかった…

答えは自分で解かないとカンニングになってしまう!

そういえば、

生前わたしが兄に諭していた言葉でした。

「答えは自分で見つけなければカンニングでしょ!」と。。。

 

わたしはダウジングをされているダウザーさんに数年お世話になっております。

兄に紹介し、生前様々な示唆をいただきました。

 

その時の兄へのダウザーさんからのメッセージは、「あなたは、あなたを生きていない」

 

このメッセージは、兄にとって禅問答のように聞こえたようで、「久美子、なんでダウザーさんは答えを教えてくれないの?あなたを生きていないってどうゆう事?」

 

その時の私が兄に対して伝えたことが、「その事の意味を自分で見つけないとカンニングになってしまうでしよ!」

 

それと同じように、あちらの世界から兄が私にフィードバックで送ってくれたのです。

 

兄からのメッセージは本当に意味がわかりました。昨年の今頃から大きく変わろうとしていた仕事から人間関係。

 

あのメッセージを携えて、この一年歩んでこれた事を実感しています。

兄は「予知」を与えてくれて、私の作り出す「マインド」を制してくれたのでした。

答えは自分の中にある。

 

本当にそう想えるこの頃です。

これからも丁寧に生き、心くばりの所作を大切にしながら大切なメッセージを受け取れるよう、わたし(和多志)作りをして行きたい(生きたい)と思います。 

 

人生の創造が始まります。 

 

202424日立春

旧暦のお正月ですね。

 

本年も宜しくお願いいたします。 

m(__)m

2024年 1月

わたしたちの住む雪国。

元旦は足元がよく初詣や、新年のご挨拶に出歩く人、福袋を求めに出歩き…誰もが雪も降らなく良かったと迎えた2024年の1月1日。

まさか!

誰もが驚き恐ろしさを感じた地震。
この脅威は暫く続きましたね。

それぞれの地域で立場で大変でしたね。
お見舞い申し上げます。m(__)m

わたしは、日常の当たり前の生活が、素晴らしいと心から感じた元旦でした。
テレビを観れば目を覆いたくなったり、被害に合われた方々のお話に胸が潰されそうになったり、涙が溢れてきたり…と…様々な感情と向き合ったお正月でもありました。

マンションの6階にいた、わたしは腰が抜けそうになりました。
高いところにお住まいの方は大変な状態になったようです。
いつもは、マンションですれ違う方々に朝晩のご挨拶くらいでしたが、「そちらは大丈夫でしたか?」と声を掛け合うコミュニケーションが出来ることに喜びを感じたり、人と人の暖かさを感じたりしました。

また、お一人でいらっしゃる方々が声を掛け合って、共に過ごされたと知り、素敵な行動に感動いたしました。

わたしたちは、このような体験を通じてしか、当たり前の日常に感謝出来ないのかもしれません。

生活の全てを奪われた災害。

被災地に祈りを捧げながら、わたしたちの生き方を見直すきっかけになったと思います。

2024年変革の年
皆様と繋がりながら、支えあうことが出来る、分かちあうことが出来る人間関係を育んでまいりたいと思います。

分かちあい(愛)

支えあい(愛)

協力しあい(愛)

本年もどうぞ宜しくお願いします。

 m(__)m

2023年 12月

12月を迎えるとなんだか氣忙しくなります。
 「師走」
師走とは、普段落ち着いている僧侶も走ると言われています。
世の中の人々の集合意識でしょうか。。。

わたしも確かに様々な事があり、忙しくなっているのは確かですが、不思議なことに、以前のわたしの師走の感覚とは全く変わってしまったような氣がします。
それは不思議なくらい現在のわたしは忙しさに振り回されなくなってきた事です。
外側の忙しさは内側の忙しさと連動し、内側さえ整うと外側の忙しさに振り回されなくなってくる事を実感し始めました。


世の中が今迄と違って、大きく変わり始めています。
大変な事も沢山起きています。
地球規模でも、人類の生き方も、国々のあり方も、日本も、社会も、あるいは家庭や個人ですら。

しかし全ては個人から拡大した世の中。

このシンプルな事に氣づいたら、まずは個人、わたし達の生き方、考え方、見つめ方、この位置を知って、日々、あるいは、瞬間の自分を見つめる事に最大の答えがあるように思うのです。

生き方、あり方の変換を願われているからこそ、起こる様々な事。


わたし達は「自分を生きていない」と言われます。
特に日本人は、人のものさし! 世の中に合わせる生き方!

新しい家を建てるのに、古い家を壊さなければ新しい家は建ちません。

わたしは、自身の人生をこの師走に見つめています。
本年、わたしは様々な変化がありました。その時に、変化を怖がらず受け入れました。しっかりと流れに逆らわず受け入れました。

変わろうとする時、沢山の違和感が生まれます。しかしその違和感は新しいステージに立った証拠と受け入れたのです。

人生はコインの裏表、山を登れば必ず下らなければならない。
ならば、それに従って生きよう!
そう想えたのです。

豊かな師走そう想える氣持ちを大切に
12月も宜しくお願いいたします。 

m(__)m(^^)

 

2023年 11月

秋空が美しい朝を迎えました。学生時代は絵を描く事が大好きでした。特に秋の風景に魅了され、日に日に紅葉が進みグラデーションの美しさに絵を描く筆が止まることが度々でした。 

飾りのない自然は心から癒されます。
 

{美しい景色を探すな。景色の中に美しいものを見つけるんだ。 ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ}

 
ゴッホの言葉
この言葉から内なる眼を育てる。そんな想いを感じました。
 

自然に限らず、人や事象を含む全ての事に内なる目を使って見ることで、外側だけの美しさだけでなく、わたし達は、本質のその美点を見つけ出すことができます。ゴッホの言うように美しい景色という表面的な部分だけを見る人は、いつまでも探し求める事になってしまいます。目の前の対象の本質を知る努力する事で、それを良く知り氣づきも多くなります。どんなことにも、よい点を探し、見つけるようにしていきたい、そんな想いになります。景色だけでなく、家族、パートナー、友人。。。職場の中での同僚、上司、それらの人間関係の中にも見つけ出すことが出来るはずです。

 

美しさとは、その人が観じるキャパシティ。
何よりも、心の美しさなのかもしれません。
 

秋の紅葉を含め自然の偉大なる美しさに負けないよう、心の美しさを育てたいですね。
 

11月も宜しくお願いいたします。

 
m(__)m(^^)

 

2023年 10月

いつもウォーキングする場所に、サルスベリの木が生えています。美しい花を咲かせるサルスベリは、本年は1ヶ月も花の咲く時期がズレていました。季節は足早に過ぎていくように感じた時に、サルスベリの花を見つめて昨年の夏を想いだしていました。

夏…

兄の旅立ちは昨年の7月でした。

ドクターから、「お盆まで命は持ちません」と告知され…夢であってほしい。。。
心は静止した状態になりました。

 

兄の葬儀を迎えた時、わたしは激痩せをした状態でした。
何故?こんなに痩せてしまうのか?確かに胃が痛み、胃の弱いのは分かっていましたが、本当に激痩せ状態でした。

 

わたしは、12才の時に胃カメラでの胃の検査をしました。ドクターから「お嬢さんは病気ではありません、何か悩みでもあるのでしょうか!?」ドクターは、カーテン越しに母に伝えておりました。

 

わたしは悩みがあるの!?
当時は幼くて、その意味がわかりませんでした。

 

この事を思い出して、昨年の激痩せの時を振り返りました。
人間とは本当に精妙な存在だと感じます。
今だからこそ分かるのです。

「感情エネルギーが肉体に影響している」と。。。

不安・悲しみ・怒り・憎しみ。様々な感情を人間は抱きます。どうやら、このエネルギーは心に発生したその瞬間に細胞が受信して、細胞自体を変化させていくようです。

緊張状態になった時や怒りの感情が出た時は、「アドレナリン」や「ノルアドレナリン」という化学物質が、脳内から発生されます。これが血液、体液に影響し細胞を変化させ、肉体に現れてきます。

このように、心に抱いた感情を、そのまま細胞は受け止めて動き始めるようです。

 

一方、喜びや感謝などの感情を持つと、「セロトニン」、「メラトニン」などの脳内物質が放たれて細胞レベルで変化を発生させます。

 

どうやら、わたし達の意識の「あり方」をそのまま細胞は受け止めるようです。 

ネガティブな感情ほど細胞にとっては不調和となるので、毒素を生み始めるようです。

 

(エネルギー)・(氣)

昔から言われている「病は氣から」
このような内容から、感じようとしない感情や、観なかったことにしている感情、更には我慢。
これら全ては、感情の蓄積になるようです。

 

では、どうしたらよいのか。。。それは、今の感情を素直に認めること。観なかったことにしないで認めること。そうでないと感情の蓄積が始まり、肉体レベルに支障をきたすようになってしまうのです。

 

人間だけが持つ細やかな感情。つまり心の動き。これらを正直に見つめていくことこそ、大切なことと感じます。 

人間は感情を潰して生き、その我慢の先に、山が噴火したように、突然感情的な争いや様々な肉体レベルの疾患をまねいてしまうのですね。 

わたしは、このような内容を確認し改めて冒頭で表現した、わたしの激痩せ。12才のときの体験は、今の学びに繋がっています。

 

サルスベリの花のように1ヶ月遅く咲こうとも、今が1番よい時を観じて咲くように、今の今を観じて生活の中に現れてくる感情を素直にかんじつくしながら、心のクリーニングを怠ることなく、していこうと思います。

 

ハワイのヒューレン博士の有名な著書「ホ・オポノポノ」から学び、心のクリーニングを深めていきたいと想うこのごろ。。。です。 

 

10月も宜しくお願いいたします。

 

2023年9月

秋というのに、残暑どころか、
猛暑が続いております。
鈴虫の声で秋を感じるこのごろです。

 

昨年から育てていた【ニワトコ】が本年はジャクと豆の木のようにフサフサと大きくなりました。

が。。。しかし、この暑さのせいでしょうか、元氣を無くしここ数ヶ月後には落葉し始め少しの葉をつけながら葉の先端は枯れ始め、元氣になる姿を諦めかけておりました。

しかし数日後、やはり諦めきれずに、【ニワトコの木】を撫でたり、お話しをしていたら、細く今にもダメになりそうな木の先端から、なんと!
新芽を出し始めたのです。
思わず【元氣になってくれるのね!ありがとう!】
と。。。叫んでました(笑)
毎日、我が子を見るように楽しみながら…【元氣に育ってね】と声をかけています。
改めて、意識で繋がることに感動し、精妙な植物との会話を楽しんでいます。


【ニワトコの木】の素晴らしさを知ったのは昨年です。
名タウザーさんから素晴らしい木とお伝え頂き、その効用を体験しました。

葉っぱを痛みのあるところにサージカルテープで貼ると痛みが緩和されたり、痛みが取れたりで感動いたしました。
植物のエネルギーの素晴らしさは、最近オオバコでも。。。太陽で乾燥させ煎じて飲んだり、サロンで販売しております、【還元くん】という壺にいれて水素水を作ってみたら膀胱が楽になったり。。。
オオバコにも声をかけて【わたしの身体を癒やしてね】と伝えます。

たしにとって植物は可愛いペットのように感じます。
また、花瓶のお花と会話したり、お花が本当に長く持ち元氣に咲いてくれます。

この夏は、暑さの為に花が枯れやすいので、友人が紫陽花の枝を採って来てくれ、緑で涼を楽しんでいたのですが、この枝も葉はなかなか枯れず2ヶ月近くも元氣で、わたしを癒やし楽しませてくれています。

自宅で植物との交流を楽しむ時、わたしの内側からやってきた言葉を御紹介いたします。

 

『この世にあって、この世にあらず』

 

植物から教えてもらっています。この世の常識を超えた世界の導き!
万物には全て意識があり通じることを。。。
わたしは楽しんで
そこに導かれております。

 

  夏の終わりに感じたこと。。。

2023年8月

サンドバスがリニューアルされました。

体の中に溜まった食品から入る添加物、皮膚から入る経皮毒、それらの重金属を排出いたします。

日本は、世界最大の添加物国家です。
体内に蓄積された身体をほっておくと様々な歪みを生じる体になってしまいます。
身体の不具合、メンタルの不調和などを起こします。
そこで
心が軽くなるようにサンドバスに仕掛けをいたしました。

ストレスな人類、社会、個人。
そんな時だからこそ是非ともサンドバスを活用して頂きたいと思います。

最近メディアから流れてくる犯罪は本当に耳を傾けたくない内容ばかりです。
今世にかぎったことではないのでしょうが。。。

 

先日、ある本を読んでいたらエドガーケーシーの言葉に目が止まりました。 

「もし愛を得たいと思うのであれば、自分を愛されるものにしなければならない。友を得たいと思うなら、自分を友情ある人間にしなくてはいけない。平和と調和を持ちたいなら、自己を忘れ、他との間にそれを作るようにせよ」 

 〜20世紀最大の軌跡の人〜
   エドガー・ケイシー 

わたしは、この文脈から得た意識は、世界、人類、社会、個人全ては、愛の喪失から表現された歪み多い現世と感じてなりませんでした。 

自我と真我の乖離から起こる現代。自己主義、経済至上主義、怒りや悲しみ、寂しさ、不安、嫉妬、恐怖、喜び、愛しさ、全ては誰もが持つ感情。これについては、みえない、形がないのです。 

ただ感情は選べます。
選ぶことによって形ある現象も変わります。 

選ぶことにより、対立、分離分断も避けられます。 

人間は、ただ本当の本質の自分に戻ればよい。
本当の自分とは、調和した心。氣もちよい自分、ただその選択なのでしょう。。。 

自分を変える、それは本質の自分に戻るだけ。 

わたしは、サンドバスに入る時には、常に手を合わせて祈ります。 

そんな自分になれたことが本当に嬉しいのです。 

世の中の平和は、ひとり、ひとりが作り上げる、そんな想いを携えてサンドバスを中心としながら、ゆりの森を営んでおります。

 

暑い夏を乗り越える。

ある、お客様がおっしゃってました。 

【夏こそサンドバス!】

 
お待ちしております。

2023年7月

雨上がりの朝、立ち上がった記憶。 

それは、紫陽花の美しい季節。自宅の窓から雨にしっとり濡れていく草木をみていた少女の姿‥‥それは、わたし自身と氣づくのにそれほどの時間がかからなかった。

時間の経過と共に鮮明な記憶が立ち上がります。
 

「雨降りはいいな。。。家族みんなが家にいる!」
 

幼いながらに、家族団欒を感じていたのでしょう。
食卓を囲む時は、父が箸を持つまでは、わたし達の出番は後回し(笑)
兄も弟も、わたしも、母の躾の元にお行儀よく‥まるで犬の「まて!」の掛け声で、ご飯を食べるようなもの‥‥。
 

そんな時も、どんな風景も窮屈にはならなかった。
 

父を立てる母の姿は自然であり、そこの家の中心になる主を知って飼われる忠犬のようなわたし達、兄弟の姿は微笑ましく穏やかな家族の姿がそこにある。。。記憶の彼方からやってきた、家族との当時の思い出。

わたしの中にある家族の姿。

晴れの日は、仕事に打ち込む父と母、兄も弟も、解き放された犬のようにどこに遊びにいったかわからない程、家にいない(笑)

わたしも野山に出掛けて草花と遊び、犬と戯れて。

家族が、雨降りになると全員に家にいる。。。そんな日曜日は「なんだか、雨降りは幸せ‥。」そう感じておりました。

子供の感情は素直です。
家族が皆家にいる、ただそれだけで嬉しくて、雨降りの休日は特に喜びを感じていたのです。

わたしを育んでくれた家族、父も亡くなり、母も亡くなり、兄も亡くなり‥‥。

「生まれる事は死を迎えること。受け入れる生死」
そのことを‥
家族を見送り感慨深く見つめております。

 

家族は最小単位の社会の現れ、そこで育んだ延長に今の、わたしがいます。
個人から家族、氏族、民族、国家、世界、人類‥‥へと‥‥。

出逢った人々は家族のように歩めたらと‥‥と想わされるのです。

そんな想いを抱き、継ぐみたい‥‥わたしの中にある家族の広がり、そう想える思い出の家族に感謝。わたしを育ててくれてありがとう‥‥。

2023年6月

早いもので本年も6月を迎えております。
皆様いかがお過ごしですか。

サロンゆりの森も18周年を迎えて、更にわたくしが18年綴ってまいりました【久美子社長のひとり言】をまとめた本を出版する運びとなりました。5月28日は、【サロンゆりの森18周年記念・恩田久美子出版記念祝賀会】を開催いたしました。

サロンゆりの森も大きな変わり目を迎え、新たなスタッフを迎えてのスタートです。

祝賀会では、遠方からも駆け付けてくださり、静岡、埼玉、東京、福岡、福島、栃木、石川、新潟、長岡、上越地域とご多用の中でご参加くださり、本当に心から感謝しております。
何をするにも人間関係の繋がりを感慨深く感じた祝賀会になりました。

お祝いで頂いた美しい花を見つめながら感じます。花を支える枝、枝を支える根、そして調和を整える緑の葉。
葉を見つめていると重なり合うことなく存在しています。この植物の有り様は、木々の枝を見つめても感じるのです。自然の摂理の素晴らしさを感じます。植物、木々は太陽の光を争いも競い合いもないのだと・・・・。
そして其々の花は生かし合っている。。。楚々と咲くカスミ草が薔薇を生かし、薔薇はカスミ草の存在でさらに美しく映える。主張することも卑下することもなく存在しています。

自然は調和を人間に教えてくれている・・そんな事を思いながら、お祝いのお花を見つめておりました。
今回の祝賀会も、皆様に助けて頂いて陰で支え合って祝賀会が終えたのだと感じました。
喜びで満ちたエネルギーは、私達を次の次元へと導いてくれます。不平や不満は次元を下げていきます。

人間だけが、感情のふり幅が最も大きく動きます。だからこそ、そこを見つめて、感情の選択が必要なのだと感じます。

つまり、わたしの心の有り様で自分の人生を決めていく。私は、今回のサロンの大きな変わり目で思います。

自分の内側に光を当て、自分を見つめる事が最も大切と語ってくれるスタッフと、新たな喜びを感じながら歩める今に感謝が沸き上がります・・

今まで、ありがとうございます。
これから訪れる今にありがとうございます。

祝賀会は、【新生ゆりの森】の出発となりました。

皆様のご支援に感謝しながら、これからもどうぞ宜しくお願い申し上げます。

2023年5月 

爽やかな5月を迎えました。
新緑も美しく
一年を通じて過ごしやすい月でもありますね。

この季節、わたしは、小学校の頃を思い出します。

様々な花々が咲き誇るこの季節は、女の子たちは自宅の庭から花を摘み、教室に花を飾っていました。
わたしは、その光景が羨ましくてしかたありませんでした。

何故なら、自宅には、庭という庭はなく、玄関の道づたいに百日草が少しあるだけでした。

ですから、小学校の教室にお花を飾りたくても、持っていけるお花がないのです。
女の子の数人が自宅から持ってきれいに教室に飾るお花を、
本当に羨ましく思ってみていたのです。

なにに対して羨ましく思ったのかと言ったら、
お友達の庭に花がたくさん植えてあることではなく、
学校に持っていけない寂しさだったのです。

今から思えば純粋な思いを抱いていたのだと、
過去を振り返りながら、感心する想いになりました。

幼いころはとくに損得勘定が有りません。

与えることに喜びを感じている幼子。
しかし大人になり、知らぬ間に利害と損得勘定の中でのエネルギーに育てられてしまう。

ふと、我が身を見つめれば、常にその意識にとらわれてしまっているのです。
お花を見ると、時として思い出す記憶です。

何氣無い想い出かもしれません。しかし・・わたしには大切な想い出なんです。

母に聞いた事がありました。
「何で、わたしの家にお花がないの?」

「ごめんね。。。庭がないものね。
でも周りには野花がたくさんあるから、摘んでみて花瓶に入れて
しっかり咲いていれば、それをもっていけば?・・・
でもね、野花は摘むと直ぐに枯れてしまうのもあるからね。
野花はそこで綺麗に咲くんだよ。切り花と役目がちがうのかもね。。。(笑)
きっと花もみんなどこで咲く役割を知っているのかもね・・・」

子供ながらに納得したのを覚えています。

亡きお母さん、あなたのさりげない・・言葉を覚えています。
お花から学びました。今年も、あなたの好きなお花が咲き誇り始めています。

ありがとう。

m(__)m(・❛_❛・)

2023年4月

サロンを立ち上げてから18年目に入ります。

「今迄、出逢ってくださった方々に心から感謝申し上げ、これから出逢う方々にどうぞ宜しくお願い申し上げます」

桜が散り、桜の木から若葉が芽を出し始め、朝のウォーキングで立ち上がった想い。桜の木の下で祈りました。

年月を重ねて様々な体験から痛みや喜び、辛さや楽しみを味わってまいりました。


☘どんな言葉を語るか。

☘どんな振る舞いをするか。

☘失敗を笑って許せるか。

☘どれだけ人に優しくできるか。

☘幸せになるとは、そういうことの積み重ね。


これはオードリーヘップバーンの言葉です。

本当にシンプルに、当たり前のことが胸に響きます。

生きることを難しくしてしまった人類。わたし達。

これからは、消去法で歩みたい。

まさしく、地球は、アースと言うだけあって。。。
抜くことの大切さ。

マイナスの美しさ。

 

積み上げて求めて、ゴミだめを作った人類。

わたし達の内側も難しくしてしまう。

そんな生き方から手離れしたい☘

そう思った時に現れた、わたしを励ますメッセージでした。

対立や、分裂ではなく。

調和、統合を。。。志し

歩んでまいりたいと思います。

今まで歩んだサロンゆり森17年に感謝を込めて。

これからのサロンゆりの森18年目に真心を込めて。

どうぞ宜しくお願い致します。

2023年3月

↓ ↓ ↓ ↓3月を迎えて、心弾ませながらウォーキングを致しました。2ヶ月半ぶりに、固まった心身が雪解けのように溶けていくのを感じました。

 

昨年の3月は、35年のお付き合いの友人とお別れをし、又5年前は母とのお別れを致しました。3月は、お別れを感じる月の始まりでした。

世の中でも新たな出発の準備であり、出逢いと別れが交差する月だと改めて感じます。

ウォーキングをしながら別れた友人と母を思いだし、帰宅してある一冊の本のくだりに出逢いました‥‥

ご紹介致します。

↓ ↓ ↓ ↓

「死期を待つ身寄りのない人を介護するマザー・テレサは、常に優しい微笑みを絶やさずにいたといいます。お迎えを待つ人に深刻そうな顔で接したら、余計な不安を招き、痛みを助長させるようなもの。不安を優しく笑顔で包み込むというその姿勢は、決して簡単に出来るものではありませんが最後を予感している人にとって、これほど大きな支えとなるものはなかったでしょう。あなたの微笑みは、その美しさや愛らしさを引き出すのではなく、安心安全な平和というエネルギーを相手に送ることでもあるのです」

【平和は、微笑みから始まります。‥‥‥マザー・テレサ‥‥‥

 

 

わたしは、この綴られた文章にマインドが流れてきました。

 

わたしは、はたして友人と母に充分添えられたのだろうか?‥‥

必ず意識に現れてくるマインド。後悔という言葉や、もっとこうしたらと言う思考の圧力。それらを感じながら。。。

 

その次に綴られたマザー・テレサのメッセージがありました。

 ↓ ↓ ↓ ↓

【今、この瞬間幸せでいましょう。それで十分です。わたし達の求めているものすべてであって、他に何もいらないのです】

 

なんて素晴らしいメッセージでしょう。

わたし達は、思考という名のマインドに人生を奪われてしまいがち。

後悔とか反省ではない、今、この場に悔い改めがあったらそれで十分。

新たに今を感じて、この瞬間に生きる。

マザーは、数々の難題と向き合ったからこそ、「今を生きる」その視点に立つことができたのだと改めて感じたのです。

そして、貧困や病気にあえぐ弱者の救済活動に生涯を捧げたマザー・テレサは、「今、この瞬間」の重み大切さを感じていたのでしょう。

 

あたたかな3月を迎えてまいりましょう。

2023年2月

立春を迎えて新たな出発を感じます。

風、空気、天候、自らの意識。見えない全てに意識を合わせてみてください。

わたし達の住む地球は変化の時を迎えています。

この数年の目覚ましい世の中の変わりかた、そしてその中に生きる、わたし達は沢山の氣づきと、歪みを感じているはずです。

 

十字架で息を引き取る直前にイエス・キリストが言った言葉・・・「我は乾く」と。

わたしはイエスの、この言葉から「魂の声に耳を傾けなければならない」

そう思ったのは、20代の若き日の苦しい人生の一コマから紡ぎ出しあぶり出された内なる想いでした何故なら、わたしの内側が乾いていたからです。(イエスの磔刑から感じとったので)きっとわたしの過去生、前世は深くイエスとの関わりがあったのだと感じます。この深い氣づきの体験は、わたしの人生を大きく変えていきました。氣づきから、行動、実践に繋がっていったのです。

 

そして、最近の氣づきは「魂との契約はゲームのようであり、パズルにはめ込むピースのようである」と実感するようになりました。

そしてそれらの氣づきは、わたしの人生の原点だったように思うのです。

常に、わたしの心を支配し(悪い意味ではなく)、その原点から【今】を迎えているような氣がします。

 

さて、皆さんはどうでしょう・・・

今何を感じて生きていますか?

わたしは想います。もし生きている間に自分の人生が価値多きものであったと納得せずに死ぬとすれば、これほど悲しいことはないと感じます。

わたしが5回のインドの旅で導かれた想いは(シャンティ)でした。

そこで観じたのです。

【イエスが最大に力点を置いたのは平安】

 

イエスの言葉・・・「わたしの平安をあなたに送る」

人の魂は平安を求めている。幸福の絶頂でもなく、舞い上がるような喜びでもない

幸福は物質的条件が必要である。しかし

平安は人の助けを借りない。自ら作り出すことが出来る。

幸福という言葉は舞い上がらせる。平安という言葉は、わたし達を落ち着かせる。

【幸福】と【平安】

 

皆さんは、どう感じますか?

当時のイエスは、どれだけ深い想いの世界で、行動し実践し、祈ったことでしょう。

祈りは聞き届けられると、わたしは確信しています。

人しれず祈り愛の実践をしつづけたイエス・キリスト。

わたし達は、机上の学びをするのではないのです。

本当に本年から行動、実践、氣づきなのです。

あなたが、あなたを平安にしてくれるのです。

魂は幸福というより安らぎを求めているのです。

 

そう! それが、あ・な・た

 

2023年は、天地開闢

先人達の礎の上に歩むわたし達は、そのことの意味を深く観じてそして、歩むのです。

妄想の人生ではなく、真に魂との契約を知り、魂とひとつになる人生。

 

一人ひとりが、自らの内なる平安に出逢うように共に歩みを進めて参りましょう。

本年も宜しくお願い致します。

 

                             恩田久美子

 

2023年1月

迎春
本年も皆様の心身の健康をサポートして参ります。
どうぞ宜しくお願いいたします。

本格的に移り変わろうとしている時代に、様々な意識の次元を感じるこの頃です。
新年早々に救急車の音が鳴り響き、年末は、通常ではほぼ降らない九州、四国などの温かい地域に雪が降り続きました。(地球の地軸の狂い?!)

読売新聞に昨年掲載された、ゲノム編集食品。
「遺伝子を効率よく改変して品種改良を図るゲノム編集技術を用いた食品が市場に出回る。消費者庁は、ゲノム編集食品の表示義務化を見送る方針を示しているが、消費者の不安の声を受け、自主的に表示することを検討している業者もある」このような内容が掲載され、さらには「厚生省は、ゲノム編集食品の販売を認める方針…。」と、記載されている。

わたしは昨年、年末の掃除をしていて、この新聞の切抜きを改めて読み返しました。

食は、わたし達の体を支えて精神性を整えていくと観じていますが、世の中に出回る不自然な野菜や多々の食品・・・敏感かつ繊細なわたしの意識と体は、このような食品を口に入れると反応するのです。

わたし達の味覚は5歳で決まります。
歪んだ添加物だらけ、更には遺伝子組換えの食品を口に入れていたら、味覚は麻痺をおこし、歪んだ食品に何の疑問を持たずに食べ続けるのです。
食品に良し悪しの見方はしたくないとは言えども、体はよく知っていて、嘘はつけません。
脳は、「あなたはそれで良いのですね」・・・と慢性的な状態になり続ける」←氣づかない限り。

食品ひとつとっても自然から作り出されたものではなく、人工的に作られていくのです。何か不自然!?
人類はどこに向かうのでしょう…

わたしは思います。 食のグレートリセット!?

これからの新たな時代に、わたし達は、【他人軸】でなく、【自分軸】を大切に育てていく時代なのだと思います。
「周りがそうだから、メディアで表現しているから…ではなく、あなたはどうなんですか?」
しっかりとした意思が大切な時代になりました。

新年あけて思う…想いです。 m(__)m

2022年 12月

人類は色々な環境と、様々な生活圏で営まれている・・・そんな想いでテレビをつけるとインドのスラム街に住む子供達の教育が放映されていました。

 

子供を学校に行かせない親が多く、インタビューすると

「わたし達は、学校に行ったことがないから学校がわからない。だから子供を学校に行かせない。」「そんな環境の子供は学校がわからないから怖いと言っている。」

また、兄弟三人の子供達の学校への登下校姿が映し出されていました。

真ん中の僕は足が悪く、お兄ちゃんと弟が手作りの椅子に車を取り付け前と後ろで引っ張ったり押したりしながら、ボロボロの車椅子で2時間かけて学校に行く。更にアフリカのある地域に住む子供達も猛獣に襲われないよう2時間もかけて学校にいく。

チベットの奥地に住む子供は危ない谷や山を越えて1時間半の通学をする。

平均このような子供達の通学は、往復4時間。

鉛筆もノートも買えないそんな子供達それぞれに将来の夢を聞くと、一番多い夢は、医者になることと答える。

何故と問うと・・・「僕の、わたしの周りに病気の人が沢山いるから」と答えます。

 

日本人の生活圏では考えられない姿に驚きと感動を覚えます。何故ならテレビでみた子供達は小学生位の子供、そして全員が笑顔で答えているのです。

 

このような姿はほんの一部と分かっていますが、わたしは、貧困の中で希望を持って答える子供達の姿が脳裏から離れませんでした。

 

様々な環境に生まれてくるのはどうしてなのかしら? 長い年月思い巡らし考えていた時期がありました。

それは、どうやら、私達の魂が選ぶようです。

顕在意識では、その生まれる前の記憶は忘れてしまっていますが、潜在意識の奥の方では分かっているようです。 

それにしても苛酷な挑戦です。

地球を選び、国を選び、地域を選び、親を選ぶ・・・全ては自らの意思決定の中で生まれてくる。そのような内容は既に多くの人達が知り始めています。

このように見つめていくと、全ては魂の挑戦。

自分の人生のドラマを選択し、どう生きるかは、その人の選択なのだと腑に落ちていきます。

 

様々な環境で思い描く人生は本当に尊いと感じます。

 

わたしは、このような子供達から学びます。

苦境は公的な意識に導いてくれると・・・

 

先日は目の不自由な子供達が想いを発しているテレビをみました。

苦難や難関を越えて目覚めていく意識に感動いたしました。

この子供達もまた、自らの体験から世の中への貢献を発言しておりました。

 

環境や置かれている立場に振り回されない、純粋意識の子供達から学び取る尊い出逢いでした。

2022年 11月

晩秋を迎え小春日和の一日を味わっております。

そして毎日のウォーキングが楽しみのひとつなりました。

自然を鑑賞しながらのウォーキングは感慨深く

美しかった木々の緑も鮮やかな落葉を迎えています。

 

入院中の兄に送った数々のLINに、兄を偲んだ想いが蘇ります。

春先の山桜、ふきのとう、足元に咲く小さな小花、5月の新緑、7月の夏本番数々の写真に、コメントを入れて、闘病の兄に発信していました。

返信はたまにしか来ませんでした。

一方的になるかしら?と思う思考もやってきましたが、とにかく兄を励ましたかったのです。

今も兄のラインを消せずにいます。

この晩秋に立ち上がる兄への想いは募ります。

けれど、わたしはその感情に蓋をすることなく素直に感じていたら

その日に驚きのメッセージを友人からもらいました。

 

それは高校時代の友人から伝えられた 一言でした。

「恩田ちゃんのお兄さんが挨拶にきたよ!」

「え!?・・・どうゆうこと?」と驚くわたし。

「実は、お兄さんが亡くなられる3日前に不思議な事があったの」と、彼女は語り始めました。

 

「掃除をしていたら、入口のガラスごしに誰かが来たと感じて振り返ってみるけど誰もいない。氣のせい?と思っていたら、また誰かがきた気配を感じてガラスごしに誰かいるとわかった。

その瞬間、【ありがとうね】という声が聞こえ、その声、その気配の人は、恩田ちゃんのお兄さんだと感じてのちにラインをみたら、お兄さんが危篤状態ということを知りご挨拶にきてくださったと感じた。」

 

彼女が大変敏感体質であることは知っていました。

以前も共通の知人のお別れが近づいていた時、彼女は幾度かこのような体験しています。

わたしは、この話をすぐに受け入れることができました。

何故ならまさしく兄が旅立つ三日前の危篤状態と合致していたからです。

 

人は旅立つ三日前くらいに、魂がお世話になった人々のところにご挨拶にいくといわれます。

 

実は、その頃、彼女を含め50人の友人が兄の為に毎日毎日夜の10時に時間と意識を合わせて祈ってくださっていたのです。

 

彼女はこう語りました。

「お兄さんがその事のお礼に皆のところにご挨拶にいっていたんだね」

 

その話を聞きながら兄ならそうすると感じました。

 

わたしたちは、言葉では「魂」を語ったり使ったりしますが、本当に魂の存在を認識しているか?いないか?

 

生前、兄との会話は、「魂とは? 魂の存在とは?」

「人間は、肉体は無くなっても、魂は永遠」と、兄によく語っていました。

兄は、わたしの近い友人に実証してみせてくれたのだと感じました。

 

生まれて、そして必ず閉じる命。しかし魂は永遠。

 

人間として生まれて様々な体験をしながら、魂が進化と成長をなしていく・・・

様々な人間模様の中で学びながら。

魂は、成功を望んでいるのではなく体験したいのだと感じるのです。

人生は成功を目標にするのではないと想うのです。

何をもって成功? それは競争原理を生むだけ・・・

成功という概念を作ったのも人間。

兄の旅立ちから早4ヶ月がたち、この友人の体験を通じて感じる想いです。

 

兄ちゃん

  ありがとう。                     合掌

2022年 10月

岩肌に根をはり一輪の秋桜が咲いている。風に揺られ繊細な葉をたなびかせながら……

わたしの人生に秋桜の花の精がいつも傍らに存在していてくれたように思います。

 

人生とは何なのか?使命とはなんなのか?

そのような意味を探し求めて答えなど見つからない諦めの境地に入ると必ず、秋桜に出逢うのです。

そう、それは秋の風景に美しすぎるほどマッチする秋桜の花。

やっとその問いかけに答えを感じ始めていた頃に、夏にお別れした兄を想いながら秋桜を感じていました。

そんな時に、友人から秋桜を頂きました。

ピンクの秋桜、白の秋桜、紅色の秋桜と優しくたおやかに漂う秋桜に魅了され、頂いた秋桜を玄関ポーチに飾りながら毎日毎日少しづつ枯れていく秋桜をアレンジしながら飾り秋桜の命を惜しみながら、「いつも癒やしてくれてありがとう、あなたが存在してくれてありがとう」そんな会話をしていました。 命を閉じていく秋桜と、まだ一生懸命咲いてくれている秋桜に心で会話しながら、こんな事を想っていました。

「秋桜さん、わたしの人生にいつ終わりがくるかわかりません。もし、いま人生が終わると考えたとき、自分に対して「よく人生を使い切ったね。」と言える自分になりたいの・・・ですが?」

そんな問いかけに・・・「あなたはもう答えを知っています」

「えっ!」・・・そうなんです。内側にすでにやってきた答え!

【よく自分の人生を使い切ったね】

それが【使命】

 

【命を使う】=【使命】

使命とは、何をしたかなどというものではない。

実現したことの大きさで価値を計るようなものではない。

「命を使う」今をどのように生きるか、ただそれだけ。

限られた命を、限られた時間の中でどのように使ったか。

 

秋桜の精が、わたしの内側にたおやかに、優しく、美しく語りかけてくれました。それは、わたし自身からの出逢いでした。

 

コスモスは宇宙を現します。

宇宙は「問と答え」は一対。

わたしの宇宙との出逢い。

兄との、お別れから寂しさを感じていた、この秋に感じた想い。

亡き兄に秋桜に「氣づきをありがとう」           合掌

2022年 9月

(^o^)「久美子さーん!」

 

「はーい、いらっしゃい」と思わずハグ。

 

いつも、「久美子さーん」と大声でサロンに訪れる可愛いぼくちゃん!

5才の男の子の名前は澄(ジョー)君。ヤンチャなさかり!

くったくのない笑顔に、みんなが笑顔になります。

 

ゆりの森のメニューが大好きで、特にモロヘイヤラーメンを好んで食べます。

そんなジョー君は、自宅で食事の時に「ねぇ、この食べ物は添加物入っていない?!」と聞くそうです。・・・おもわず感動!

 

こんな小さなジョー君が、そんな言葉を発するなんて・・・と思ってしまいます。

大人でさえ添加物混入を当たり前のように、氣にすることもなく食べている人がいるのに。きっと家庭での会話をしっかり聞いているのでしょう。

 

そしてこんな事も言うようです。「ゆりの森は、身体によいものしか置いてないね」(笑)

このコメントに感動致します。 将来が楽しみなジョー君!

 

味覚は5才で決まるそうです。

日本は戦後、添加物国家になってしまいました。アメリカ133種類、イギリス21種類、そして日本は1500種類! 本当に日本はどうなっているのでしょう・・・

世界で1番の添加物混入国家になりました。

安部司さんの著者「添加物の裏側」を読んで頂きたいと思います。

驚愕の事実が記されております。

 

様々な病気の発動源! 日本は2人に1人の癌国家とも言われています。

ありとあらゆる疾病に絡んでしまっている事を認識しなければなりません。

他国では、発がん性のある添加物は使用禁止にも関わらず、日本は許可をしている?

何故でしょう・・・!?

大切な身体、何かあってからでは遅すぎます。

 

サロンでは、安心安全な食品を選択してご提供できるよう、日々努めております。

定期的に、体に溜まった歪んだ物質をサンドバスやゴッドクリーナーで排出しましょう。

カワイイ5歳児のジョー君を見習って!!

大人も賢くなりましょう。

m(__)m(◍••◍)

 

2022年 8月

「ひぐらしが鳴いたら帰ろうね」

野山を駆け巡るヤンチャな子供にとっては、ひぐらしが帰宅のバロメーター。その子供は兄、弟、わたし。

早朝の涼やかな風に吹かれながらカブトムシを捕まえ、それが終わったら川遊び、それから田んぼのあぜ道を歩きながらトンボを捕まえ、クタクタになって帰ります。

小さな兄の手が、更に小さい紅葉のようなわたしの手を取って「久美子帰るよ」……

誰に邪魔されることのない夏休みは、わたし達にとっての楽園でした。

晩夏になればなるほど、ひぐらしの(カナカナ〜カナ〜)鳴き声は郷愁を呼びました。

幼い頃の記憶を携えて大人になった今……兄との別れを偲びます。

 

兄の体の痛みと辛さを感じながら、特に、ここ4ヶ月は兄へと意識が流れました。そして、一生懸命、様々な内容に取り組みました

 

兄を、わたしのマンションで看護したその日。

わたしのリクライニングチェアに横になりながら、細くなった体をチェアーに身を任せたら、小さな声で、「迷惑かけてごめんね」

「何を言っているの、人は生まれたら人に迷惑をかけて育つのよ。迷惑をかけない人はいないよ。人間は迷惑かけ合いながら愛を育てるんだね、そう思わない? 幼子から年を重ねてね!そうでしょ。兄ちゃんわたしは嬉しいよ

「そうかありがとう

わたしは、涙目の兄の手を取りました。

そして、妹として生まれたことをありがたく感じました。

 

この人生に偶然というものはなく、全てのものにわたし達の理解を超えた、より大きな目的がある・・・そのように感じさせてくれた兄との出逢い。

潜在意識の深いところで結ばれた絆・・・

 

大人になった今、幼い頃を思い出させてくれる、暑い夏、小さなわたしを支えて手をひいてくれた、兄の手の優しい温もりを覚えています。

 

そして、旅立つ準備の兄の手は優しく兄と妹の契りを結び、それが兄との最期、温かなぬくもりでした。

 

もう兄の手を握ることはありません。

「今迄支えてくれてありがとう。これからは、魂になった兄ちゃんを感じながらしっかり生きていきます」そう宣言を致しました。

 

ひぐらしの鳴き声を聴きながら、幼い頃の優しい想い出へのタイムスリップは、今に息づいています

 

大切な御縁でした。

 

恩田晴夫兄さん

生まれてきてくれてありがとう。

わたしと出逢ってくれてありがとう。

 

    合掌

 

2022年7月

七月…七夕の季節
幼いころは、この時期になると夜空を見上げる事が多く、そのことに氣がついたのは七月に入ってまもなくでした。
夜空に輝く星をみつめて祈ります。美しい星の瞬きに心を奪われて・・・

先日、ベランダに出て美しい三日月と星の瞬きを見つめていたら、心身に対して力んでいる自分を感じました。
そんな自分を感じつつ、その自分を味わいながら佇んでいたら、どの位の時間がすぎたのか?・・・暫くしたら心地良い風が、顔を撫でて…その瞬間、わたしの意識は、幼い子供に返っていきました・・・

場面は夜! 三人で、肝試しのように歩く夜道。
草を入れたガラスの瓶を手に歩くわたし・・・前を歩く二人は兄と弟。
懐中電灯もなしに、そ〜っと歩いています。
その光景は、ホタルを捕まえに行く三人の姿でした。

懐かしさと囚われのない三人の微笑ましい光景に、ひとしずくの涙を流すわたし。

三人はホタルを捕まえて暫く瓶に入れて眺めますが又、直ぐにホタルを解き放ちます。
田んぼの上を飛んでいく蛍に魅了され、それを結局見たくてまた解き放つのです。
あるとき、瓶に入れていた蛍が翌日死んでいたことに悲しみを覚えた、三人は幼いながらに感じたのでしょう。
捕まえて鑑賞して…それでいい…(カワイイ体験です)

幼子は悟っていると言われます。
体験から学び、思考で分析もせず次に繋ぐ行動は、純粋だからなのですね。

わたし達大人は全員子供でした。
先日、姪の子供を見つめながら観じるのです。

ある本に綴られていました。「幼子のような気持ちを持たなければ天国の門はくぐれない」又、生命を安らかに守る方法として、中国のある偉人は「純粋な赤子のようになりなさい。赤子は一日中泣いていても喉がしわがれない。これは最高の調和を得ているからだ。一日中、手を握っていても指が曲がることがない、これはその生まれつき持前をそのままに守っているからだ。また一日中見つめていても瞬きもしない。これはただ外に気をちらさないからである」と説いています。
DNAに組み込まれた大調和の意識は、このように人間が思考で操作しなくても自然体の中で、宇宙意識で、わたし達は育てられているはずですね。

そして
わたし達は、内側の純粋意識に繋がれば思考に惑わされず、「今を生きる」そんな幼子になれるのですね。
だれもが辿った純粋意識。 それは、わたし達の中にある!
早く氣づいて!…と手ぐすねをひいて本当の「わたし」に出逢う事を待っている。
そんな氣がしてならない七月。

ベランダで、力んでいたわたしに氣づいたら、本質のわたしが、わたしを呼び戻してくれました。
「あなたらしく」と・・・ 素敵な体験でした。

祈りの七月、七夕。
祈りの月、祈りとは願望ではありません。 祈りとは、貴方の意識を乗せる。

    意…乗…り
    意…宣…り

     豊かな真心の祈りを捧げます。
     (真心は学ぶものではないのですね。あなたの中にあるのです。)

          七月も皆様と共に……

                                 〜意宣り〜

2022年6月

紫陽花の美しい季節がやってまいりました。

雨上がりに映し出される紫陽花は空に描かれる虹の色を全て彩っていますね。

虹は平和の象徴とされています。

今の時代だからこそ虹を尊びたくなりますね。

 

平和とは何でしょう?

最近は特に平和とは?・・・と、見つめるようになりました。

 

わたしの人生は、振り返れば全てがこの問いを自らに投げかけて歩んで来たように思います。

【生老病死】20代の頃の問いかけでした。

何故生まれて? 何故老いていくの? 何故病いになるの? 何故死ぬの?

自問自答を繰り返しながら出会ったのが、【ブッダの生涯】という本でした。次に出会ったのは、手塚治虫のマンガ本【ゴータマブッダ】でした。

大変腑に落ち、更に加速して【イエス・キリスト】を知りたくなりました。

 

それからわたしの人生は様々な出逢いを重ねながら、今、更なる歩みを続けております。他人様からみると、変な宗教をやっているのでは?・・・と、誤解されても仕方ありませんでした。

もちろん色々な宗教も覗いたり、思想的な内容をかじってみたりもしましたが、それも、ひとつの学びというより、善くも悪くも体験でした。

 

人生とは何でしょう?

 

【観ないようにしているか】【観ようとするか】【誤魔化すか】・・・

誰もが通過する意識だと思います。

わたしは、この三つの意識の問いかけを、ずっと自分にしてきました。

ストイックだったのかもしれません。・・・「人生」という課題に対して。

そんな自分に後悔は有りません。数十年前の自分にお別れ!

新たな自分に出逢い、それをしっかり表現するならば・・・本質の自分に出逢い始めたように思います。

 

人生に対して向き合う覚悟がやっと生まれてきたのでしょう。

自分に出逢う意味が以前はサッパリわかりませんでした。

杓子定規な生き方をしていた時を思い出すと、以前より数段変化した自分を感じます。

以前、ある方にお伝え頂きました。・・・「全ては自分の中に答えがある」

その意味も、当時はサッパリわかりませんでした。

今は、その事の意味が観えて歩んでいます。

それは、本当に虹が架かる雨上がりの青空のように感じます。

 

これまで、その自分の本質に出逢う迄、幾度も泣き苦しみました。

 

わたし達の意識を動かしている、見えない二つの力があります。

それは、「記憶」と「インスピレーション」

脳は記憶を持っています。何世代にも繋がる記憶が、曇ったメガネのようになってしまっている視界。フィルターをかけて物事人生をみる、生き方。

つまり思考の虜になったのです。

右か左か? 上か下か? 善悪を追っかける等々。。。

そのカラクリに氣づけなかったのです)

 

インスピレーションは、わたし達がどう生きたら、と示してくれる、ありのままの存在としての自分に氣づかせてくれます。

 

どちらを選ぶか?

 

わたしは、長きに渡り思考の罠にはまっていました。

本当の自分から外れた生きかた。

今は、静かに自分を見つめる、そのままの自分にジャッジを入れずにみるようにしています。出来る時も出来ない時もありますが、ある時、正直な自分を始めたらインスピレーションを貰える事に氣づきました。

 

インスピレーションは神聖なる存在からもたらされるもの。

わたし達は神聖なる存在なのです。

揺らぎは誰にもあります。

そんな時こそ、自らの内側に静かに入り、自分の監督者になってみませんか?

すると、心の持ちようが観えてきます。

 

大変(大きく変わる)な時だからこそ諦めずに。

心身の痛み人間関係の痛み様々な痛み。

それがある時だからこそ、チャンスの神が現れる・・・そう想うのです。

 

虹に彩られて美しく豊かに艷やかに咲く紫陽花のように、揺らぎがあるからこそ成長できる。中庸の心を感じながら…心の平和を育てましょう。

 

6月も皆様と共に歩みましょうm(__)m

 

2022年5月

爽やかな5月を迎えましたね。

桜が終わると野山の花々も咲きほころび新緑の鮮やかな緑が映える季節です。

 

わたしは暖かくなったので、朝のウォーキングを始めました。

ウォーキングをしながら氣付くことが沢山あります。

 

まず、全てどこをみてもアスファルト。先日は土が恋しくて久しぶりに郷里の土を踏みたいと思い出かけました。田舎だからとおもいきや、やはり農道もアスファルト。土は田んぼのあぜ道くらいでした。

アスファルトは歩きやすいかもしれませんが、土のようなクッションが無いために、膝や腰にダメージが出ると聞いたことがあります。

わたしは、それだけでなく土の感触が恋しくなるのです。

 

また、横断歩道を渡る時も氣をつけて渡らなければと感じたことが多々ありました。歩行者が横断歩道を渡っているのに、早く渡れと言わんばかりに、車がしっかり停止しなかったり、信号のない横断歩道だと、渡ろうとしている歩行者を無視して加速して通り過ぎていったり・・・

 

また、真逆なドライバーさんもいらっしゃいました。わたしが信号機のない横断歩道を渡ろうとして、まだまだ横断歩道までたどりつけてない時点でも、しっかり「どうぞ」という感じの笑顔で停止してくださっていたり。

 

本当にいろんなドライバーさんを体験します。

 

ウォーキングしていると、さりげない氣づきから、あたたかな想いを感じることもあります。

ある日、可愛い赤ちゃんとベンチで腰掛けているお父さんに、わたしが笑顔で「何歳ですか?」と声をかけたら、「まだ1歳です」と笑顔で答えてくれました。驚いたのは赤ちゃんが、わたしの声に反応して、可愛い笑顔をプレゼントしてくれたのです。何故驚いたかと言うと、まるでわたしの姿は、泥棒そのもの(笑)帽子を深くかぶり、暗めのサングラスに大きなマスク、ウェアーは、黒め!・・・どうみても【あやしげ!】です(笑)

散歩している犬も、たまにわたしをみて後ずさりする時もあるくらい(笑)

でも、赤ちゃんは、わたしの姿にお構いなく、ニコニコ笑顔でずーっと^_^わたしを見ているのです。

わたしは、朝から幸せな気持ちになり、笑顔で大きく手を振ってバイバイを致しました。しかし、笑顔と言っても、やはり深帽子に黒サングラス、大きなマスク!自分の姿に笑ってしまいます。そんな姿のわたしでも、お父さんも嬉しそうで、「よい一日を!」の笑顔と声掛けをくださいました。

 

その後、歩いていると、交番の前に車の点検をしているおまわりさんがいらっしゃいました。大きな声で「おはようございます!」と挨拶すると、返ってきた言葉が「ありがとうございます。おはようございます!」

素敵な笑顔のおまわりさんでした!

泥棒のような(笑)わたしの姿に笑顔で朝の挨拶です。

 

なんて素敵な朝でしょう。

冒頭の車のマナーで寂しくなり、赤ちゃんとお父さんに癒やされ、おまわりさんに元気をもらい!

朝のわずかな時間に、改めて内側に起こる感情の機微を発見します。

 

わたし達人間の感情は、まさしくコインの裏と表。

どちらの感情を、選択するか。

いつまでも気持ちの良くない感情は、潔く手放していく。。。

 

寂しさ、悲しさ、不安、嫉妬、嬉しい、楽しい、幸せ、様々な感情は人間だけがしっかりと、観じることの出来る存在。感情に溺れることなく、感情は人間の心と魂の成長の為にあるとウォーキングしながら思います。

 

5月は自分に必要のない感情を手放しながら

 

爽やかに5月を歩みたいとおもいます。

 

5月も宜しくお願いいたします。

m(__)m

2022年4月

桜の季節

春到来の喜びの季節ですね。

 

しかし世界を見渡せば、様々な事が起こっています。

何を意味するのでしょうか?

 

様々に起こる出来事に対して疑問を感じませんか?

人は、なんの為に生きているのでしょう?

 

人間の本質とは何でしょう?

 

コロナ、紛争、自然破壊、

全ては人間の意識改革の為に起こっている出来事にように感じます。

当然、綺麗事ではなく、自分に問いかけます。

 

地球は、対極の二極で営まれています。善悪、上下、左右、マイナス・プラス、男女、明暗、……この地球生命体で、この二極化の星は、何かを学び進化させる為に生まれてきたはずです。

この二極の対立ではなく、統合、そして融合! それを学び成長する為に、この地球という星に生まれたのではないでしょうか?

 

エゴからの脱却!

わたくし達、人類の歩みはどこに行き着くのでしょう?

 

最近驚くことを知りました。

南極は、通常マイナス50度です。しかし、今の南極の温度はマイナス15度。これは何を意味するのか

 

わたくしは、新年度から更に人類の歪みを知り、少しでも意識改革していきたいと思っております。

 

氣づきましょう。

それでこそ、意識改革ができます。

良き意識の集合体が世の中を変えると信じて

 

咲いて散り、巡る命に万感の思いを託して

 

 

                           〜祈り〜

2022年3月

弥生3

 

風の流れが変わり、雪国の新潟上越は、いよいよ春の芽吹きの準備が始まりました。 

太陽の光が恋しい地ですね。 

わたしの体は寒いのが苦手なのです。幼い頃、お山で育っている時は良かったのですが、下界に降りてきましたら、様々な不具合を起こしました。(下界といったら天上界もあり仙人を意味しそうですが(笑))そうではなくて、つまり、食べ物や環境障害の電磁波、薬品、科学物質、添加物など、体が非常に敏感な為に疲弊したのです。

つまり、不自然な環境で生活する事で、非常に敏感なわたしの体は苛まれていったのです。

更に美容師としての職業柄、長きにわたり科学物質を扱いました。

パーマ液は、農薬の36倍、又、カラー剤も女性の子宮に入り込みます。これらは、経皮毒として体内に入りこみます。 

その為に体が冷え、更には、25歳の時に開腹手術を行った後遺症も重なりました。

 

サンドバスを事業として選択したのもまずは、自分自身を癒やしたかったからなのです。

その辛い体験があったからこそ、様々な人との出会い、求めたからこそ、心身を癒やすものに出会いました。

その、わたしの体の疲弊から、苦しんでいる皆様にバトンをお渡し出来るのは幸いです。

今は、わたしが、ここ数年求めていた松果体を癒して良き方向に導いてもらえるものに出会いました。

現実、大きな視点でみたら、人類は本当に心身が疲弊し病んでいます。

 

幸せとは?平和とは?健康とは?

何でしょう?

 

大局でみたら人生とは何でしょう?

 

わたしは長年の痛みから、人生とは?の問いかけに自らに説いた人生を歩んできました。時には自暴自棄になりながら

今は、はっきり見え始めたのです。答えは全部自分の中にある事を!

その答のきっかけをいただいた、ひとつが

それが、松果体を活性化することだと氣づかされました。

まず、脳幹と言われる爬虫類の脳、これは生命維持活動をする最も重要な脳なのです。

病気は、この脳幹の働きが落ちてくると発症します。

しかしもっとも注視するのが松果体と言う部位があるところです。グリンピース位の松ぼっくりに似たのが松果体です。

これが、現代人は石灰化してしまっているのです。

 

それは、冒頭に記しました、添加物、電磁波、薬品、塩素などなど、切りがありません。

 

つまりお伝えしたいことは、この松果体を元氣にする事が重要なのです。

 

松果体活性は、あなたの本当の運命へと変えてしまうほどです。

肉体レベルだけではなく、直観や叡智、第六感など本質への目覚めへと導いてくれる松果体なのです。

 

この松果体を活性化する品が、シリカ!

 

今迄も、様々なシリカに出会いましたが、皆様にご紹介したいシリカ、これは最高のシリカです。なんと空海が1200年前にその技法をされていた。

ここでは、委しくはご案内できませんが、是非多くの方々からお使い頂きたいと思います。このシリカを開発された方もご紹介したい。そのように思っています。なぜなら日本人だから出来た技術といっても過言ではないと感じます。このシリカの開発者の社長は、こよなく日本を愛されていらっしゃいます。

まさに空海から繋がり、そして日本古来の文化を【和風】

と表現しますが、和は、元々【調和】【平和】を意味します。自然と調和を重んじた日本人の精神性による意識から製造されていらっしゃいます。

 

本来の日本人の松果体は石灰化などしておりませんでした。

 

戦後から始まった様々な歪み。

松果体を元に戻す!

そして、自身の心身の歪みを調和と平和にもどしていく。

それが、個人から人類への平和に繋がる…そう確信いたします。更には日本人から。

これより、希望の春を迎えて

皆様と本来の自然治癒力を見つめて参りたいと思います。 

 

423

この素晴らしいシリカをご案内したいと思います。

委しくはサロン迄お尋ねください。

 

お楽しみに♪♪♪

 

弥生三月大自然の息吹と共に今月も宜しくお願いいたします。m(__)m

2022年2月

春の始まりであり、一年の始まり(旧暦)である立春。

二月を迎えて、雪国の厳しさと暖かさを感じる季節です。

 

雪の下で待ち望む植物。

雪深い地で育った郷里を思い出します。

わたしにとっては、雪深い郷里でも楽園でした。特に二月は、「もうじき三月!・・・後一ヶ月まてば春!」当たり前ですが。

当時は4メートル位の積雪はあたりまえ。家がスッポリ雪の中。

春待人にとっては忍耐です。

 

特に雪の下の『ふきのとう』『ネコヤナギ』幼い頃は、これをみつけるのが楽しみでした。スコップで、雪の下に流れる沢肌近くの土を感覚で見つけ、雪を掘っていくと、小さい『ふきのとう』が芽を出しているのです。

もう「感動!」の一言。「ふきのとうさん!こんにちは!」

見つけられた幸せ 春の宝物、まるでダイヤをみつけた感覚でした。 真っ白な雪にスコップをいれて、土もふきのとうも全くみえないのですから!

「雪の重みがあるのによく芽を出しているね〜

子供のときの、あの喜びの感覚は今もしっかり覚えています。

つまり【直観】が当たると嬉しいのですね。 

雪景色を見ながら懐かしく思い出されるわたしの思い出です。

 

東京で過ごしたこともありましたが、大自然の中で過ごすことがやはり、わたしに合っています。

画一化され、機械化されたデジタル化した中での生活は多分耐えられないでしょう。

電磁波が飛び交う生活圏内は大切な【感覚】を失ってしまい、【直観】と言う閃きも降り注がれにくくなるのではないかと思います。

 

大自然と宇宙が繋がることが出来ると

わたし達、人間の脳をサポートしてくれるように感じます。(大切な松果体の活性化)

 

最近、わたしの内側から、時折立ち上がる意識があります。

【この世にあって、この世にあらず】この言葉が脳裏にやってくるのです。

 

 

そして最近は胸の内で感じるのです。

わたし達は【人の目】を氣にして生きています。

【人にどう思われるか】

【人からどのように見られるか】

いつも照準は、【人の目】

 

人の存在やこの世に合わせすぎて

自らの大切な心の目を、失いかけているように感じます。 

ワクワク感など感じず、虚無感や喪失感、脱力感そのような心を感じていたら、そうなのかもしれません。

【あなたは? あなたを生きていますか?!】

 

量子力学の世界でいうなら、つまり、【本質の意識】

わたしの本来の想いは?

意識は? 意志は?

 

流されることなく生きたい!

答えは全て自分の内側から。。。

 

そう思いませんか?

 

今一度、自分を見つめ直してみませんか?

 

節分、立春を越えて、頑なに閉ざされた冬から、まさに死から蘇るように、

真実に氣づく、春を迎えられたらよいですね。

 

氣候が陽気になる季節

   氣更来に想いを込めて

 

二月【如月】も宜しくお願い致しますm(__)m

2022年1月

新年明けましておめでとうございます。

 

お正月を迎えて「あらたな時代が始まった」そんな感覚を得ています。

年末に、長い間お世話になった方とのお別れがありました。

出逢いがあれば、必ずお別れがある。それは、身近な家族から始まります。

年を重ねながら、沢山の人間関係と出逢い、沢山のお別れを重ねながら、人は、心を育てる……

「心を成長させるために、この世に自分以外の人がいる」

そのように感じます。

特に生死に関して、その瞬間に出逢う心を大切にしたい……。その想いを大切にしたい。そのように感じた大切な方との今回のお別れでした。

 

人と人がいるから自分の心が磨かれる。

それが本当の行なのでしょう。

本年も人間関係の中で生きていきます。

しかし急速にAIがもてはやされる世の中に移り変わってきています。

ホテルのフロントやレストランのウェイター、介護施設にロボットを導入。

日常生活に合理的なシステムを取り入れ、合理化や生産性をあげる。。。

しかし、このような状況を見つめ返せば人間は何の為に生まれているのでしょうか? そんな原点に立ち返ります。

 

昨年ウォーキングの時に、やけに茶褐色の雑草、荒れ果て赤くやけた、その傍らには鮮やかな緑の草花や雑草。「あ!……これは除草剤をまいたのね」とわたしは、一人言・・・

 

全ての生活に合理性を求める人間。

人間とはなんなのか? 何者か?

そんな問いかけを自分にしながら、人間とは、字の如く。「人間」と書いて「ひとのあいだ」は、「人の愛だ」と思うのです。

 

私たちは、必ず命が閉じる時がやってまいります。

生まれたら必ず死に向かって生きるのです。 誰もが避けられない死。

でも、わたしは思います。 人は、死なない。 ただ肉体のお別れだけ。

肉体があるからこそ、自分を育てることが出来る。

 

わたしたちは、「オギャー」と生まれた瞬間から、この地球という美しい星で生活をさせて頂いております。

地球は太陽の回りを秒速30キロくらいの速さで回り、月は地球を回り、……地球は自転し……不思議な宇宙のリズムの中で、地球という生命の星が営なまれ、その地球に生きている人間をはじめ、限りない生命達。

そして、わたしたち人間の体は、眠くなったら眠り食べたくなったら食べ、足りると目覚め、足りるとお腹いっぱいになり。

そんな当たり前の足元の氣づきから、壮大な見えない設計図に氣づくのです。

 

【寝ていても運ばれて行く生命の営み】

そんな想いの中で過ごしたお正月も過ぎていきます。

 

わたしは思います。

限りない生命の営みの中で、魂の流転を感じながら、魂の成長と進化が願われている。

 

そんな時代を迎えたように想います。

 

大切にしましょう。

二度ない【今】を……

 

本年も宜しくお願いいたします m(__)m

2021年12月

きーよしこの夜~ほーしは光~すーくいいのみぃこは……

 

空から舞い降りる白い妖精に導かれて……イエス様へ想いを馳せ、12月になるとクリスマスの夜に、この歌を口ずさんだ子供の頃を思い出します。

イエス様のことは何もわからない私でした。

 

クリスマスは、父が一番大きなケーキを買ってくれました。一年に一回だけ食べられるホールケーキは子供にとってはイベント中の大イベント‼️

 

父がケーキのサーバーです。兄、私、弟、三人は、ケーキの大きさに目を見張り!……誰が一番大きなケーキをもらえるか。

でも、いつも順番は決まっており、恒例の分け方に、何も言い返せない私。

 

父は……「はい!晴夫()はお兄さんだから、一番大きなケーキ!……はい!勇()は、一番小さいから一番大きなケーキ!……はい!久美子は女の子だから、お菓子のお花に、飾りのもみの木にリボンにろうそくのサンタさん。」

 

私は、無言( - _ - ) 内心、「何故?ケーキの回りに食べられない飾りばかり?

兄ちゃんも、弟も食べられる大きなケーキなの?」私の小さな胸の内はしっくりこない思いで一杯でした。

けれど、幼い私は、不思議にも父の想いを理解していました。「父は、私が女の子だからこうやって喜ばせたいんだ、でも私は、ケーキが大きいほうがいいのになぁ!」

 

クリスマスの夜の、あの厳かな《~きーよし~~こーの夜》の歌は、ケーキ騒動で終わります()。。。子供だからしかたありませんが。

 

 

クリスマスの夜はもうひとつの記憶があります。

 

村にはお菓子を行商する、おばあちゃんがいました。エッコラ、ヨッコラと、大きな荷を背負ってクリスマスの夜にやってくるのです。

子供にとっては、お菓子はどうでもよいのです。

食べたいのはクリスマスケーキ。

私達三人は、「おばあちゃん早く帰らないかなぁ」と思っていました。

クリスマスケーキ食べれない。。。と。。。

しかし、時間は経つばかり。いっこうに帰り支度をしない、おばあちゃん。

 

結局、父も母も、おばあちゃんに一緒に食べましょうと、クリスマスケーキを分けたのです。おばあちゃんは、遠慮しながらも、喜んでいた光景を思い出します。

 

それから三年位、クリスマスになると決まってやってくる、おばあちゃん。

なんで、おばあちゃんは、家族と過ごさないのかなぁ? 幼いながらに私は疑問を抱いておりました。

それでも、私達家族は、何だか、おばあちゃんの存在にいつの間にか慣れ親しみ、クリスマスにやってくるのが、当たり前となっていました。

 

しかし、ある時からピタリと来なくなったのです。

「どうしたのかなぁ?」母に尋ねました。

「おばあちゃんクリスマスに来ないね…………

母は、暫く無言。

その頃の私は、分別がつく年齢になっていました。

 

「おばあちゃん亡くなったんだよ」

 

「え!何で」

 

「無言」

 

「だからクリスマスにやって来ないんだ。 病気で?」

 

「寂しかったんだろうね。。。」

 

私は、母のこの一言で悟りました。

 

母の姿から察知した私は、思わず胸を抑えました。寂しさと苦しさと切なさがこみ上げ、おばあちゃんの家族はどんな家族だったのか、母に尋ねることもやめました。

 

あれから数年たち春思期を迎えていた私は、イエスの物語を読みました。

ナザレの地で生まれたイエス。祝福されて生まれるどころか、馬の飼い葉桶の中で産み落とされたイエスの出生の秘密を知ることになるのです。

 

こうして私は、クリスマスの意味を知り、あのお婆ちゃんの死を思い出しては胸の内で泣いていました。

 

どんな思いで……私達の家にやってきていたのだろう。

どんな思いでケーキを食べていたのだろう? どんな思いで……

 

私の両親は、お婆ちゃんの身の回りの事を良く知っていたのです。

優しい父は、子供を喜ばせようと、大きなケーキを買い、しかも、兄妹弟三人がそれぞれ喜ぶように演出し、更には、家族ではない、お婆ちゃんにまで・・・。

 

クリスマスは、愛を奏でる……その事の意味を両親は教えてくれました。

 

大人になり

この出来事が私の人生に大きな氣づきとなり、ナザレのイエスが伝えたかった事を感じています。

 

幼い頃の想い出のクリスマス。 繊細な久美ちゃんが立ちあがりました。

 

本年も、あとわずかです。

イエスのように、隣り人を愛せる私達人類になりたいですね。

 

 

 

12月も宜しくお願いいたします。

2021年11月

「おはようございます

小学生の男の子が、すれ違う私に挨拶をしてくれました。

その男の子の後ろに大きなランドセルを背負った小さな男の子が、更に可愛い声で「おはようございます!❤️

 

朝のウォーキングでの出来事に、私は、驚きと共に……朝から喜びの感情を味わいました。

癒しのホルモンのセロトニンが分泌され、更にやる氣のドーパミンが溢れて出てくるような体験で、可愛い二人の小学生に癒されました。

 

 

それまで、すれ違う小学生から中学生、高校生、足早に通りすぎる大人、更には朝早くに犬の散歩されている方・・・ウォーキングで、沢山の方とすれ違う際に、感じていたことがありました。

 

 

幼い頃、母とバスに乗り町に出かけていった時に、母はよく知らない人に声をかけたり挨拶したりしていました。

それは町に自然に溶け込んでいました。

その母の姿が私の心の奥底に眠っていたように思います。

 

立ち上がった記憶……

大人になってから母の姿を思い出します。

子供のように躊躇なく声がけや挨拶をする母の姿に、人は奇妙に思うのかもしれません。

 

「今、お話をしていた人は知り合い?」母にたずねたことがありました。

「えっ?  知らない人だよ」と、母は答えていました。()

 

生前、ゆりの森でもそんな光景を幾度も目にしました。

 

以前は感じなかったのですが、母の姿をみて「素敵だなぁ~」と思うようになりました。

 

挨拶は、人と人を結ぶ力があります。

私達は、大人になると分離意識が現れてきます。

そして、大人になればなるほど反比例する立ち振舞い。

 

子供のように、くったくのない笑顔で挨拶ができる、そんな人が沢山現れたら幸せな世の中に……

こんな日々の足元の行いが、人生を豊かにするといっても過言ではないような氣がします。

 

 

「おはようございます。」

 

「こんにちは。」

 

「さようなら。」

 

そこに笑顔を添えて❤️

 

幸福の神々が降臨してくるような氣がします。

 

小学生から学んだ【ご挨拶】

当たり前の事を、普通に、純心な子供のようにご挨拶できる大人社会を目指したい!

 

大げさかもしれませんが、こんな想いを、シンプルに味わっているこの頃です。

 

皆さんとご一緒に

…(^.^)m(__)m

 

 

           ごきげんよう()                                              ( ^-^)∠※.:*:'°☆

2021年10月

爽やかな秋風を感じながら・・・

朝ウォーキングを始めた私は、鋪装された道路の傍らに咲く草花と出逢い、何故か涙が溢れ出る、そんな日々を過ごしていました。

「ごめんなさいね」と草花に語る私。こんなにコンクリートに固められた所でも静かに佇み咲く秋桜、小春日和に咲くタンポポ、露草……「なんで涙がでるのかしら?」

郷愁を呼び起こす秋の風情に浸りきった私。

 

 

今年は、お彼岸にお墓参りに行きたいと思いつつ、仕事に追われ体調不良から断念しておりました。そんな私に、サロンのお客様が、私の郷里に行くツアーを企画してくださっていたのです。

それは私を癒しへと誘い、本質の素直な自分に出逢う豊かな時へと導いてくれました。

 

このツアーは、私の生家の後地を訪ね、そして……お墓参り。その後、山奥のよし八池へと向かう行程で、参加者は14人。

 

当日は、天候に恵まれ、妙高山・火打山の裾野まで見える圧巻の美しさが、秋空に映えて感嘆!

まずは、生家の後地に祈りを捧げて……

お墓参り……この企画をされた方からの献花。

皆様が手を合わせて祈ってくださる姿に胸をうたれ・・・。

次のコースは黒倉林道からよし八池へ。標高750m。

紅葉がまだ始まっておらず、晩夏を見送りつつも蝉の声と虫の声に導かれながら到着。天高く広がる青い空、そして水面の美しさに魅せられながら散策。暫く、雄大な大自然の美しさに陶酔し歓喜の声をあげたいそんな思いになりました。

傍らに咲く遅咲きの紫陽花、タンポポ、可愛ドングリの実。幼い頃にドングリの首飾りを作ったのを思い出したり・・・。爽やかに香る風に吹かれながらの散策。なんて自然の寄り添いは素晴らしいのでしょう。

 

冒頭に記した下界でのウォーキングの時に鋪装された道路の脇に咲くタンポポや草花に涙したのは、このことだったのですね。

 

 

下界を離れたそこは……まさに天界! 汚れのない天上界。

 

そして、ツアー参加者の皆様が作ってくださった汁物を頂きながらの歓談の楽しさ、更にはゲーム遊び。

皆で合唱した【ふるさと】私の大好きな歌。

皆様から温かなメッセージを頂いて過ごしたひとときの時間に、涙をおさえることができず、溢れる涙に任せて時を過ごしました。

 

自然体の自分に出逢い……

涙は浄化。

 

皆様に心から【ありがとう】をお伝えさせて頂きます。

 

溢れる程に大自然は、私達人間を癒し続けています。

自然の中で生きなさい……そんなメッセージを頂いたようでした。

人間が作り上げた歪みに氣づきなさいと・・・。

大自然は私達人類を見つめているようです。

与えて頂いた、人と一日に真心を添えて・・・。

 

 

   この空が私を育み

   この大地が私を育てた

   愛によって生まれ

   愛によって育てられ

   愛して……

   愛を残していく 

 

         それが……生命の連鎖。

 

         ふるさとは、父母の愛

 

           愛と

                   祈りと、

                            感謝を込めて……m(__)m

 

2021年9月

秋雨の季節を迎えました。
すすきに、赤トンボ、夜は涼やかな虫の声、……

蝉が夏を惜しむかのように、かん高い鳴き声を発して、命を閉じていきます。

何度かセミの鳴き声を意識をしていたら、私の自宅のベランダに、数匹セミの亡骸がおちていました。
「一生懸命生きたのね」そんな言葉を投げ掛けます。
セミは地底で約10年もの長い歳月を過ごし、地上で成虫として生きるのはわずか一週間の短い命とされていましたが、実は約1ヶ月も生きるセミもいることがわかったようです。
この情報で「ほっとする」私はなぜかしら?(^.^)…なんて自分の意識を観察しています。

季節の変わり目は、自然界が教えてくれます。

私達人間は自然界に学びながら、自然界に寄り添い内なるセンサーを立ち上げなければならないと、いつも季節の変わり目をそんなふうに感じます。

 

そして、晩夏から、朝晩の気温の差を感じ、体調管理が必要になってきています。
更に、季節の変わり目は、雨が知らせてくれますね。
春から夏には【梅雨】、夏から秋には【秋雨】 自然界は見事です。
郷愁を運んでくれる秋。


四季は見事に人生の流転を現しているようです。

春の息吹に躍動感を感じ……
夏は、太陽のエネルギーから力強い生命力を感じ……
秋は、自然界の実りから私達人生の内側の実りを見つめ……
冬は、凍てつく寒さに忍耐力を学ぶ……

まるで、誕生から命を閉じる人間の人生の縮図を季節で現しているようです。


私は思います。

人が生きることの意味。

つまり人生は?
何の為に生まれ?
何の為に生きているの?
人生の見つめ方。ものの考え方。生き方。

流動的にならず、せっかくの人生を見つめ直す時期に来ているようにかんじます。

何故なら
近況では、世界の紛争(アフガニスタン問題)

災害(ギリシャの山火事・日本、中国の水害や土砂崩れ、日本の放射能のトリチウムの廃棄出来ない問題。海に捨てるか、大気にまくか……)

コロナ禍、ワクチン(治験ワクチンと言われている?安全性を確認する目的臨床試験の意味は・・・?人体への影響は?)……

全ては不自然なことばかりです。

自身に目覚める勇気!
人生を人任せにしない。

自身の内側の世界に意識を束ねて、人生の価値に氣付きたいものですね。
あの、晩夏に一生懸命生きるセミのように。

まだ続く不自然な世の中に、喜び、ワクワクを忘れずに、この秋は、少しでも自然に親しみ楽しみながら、生活をポジティブ意識変換しましょう。

何よりも自然は嘘をつかない。
大自然から学ぶ・・・大調和の自然界は・・・人間の生き方を見つめているようですね。

九月も宜しくお願いいたしますm(__)m(^.^)

 

2021年8月

ひまわり・朝顔・入道雲・蝉の声・カブトムシ・クワガタ・スイカ・たも・トンボ・川遊び・花火・ラジオ体操・・・そして太陽の光!

(夏休みを思い出す内容)

子供にとっては夏休みは楽園!  私がそうでした。

毎日が日曜日! 朝起きると何をして遊ぼうか?!  ワクワクウキウキ
ゲームなんてない時代。山や川や草むらや、林や、森が、私にとって最高のゲームの場。
大自然が最高の遊び相手でした。
夕方、ひぐらしがカタカナカナ~♪と鳴くまでヘトヘトになって遊んで家路に……。
両親は、いったいどこで遊んでいるんだろう?……と思うくらい野放し……

母はよく言ってました。 「まったく野放しに育てたね」と……。
兄も、弟も、私も、だから良かったと思います。
干渉されず、のびのびと。
ありがたいことです。
それを実感出来るのは、大人になって、世の中の窮屈な囚われ社会をみたからこそ感じます。
子供の頃はよかった。懐かしい。。。
そんな想いも体験していなければ内側から現れてきません。

そして、遊び疲れて母に寄りかかった時に覚えている、優しい香り。母の香り。
その香りに出逢いたい……亡き母を偲びながら思うことが度々ありました。

実は今日、この一人言を綴る朝に出逢いました。
懐かしい母の香り! なんと、なんと、こんな身近にあったのね!それは綿の白いワンピースから香ってきたのです。幼い頃母にもたれかかり白い割烹着から香るまったく同じ香りでした。

その香りは、洗濯洗剤の匂いではありません。私の全身を癒してくれる懐かしい香り。
それは、なんと太陽光線を浴びた洗濯物についていた「お日様の匂い」だったのです。
幼い頃に母の香りだと思い記憶していた香り!
思わず嬉しくて、しばらく白いワンピースを抱きしめて香りを感じていました。
ナチュラルな香り……

でも、私はベランダに洗濯物を干すときに、最近は特に息苦しさを感じていました。
それは、大気に漂う強く匂いづけされた化学洗剤の匂いが空気に漂っているのです。
その匂いが強く、太陽光線で綺麗にされた洗濯物を感じることさえ出来なくなっていたのです。
私は、一切匂いの強い洗剤は使いません。臭覚をマヒさせ、大脳に負担をかけ、感性が鈍り、体の不具合を引き起こすことがわかっているからです。

たまたま、あの強い匂いが漂わない時に、取り込むことが出来た洗濯物。

また、私の記憶は、あの楽しかった夏休みにパラレルワールド!
庭に干してある白いシーツの下で、太陽光線の香りを感じながら、母の香りと思い可愛い犬と遊んだりままごとしたり……
なんて素敵な夏休み!
ナチュラルな遊びが出来ない子供達と不自然な(香りとはいわない)……匂いに……
少しの悲しみを覚えます。

自然界に歪みはない。
この8月は、自然との調和を見つめる月になりそうです。

8月は、皆さんと不自然さから自然に生きる学びを見詰めていければと感じています。

夏を楽しみましょうね。
(^.^)m(__)m

2021年7月

紫陽花の美しい季節ですね。紫陽花は、まるで虹色のように様々な彩りを放ち、梅雨空の中、私達を癒してくれます。

そして、雨に打たれれば打たれる程に美しさを増す、大地の虹のように感じます。

 

梅雨の季節は、誰もが一度は聞いたことのある「ノアの箱舟」のお話を思い出します。

私は手塚治虫のシリーズが大好きです。

 

手塚氏の生前、イタリアの国営放送を通じてバチカンから、手塚治虫のマンガを「是非、聖書をアニメ化してほしい」という依頼がきました。

 

その中にノアの方舟のストーリーがあります。

 

以前の私は、ノアの方舟は空想の物語だと感じていました。しかし、今思うと幼い頃に知ったノアの方舟の見方は違っていました。

幼い頃は、雨が降ると、ノアの方舟のお話に思いを巡らしていたものです……。「鳩がオリーブの枝をくわえてやってくる」と心待ちにしてました。

 

おかしなものです。洪水審判の意味もわからず、でも幼い少女の私は平和を願っていたように思います。……どこからくる意識なのでしょう……

 

ノアが放った鳩は、オリーブの枝をくわえてやってきました。

「洪水が引き、大地が現れました」・・・その現象を伝える為に。

そして、契約の虹へと繋がるお話。

 

今だからこそ、ノアの方舟が意味深い内容に感じます。

神から洪水の警告を受け、ノア以外の人々は誰も、その警告を信じない中で、ノアは啓示を受け取り箱船を作り始めました。彼を見つめる人々は、ノアの姿に呆れ、馬鹿にし、ノアは、人々から非難されても、ただひたすら方舟を作り続けたのです。そして後に、洪水審判が起こりました。

 

空想のお話のように思いますが、アララト山に漂着したノアの方舟の残骸が、現在のトルコのアララト山(富士山に似た山)で、みつかったと言われております。

 

【ノアの方舟】この内容を通じて思うことは、世界や日本で起きている様々な自然災害、更にはコロナ禍、まるで旧約聖書に綴られている【ノアの方舟の洪水審判】の時代とリンクしているように感じます。

不透明な生き方を学び直さなければならない時のように思います。

 

どんなに科学が進化したと思っていても、

人の意識は?

私達人類の、この世を営む動機は?

私は想います。

人間関係・家族・動植物との関係・社会の仕組み・政治・経済・産業・医療・戦争・食・自然界との関係……全てに調和があるのか?

やはり、コロナ現象は現代の【ノアの方舟】なのかもしれません。

私は、この梅雨の季節に……

大空に契約の虹がかかるよう、鳩がオリーブの枝を持って来れるように、自分自身を見つめたいと思います。

 

虹も鳩も平和の象徴

この世の中は、自我とエゴの暴走。

 

~私達の心に平和を呼び戻す、そんな季節なのかもしれませんね。

 

 

7月もどうぞ宜しくお願いいたしますm(__)m

2021年6月

風の時代……既に本年も半年を迎えましたね。

時の過ぎる早さを感じるこの頃です。

 

4月13日、筑波大学名誉教授の村上和雄氏が旅立たれました。

昨年の4月、川田薫博士も旅立たれました。

 

私にとって両者は尊敬すべき方々でした。

 

村上和雄教授の著書【サムシング・グレート・生命の暗号 あなたの遺伝子が目覚めるとき】・・・この本は、今から25年位前に出会いました。

私にとっては人生のバイブルです。大切に毎年読み返しておりました。

 

又、川田薫博士の【人はなぜなんの為に生きるのか 生命の誕生の真実】

この本もバイブルです。

 

今も、私の書棚に御二方の書籍が光輝いています。

「人類を地球を更には宇宙をみつめたサムシング・グレート、遺伝子の仕組み五感を越えた世界」

沢山のご苦労とご尽力から導き出された内容は読者を優しく誘い導いてくれます。

では! どこに導いてくれるのでしょう……

 

「生命の不思議はまったく驚くほど不思議なことばかりです。人は生きると単純に言いますが、自分の力だけで生きている人は一人もいません。それぞれの遺伝子は、見事な調和のもとで働いています。……この見事な調和を可能にしているものの存在を、サムシング・グレートと(偉大なる何者か)と呼んでいます。生命科学の場で私は実感するのです」   

~「生命の暗号~」村上和雄著より抜粋

 

「実に不思議な事ですが、どうして地球上に生命が生まれたのだろう……と…ふっと考える瞬間がありました。私は物理や科学といった分野の仕事しかしてきておらず。……生命の誕生という研究テーマに出会って述べてきたのですが、研究するかどうかはともかく、これは私たちにとってもっとも素朴な疑問であり、かつ究極の問いかけだといえるのではないでしょうか……」  

~「生命誕生の真実~」川田薫著より抜粋

 

沢山のメッセージを残され、使命を終えて旅立たれた、村上教授と川田博士。

 

著書には、尊いメッセージが記されています。

今、私達人類には、沢山の問題や課題は山積しております。

私達人類の生き様に対して、全ての価値観の入れ換えの時期がきているのかもしれません。

 

お二方の著書を読み返してみると、この世のカオスの真只中にいる私達人類が、確かな歩みとなるための大切な大切な未来への伝言を通して、生きる事の本質的な意味を読者に汲み取ってもらえる事を、あちらの世界からお二人は願って下さっているように思えてなりません。

 

時代の変革ですね。

今迄の生き方を振り返りながら、迷いや不安からの脱却をし、自らの意志を大切にしながら……

風の時代を読み取り涼やかに情熱を持って生きて参りたいと感じます。

 

先人のご苦労を無駄にせず、バトンを渡していきたいですね。

 

 

お読みになったことのない方は是非お読みになってみてください。

きっと、今迄の価値観から、新たな意識変革と共に、新鮮な溢れる想いが立ち上がるでしょう。

 

 

六数は想像数の【創造数】

六月も、どうぞ宜しくお願い致します (^.^)m(__)m

2021年5月

シロツメクサ

優しく咲き始めると、5月の爽やかな季節がやってきたと感じます。

少女の冠

誰もがお姫様になったような氣分で、一生懸命編み上げる冠

 

幼心を思い出させるシロツメクサは、野の花の中でもお氣に入りでした。

幼い頃、私の回りは男の子ばかり・・・おてんばに兄や弟、従兄弟と遊んだ後は、シロツメクサで冠作り……。やっと女の子に戻れるシーンでした。()

 

そして幸せの四つ葉のクローバーを探します。

五月になると、帰宅途中の道草は、必ず女の子の友達と四つ葉のクローバーを探します。

 

でも……

ある時・・・ふっ?と疑問がわきました。

「四つ葉のクローバーを探すと幸せになる!」そんな幸福の四つ葉のクローバーを探すのに、私は三つ葉を踏んで、荒らして探してしまっている。

 

幼心に氣づきが立ち上がり、悲しくなりました。

それ以来、四つ葉のクローバーを探すのを止めました。

 

大人になっても記憶に残る想い出です。

 

可憐に咲く四つ葉のクローバーを見つめながら……

 

「幸せになりたいからといって、三つ葉のクローバーを踏んでまで四つ葉を探さないで……幸せってそんなふうに探すものではないんだから……

 

少女の頃にやってきた私への魂からのメッセージなのでしょうか。

 

今も、その想いを大切に、純粋な少女・・・あの頃の久美ちゃんを忘れずに人生を歩んでいます。

            (^.^).*.‥☆     

2021年4月

桜の季節に母は旅立ちました。

 

3年前の4月2日、施設に到着した私に「館内に響きわたる声で……『久美子~!』と呼んでいました。本当に驚きました。痩せた細い体から、大きな声を発して久美子さんを呼んでいましたよ」と、スタッフさんが伝えて下さり、その後、義姉が私の手をしっかりと握りしめ母のところまで駆け足で……

 

横たわる母はまさに旅立つ瞬間でした。母の手を握って間もなくの事でした。

呼吸が遠退く感覚が伝わり母の細くなった首もとに手をあてながら、母の最期の温もりを感じとる事ができました。

 

お別れに……待っていてくれた……

手をしっかり握りながら、旅立つ母に「今迄、育ててくれてありがとう。」

言葉にならない精一杯の想いを伝え……息を引き取るその瞬間まで母を感じさせてもらいました。そして、私の目から涙がこぼれ落ちたとき……。今世のお別れになりました。

 

母との別れの瞬間、

「この1ヶ月、仕事終わりに、毎日毎日、母に会いに足を運んでいたのに……もう、母に会えなくなってしまった!」心の中で、そう叫んでいました。

 

出逢いがあれば、必ず別れがあります。人生はなんなんだろう? 生まれてくるとはどんな意味があるんだろう? そんな事を母にたずねた事がありました。

母から貰った言葉は、誰にも語らず、私の胸に大切に残してあります。

 

意識を無くす少し前の母から出た言葉は、「みんな仲良くね」

私は、このシンプルな言葉を遺言とし大切にしています。

 

人生は難しくないのです。

人生はシンプル。

人と、物と、動植物と、大自然と仲良くすればよいことだけ。

それを難しくしているのは人間だけ。

「そんなこと言っても……」そんな言葉に繋がりそうですが、難しくすることなんてない……!そう思います。

水が全てを洗い流すように

決意して、洗い流せば良い……

 

パーと咲いて、パーと散る潔い桜のように。そして、又、、、時が訪れたら咲く桜。

 

葬儀の日

母は、満開の桜に見送られて優しい煙となって旅立っていきました。

 

あれから三年……

夢にはほとんど出てきてくれませんが、私の内側にいつも母がいます。「みんな仲良くね」の言葉を大切にしながら。。。

そして潔さは育ってきているような氣がします。

 

誰もが迎える旅立ち

人生の旅立ち……

二度とない【今】この瞬間を楽しみながら……

( ^-^)∠※.:*:'°☆

 

 

2021年3月

「おばちゃん、春をみつけに行こう

はちきれそうな頬、優しい眼差しで私の手をつかんで春をみつけに歩きだした、くったくのない笑顔の姪は、当時5才。

手を繋ぎ、頬を伝う涙を隠すことも出来ずにいる私の顔を見上げて微笑む姪の姿を今も鮮明に覚えています。

紅葉のような小さな手が、私を真から癒してくれました。

 

姪の小さな体を思わず抱き締め、「ありがと

小さい天使は、優しく笑顔で「おばちゃん大好き

 

可愛い天使に癒されて涙した季節。

当時の私は体を壊して実家で過ごしておりました。「3日遅ければあなたの命はなかったです」と、ドクターから宣告を受けて命が救われ退院後、焦燥感の中で過ごしていた毎日でした。

人生とは? 生きる意味を模索、誰にも語れない内側の苦しみ。

そんな私を癒してくれた季節。姪と手を繋いで歩いた残雪の道。

春風の気配春の香り木々の芽吹きの膨らみ、土手に小さな草の芽。

空を見上げれば優しい太陽の光、たおやかな風。小川を流れる水の音・・・

 

大自然と可愛い姪に癒されて……

懐かしい、優しい想い出。あの季節~そして姪の存在。

 

人生を歩む様々な場面に、そっと寄り添いそれらの優しさに氣づくには、苦しみも又、必要な愛を知る為の大切な宝物なのかもしれません。

 

あの時があるから今がある。

 

「好機は、また障害のように装ってきます」そんな言葉がありますが、

令和三年を迎え、昨年から続く試練も又、人類にとって、大きな氣づきに繋がっているように思います。

 

又、春がやってきます。

この自然の仕組み循環こそ学ぶべき人生。準じた想いで大自然と共に【魂の成長と進化】こそ、人間に与えられた試練と歓び。苦楽……

両極の中にこそ、中道の愛が隠れている。そのように見つめながら、春の季節を感じていきたいと思います。

 

癒してくれた姪も、今は大人の女性……

人は自然と共に巡ります。

 

ありがとうの言葉を携えて……3月も宜しくお願いいたします m(__)m(^.^)

 

2021年2月

春はもうじき……

 

立春を迎えると、不思議にも、氣の変化がわかります。

雪が降る凍てつく寒い日でも、幼い頃は空を仰ぎ、「どこから降ってくるのかしら?……今日の雪は冬の雪!……今日の雪は春の雪」そう感じながら雪と戯れ、触れ合ったことを思い出します。降り続く雪を手の平で感じたり、ミトンの上で雪の結晶の美しさに見とれ、一瞬で消えてしまう結晶の儚さに寂しさを覚えたり幼い頃は全てが美しい自然の理と捉えていたように思います。

 

子供の頃の純粋に雪と向き合う気持ちを忘れて大人になり、今では、雪を厄介者にしてしまいます。確かに日常生活に滞りを感じて困ってしまうのは致し方ない事実ですが。

 

人生において、私達は様々な体験をしますが、その体験する中で何が起こるかわかりません。「全ては想定外」と言われることがよくありますが、考えてみれば想定外ということは、不自然な言葉に感じます。

人其々の人生は違っていて同じ人生はあり得ないし、ましてや人生のルートが決まっているのも可笑しなことです。

よく使われる「過去に前例がない」という言葉も見詰めたら可笑しな言葉です。

人間はデータで生きるのでしょうか?

日常起こる事に前倒ししすぎるほど心配し、不安や恐怖の連続の人生。

 

生きることは大変な事が沢山あります。雪ひとつとっても……確かに豪雪は大変です。けれど、そんな時こそ、違った風景をみる事があります。そして感じます。

 

今回の豪雪に、何人ものお客様がサロンの駐車場の除雪のお手伝いに駆けつけてくださいました。心から感謝が溢れました。こんな素敵な方々がいらっしゃる……この気持ちを感じさせてくれた豪雪にまで有難いと感謝を感じました。

大変な中で、様々な場面での助け合いがありました。

ものの見方、考え方を学びます。

まさにものの見方は、コインの裏表のようですね。

 

立春を迎え、旧暦では新年を迎えました。本年はどんな年になるのでしょう。

地の時代が終わり風の時代と言われます。

心の重荷を脱ぎ捨てながら、軽やかな風に舞って歩みたいと思います。

春がやってきています。どんな状況下でも、心の持ち方を大切にしながら……

~軽やかな春風に舞えるよう~~準備をしてまいりましょう。

 

二月もどうぞ宜しくお願いいたします m(__)m

2021年1月

新年明けましておめでとうございます。

【光陰矢のごとし……

年明けから感じた言葉でした。何故この言葉がよぎったのか……年末年始は、実家で過ごしゆったりとした時間を過ごせ意識の揺らぎがあったからでしょう。

兄との会話、義姉との会話、姪との会話 、何気ない日常会話が楽しく、姉の美味しい手料理を頂き、温かいご飯を食べられる幸せ……なんだか全てが幸せと感じ両親、ご先祖様の御前に感謝の祈りをして、懐かしい父母の顔が浮かびあがり、涙が溢れました。そんなフラットな意識の中で、兄が見せてくれたアルバムから私の記憶は過去に引っ張られていきました。

時がたつのは本当に速いと……。帰宅してからも暫く、光陰矢のごとし。

私の頭に浮かぶのは過去のデータ。そうタイムスリップです。

懐かしい思い出が甦り、勝手に流れてくる思考を止める事が出来ませんでした。

 

老子が語った【上善如水】(じょうぜん水のごとし)

~水は実態があるようでない、掴めるようで掴めない、どんな器にもおさまる水のようでありたい~

意識は勝手にやってきて流れていく……

そんな想いがよぎり、暫く思考に任せていたら、人は、記憶で生きている。今を生きる事が出来なくなったのだ。と……つくづく感じたのです。

過去に生き、未来に生きて囚われてしまう思考に縛られてしまう。(過去を悔やみ、未来を憂い……)

これが人生を疲れさせる要因。

 

本年は、【上善如水】をテーマにて生きようと思います。

 

【光陰矢のごとし】

確かに私達の生活は凄いスピードで過ぎていくように感じます。

【風】の時代と言われますから。

しかし、意識を今に向けるだけで、二度と戻らぬ大切な【時】を思考に振り回されずに生きられるのだと感じます。

 

本年は、どんな年になるか? 誰にも想定できないように思います。

ただ言えることは、誰かのせいには出来ない。

私達、ひとり一人の意識のありかたで、この世をつくっている。その意識が集合意識になる、そう思うと自らの意識の有り様を大切にしたいと感じます。

自分の為にも人の為にも……

 

 

そして本年も、皆様が、健やかに歩めるようにスタッフと共に、楽しみながら笑顔でサポートして参りたいと思います。

 

本年もどうぞ、宜しくお願いいたしますm(__)m

 

2020年12月

2004年の12月3日、インドへ旅立ちました。

私の人生において、これ程の試練の旅はありませんでした。

アンドラプラディシュ州、ワラダイムアパレルという小さな村。

約23日間の滞在。

 

向かう一週間前から体調を壊し、体の痛みと微熱が続き、出発はほぼ難しいほどでした。この地から一緒に同行する人もおらず、出発前から孤独と不安にさいなまれていたのです。その意識は弱い体に拍車をかけました。……今となっては「よくぞ行ってきたね!」と過ぎ去った16年前の私にエールを贈ります。

 

「何故インドに行くのか……どうしても行きたいの?本当に行きたいの?」

当時は、出発前まで自問自答する日々でした。

既にインドで体現してくる前の段階で私のミッションは始まっていました。

 

インドは、私には縁がないと思っていました。けれど、深層の意識では、常に気になる国であることは理解出来ていたのです。

何故なら、私の今世の中で、敬愛と尊敬の念を持つ女性がインドで活動されていたからです。

それは、遡ること、約40年前・・・テレビの画面に映ったサリーを纏って現れた女性に、衝撃的な更に不思議な感覚をおぼえました。それが日本に初来日したマザーテレサーその人でした。

人生体験がほぼ少ない20代の私にとって、マザーテレサの存在を理解するにはまだまだ幼すぎました。ただそれ以降から、常に私の脳裏から離れない方になっていったのです。

 

時が満ちて……インドの旅へと出発させたのは、紛れもなく私の深い処の意識から立ち上がってきたものなのでしょう。

 

・・・マザーテレサは、ダージリンに向かう汽車の中で「全てを捨てもっと貧しい人の間で働くように」そう啓示をうけます。

その後、マザーは一人で、カルカッタのスラム街に入っていきます。

道端で死にゆく貧しい人逹。1番ひどい苦しみは、飢えでも、寒さでもない。「自分は誰からも必要とされていない」と感じることだ。マザーテレサは、そう考えていました。愛し合う為に生まれてきた私達は、誰からも愛されない時、誰とも愛し合うことができないとき、何よりも苦しみを味わうのです。愛し合うことが人間にとって最高の幸せだとすれば、誰からも必要とされないのは、最悪の不幸といっても過言ではないでしょう。それは貧困の国にだけある内容ではありません。私達自身の心にさえ現れます。

 

 

インドの旅では、確かに想像を絶する貧困の場面に出会いました。……胸が張り裂けそうになり、涙が溢れました。

何を学ぶ為にインドに降り立ったの?……自問自答を繰り返しました。貧富の格差の激しい、まだカースト制度が存在しているインド。胸の苦しみを押さえることが出来ませんでした。マザーテレサは、「人間の愛を育てる為には、体験と体現につきますよ」と、私に語っているようでした。

 

私が誘われたインドは、生まれてくる前に決めてきたシナリオ。行きたくないという思いは、現世でのマインド(思考)。その解離に苦しんだインド行きの試練は、私の本質の自分に出逢う為の試験のようなものでした。

 

……思います。インドの旅は本当に自分の人生のプログラムに出逢う為の大切なミッションだったと。だからカルカッタに一人で臨んだマザーテレサのように、私も一人で行かなければならなかったと……

 

私達が様々な立場で人生の岐路に立つことは沢山あります。

しかし、今の選択は、既に未来がここにあると……

今を生きる選択。「過去を憂い、未来から不安を呼び起こす歩みからの解放」

私達の内側にはびこる不安、心配、恐怖の脱却に対して、マザーテレサは、こう語ります。

 

【昨日は過ぎ去りました。明日はまだ来ていません。

私たちにあるのは今日だけです。さあ、今始めましょう。】と……

 

12月は、マザーテレサが偲び尊んだイエス・キリストを象徴するクリスマス。

私達は、聖なる月、聖夜にどんな想いを馳せることが出来るでしょう。

 

私は、あれほど行きたくないと感じたインドへ通算5回も訪れました。

初めてのインドの旅から16年の月日を越え、今やっと心の底から思います。

 

【愛の発見】

 

マザーテレサの言葉を借りるなら、

「愛の反対は、憎しみではありません。愛の反対は無関心です。」

 

愛と言う言葉は

 

単に……☆男女間の愛にとどまらず……

☆人類愛は、人間だけにとどまらず……

☆地球愛は、生きとしいける地球の全ての存在に……

 

私達、人間の成長と進化が願われていると感じるのです。

 

足元の生活にこそ、愛を育て、慈しみを持って

12月、過去の聖人の方々の歩みを受け継ぎ歩める私達でありたいと……心から願っています。

 

                                         祈り

2020年11月

霜月を迎えました。

秋と冬のあいだの11月。いよいよ冬将軍の到来ですね。

季節の変わり目、大きく変化する前の月。心身を労らないといけない月のようです。

 

秋の花といえば菊の花。

清浄な香りを漂わせる晩秋……

私は、菊の花の香りを嗅ぐと幼い頃の記憶がよみがえります。

庭は冬を迎える準備に入り、咲いているのは菊の花だけ。印象深く華がある花ではないけれど、秋の肌寒い朝庭に咲く菊の花に鼻をそっと添えて暫く菊の香りを感じていた頃を思い出すのです。……菊の香りに魅了された私の心身は浄化されていくような、なんとも言えない癒しを感じておりました。

子供の頃は、全てに敏感で更に純粋に感じる感性を持っているような氣がします。

 

秋晴れに輝く菊の花は、何故だか高貴なイメージと神聖さを感じていました。

菊の花は、皇室の御紋でもあるように……

太古の昔、天皇の深い信頼の中に世界に派遣される使節団は16名だったとか……そこから菊花御紋の花びらは16枚とされたとか。                                                       日本ではほぼ使いませんが、海外では菊をブライダルブーケに活用します。

日本は主に葬儀の時に中心花として活用します。

国が違えばこんなにも活用のしかたに違いがあります。

 

菊は、私達人間の様々な感情を浄化してくれます。

特に悲しみや……寂しさ……お悔やみ時には清浄な香りで包み込みます。

このように、菊には素晴らしいお役目があるのですね。

確かに、晩秋になると私達の心も深まる秋に寂しさや郷愁を感じてしまう季節に、私達人間の心を包み込み、穏やかな意識へと誘ってくれます。

日本各地で、秋になると菊の展覧会など、菊を愛でるそんな姿がテレビでも映し出されますが、昔から日本人は、この花の持つ素晴らしい質を知っていたのかもしれません。

 

更に、菊は食用菊としても楽しみます。

「かきのもと」を食してメンタルも癒されていくように感じます。

刺身に添える菊は殺菌作用があります。

又、菊花茶……。 菊は、脳神経の機能回復、脳の老化を防ぐ、リラックス、解毒作用、視力回復・・・このような効能作用もあるようです。

 

冬を迎える前に、自然の植物からの菊の恩恵にあずかり、菊を愛でたり、食したり、楽しんでみてはいかがでしょう。

 

本年は、駆け足で季節を見送ってきたように思います。

少しの時間・・・ご自身の時間を大切にしながら、菊の花を飾り、菊花茶などでご自身をゆっくり癒してください。

ゆりの森でも、サロン内に菊を飾り温かなお茶をご用意してお待ちしております。

 

ご自身を愛する月にされてくださいね。      霜月に愛をこめて❤ m(__)m

2020年10月

10月「神無月」を迎えました。秋の豊かな実りの季節に感謝

 

八百万の神が出雲大社に集い会議をする季節。

幼い頃は、一体どんな意味があるのかしら?  八百万の神とは?

10月になると、いつも不思議に、この月の意味を考えておりました。

 

2年前の10月に、サンドバスに使用されている石のふるさと……九州の旅をいたしました。 宮崎県の北部、神々の里と言われています高千穂。そして天地開闢に関わる神々を祀り1500年の歴史があると言われる弊立神宮。

私は、日本の神話は詳しくは知りません。そんな 神々に失礼ながらの旅でしたが、この旅で、私の内側に清々とした風が吹きはじめたのです。

人生で感じる、思い煩い、【捕らわれ……囚われ……】が外れていきました。

 

不思議です。この年の前後から、この世俗を生きる外側と、心身の内側に、断捨離が始まっていました。

それは、私自身が人生を楽しく生きる為には必要な体験で、つまり身軽になる為の旅だったのでしょう。

 

人生とは、年と共に、重荷を持ち続けながら……更に、その重荷を抱えていくことが美徳として生きる事?!

それとも、人生は、重荷を外していく事?!

どうやら私は、この旅を通じて後者を選択したようです。

 

神社参拝とは?

神社に祀られている鏡、まさしく、【我が身を観る鏡】(か・が・み)真ん中の()を取ったら(かみ=神)

拝してみるのは、我の内側。

損得で生きるのではなく、本音と建前で生きるのでもなく……

では?

私の中に教えてくれる(内鏡)真実、真我、真心。

どんな表現でもよい、その我の内側の、ものさしをしっかり定めて生きる!

 

神社参拝は、自我の祈りだけや願望ばかりの欲にとどまる事なく、自身の内側の浄化である。その事の意味を教えてくれた2年前の10月。

日本の神々が出雲に集まり、日本全国の神々がいなくなる。

しかし出雲に神々がいらっしゃる。

無は、有である。

つまり宇宙を現す。空であり……

私の想いはとどまる事なく、秋深まる10月に想いを馳せていくようです。

 

いずれにせよ、高千穂から頂いた、私どものサロンの石は、まさしく、神社参拝のように心身の浄化! 清めます。

10月身軽になりましょう。体の中の大掃除!

高千穂の石は、意思を持って皆様をお待ちしております。

清々しい心身になりますように祈りを込めて……    m(__)m

2020年9月

日中の蝉の声から、夜は鈴虫。

季節の変わり目に晩夏と初秋を感じる贅沢な時間を共有しています。

 

けれど、明らかに変化している、風の流れ雲の表情空気感秋の香りを感じながら想うことは、私達日本人の精神性を育ててくれたのは、やはり四季折々の大自然。

 

暫くしたら、紅葉を迎えていきますが、世界の国々の秋の紅葉は、日本に勝る美しさはないと耳にした事があります。

日本の紅葉は、グラデーションの美しさと伝えられています。

他の国々は、いきなり、赤!……いきなり茶色!・・・など、優しいグラデーションはないようです。

 

きっと日本人の性質もこのような大自然から導かれ、太古の昔から育まれてきたのでしょう。

もの事をハッキリ言う外国人。

曖昧な日本人。

どちらが良いとか悪いとかではありませんが、

日本人の性質を、意識の行間として現したら、様々な意識の色を少しづつ重ねて、優しさを紡いでいるように感じます。

 

【艶】

 

豊かな色と書いて【艶】

色とりどりの繊細な意識の色を重ねて表現をする。

 

日本人の文化にも他の国にない、丁寧さや、深い慈しみや、優しさが備わっていると感じます。

私も様々な国を旅しましたが、帰国して日本人の顔に出会ったら「ほっとする❤」

そんな瞬間を何度も空港で感じた覚えがあります。

 

様々な観点から、日本から世界に人類へと繋いでゆくものも、やはり、たおやかな精神性なのだと思います。

 

人類の変化の時

様々な情報が行き交う中で、私達は、自身の内側に流れる自分軸(純粋な意識)から外れることのないように、これよりの歩みを進めていきたいですね。

 

 

心と体も、暑かった夏の調整に入ってくださいね。 ご自愛ください。

9月も宜しくお願いいたします (^.^)m(__)m

2020年8月

空をみつめて……

 

休日久しぶりに空を見ていました。

空を見ていると幼い頃の夏休みを思い出します。

 

宿題は後回し、日記もためて書き、科学研究は3日で終わり……ただただ遊ぶ事だけに没頭していました。

川に行き、野山を駆け巡り、子供の頃は何の迷いもなく無我夢中の夏を過ごしたように思います。

どんなに遊んでも疲れない、そしてワクワクの中で就寝。また翌日の朝はワクワクの中で起床。

 

子供の頃は、単純で純粋で「あの時に戻りたい」なんて思います。

 

しかし空をみていたら、いつの間にか思考がとまり、私は、タイムスリップ。

 

甦る「心の絶景」

 

村を一望できる高台から田んぼの水がキラキラと輝き、懐かしい優しい風が頬を撫でていきます。

私の傍らには白い犬。一緒に、草むらに腰かけて時を過ごす……

 

草の匂いや、花の香り、虫の鳴き声、蝉の合唱。

母の割烹着から爽やかに漂う石鹸の香り、父から漂う木の香り……夕暮れが近づき兄弟と遊んだ時代が甦る。ふいに涙がこぼれ落ちそうになって

そして斜陽に照らされて私の故郷は美しく染まっていく。

 

家路に帰る私の後ろ姿は郷愁に満ちて、懐かしさと共に夢から覚めて、空を見つめる。

 

少しの時間、夢うつつの中で私が私を故郷に誘ってくれた事に氣づき、意識が、ここに戻ってきました。

 

少しの時間の過去の旅。

こうして、リクライニングチェアーから夏の色を感じながら……「今」見つめ始めています。

私達は、今大きな転換期を迎えています。

 

本年は、コロナ禍で様々な意識のバランスを崩し、水害の辛さを味わい、梅雨明けの遅さと日照時間の少なさから様々な不具合が起こっています。

私達人類は、優しい自然に甘えてきたのでしょう。

山を崩し、川の流れを変え、自然破壊。

生産性を生む為の経済中心の資本主義。物質中心の唯物論的な思考。

競争原理に陥った生活。格差社会。

利己的な人間の意識。

様々な所に歪みが始まり、自然界の豊かさを無視してきた人類の歩みをみつめて(もちろん私もその世界で生きてきた一人)、私達一人一人が足元からこの歪みに氣づき、厳しい自然を肌で受け入れていく時に入ったように感じます。

 

人間の意識の変容を願っている地球の声に心の耳を傾けて、

「人々は助け合って生きていく」母なる地球はその事を願っているのでしょう。「結びの精神=結の心」合理的な意識は終焉なのかもしれません。

昔懐かしい、人々が自然と共に生きた歩みの中に、私達の心の世界に息づいている、確かな自然回帰があるのでしょう。

 

現実、人の動きが制限された今だからこそ、外に向かう意識ではなく、「内側の豊かな心を育ててね。」とそんな風に自然界からのメッセージと捉えて。

 

 

私は、この夏を思いっきり、夏休みを過ごす少年少女のように、無邪気に空想や創造の世界を大切にしながら、過ごしたいと思います。

きっと道は開ける!

開いている!

 

童心に帰る大人

             毎日がワクワクの夏休みのように……

 

      

 8月も宜しくお願いいたします。(^.^)m(__)m

2020年7月

七夕の季節がやってきました。

幼い時に作った七夕飾りを思い出します。

短冊に願いを書いて、皆で歌った「笹の葉サラサラ~~金銀砂子」

何だか静かなワクワクを感じていましたが、それは、見果てぬ宇宙観だったように思います。今も七夕の季節になると、夜空を見上げる私がいます。

 

先日、私の姪が、子供を通じて体験した話を伝えてくれました。

 

「夫婦喧嘩を子供の前でしない」そう決めていたにも関わらず、感情を抑えられず、しかも泣いてしまったと……。すると、子供が、置き場所が分からないはずのタオルを見つけて持ってきて、自分の涙を拭いてくれ、更には、パパが、その我が息子の姿をみて泣いてしまっていたら、なんと今度はパパの所にやってきて涙を拭いてくれた……

 

そんな、1歳8ヶ月位の幼子の話を聞いた私は、胸がうたれ涙が溢れました。

 

同時に以前マザーテレサの本に書かれてあった、幼子の体験を思い出しました。

 

「私の孤児院で、お砂糖が全くなくなってしまった事がありました。すると小さな男の子が、どこでどうしてなのかわかりませんが、マザーテレサのところにお砂糖がない、と聞いたのでしょう。その子は、うちに帰って両親に言いました。ぼくはこれから3日間お砂糖はいらないよ。そのお砂糖をマザーテレサにあげるんだ。

3日後、両親はその子を連れて私達を訪ねてきました。彼の手には、小さなお砂糖のビンがありました。その子は名前すら発音できないほど小さな子でした。

けれど、その子は私に教えてくれたのです。大切なのは、どれだけたくさんあげるのかではなく、どれだけ愛をこめるか、ということを。」

 

2020年を迎えて間もなく、世界も、日本も、変化を余儀なくされています。

そして私達の足元からの生活が一変しはじめました。

これから先、どうなるのだろう?と、不安や恐怖と向き合うマインド。しかしこの現実を通じて私達が築き上げてきた、当たり前と思う常識が崩れ始めています。

 

……想うことは、マザーテレサが語った「分かちあい、支えあい」

生前語られた様々なメッセージの中に当たり前と思うこの内容を、今、氣づき、活かす……そんな時なのではないでしょうか。

 

子供の眼には、枠組みがありません。

無償に与える……

世の中は、奪いあいの歴史から、与えあう今に変化していくのでしょう。

 

七夕に願いを……

今こそ、自分欲の願い事ではなく、誰もが幼子のように持つ無償の愛の宇宙観を立ち上げたいですね。

きっと、そんな難しいことではないのでしょう……

 

七月も心身共に健やかな皆様でありますように願いをこめて。

 

               ~*-☆.o○☆‥★              m(__)m

2020年6月

夏の日差しを感じるこの頃ですね。

皆様はお元気でお過ごしですか?

 

今もなお続くコロナ問題。意識はそこに振り回されます。

世界の情勢はどうなっていくのか……

 

今年、私達は、これまでに経験した事のない先の見えない不安に包まれています。

しかし、個人の人生において、人類の歩みで意味の無いことはないと私は見つめています。

確かに辛いです。人類全ての人に人ごとではありません。

ここに私は、キーワードがあると感じています。

 

今迄も、日本や世界で災害や震災が起こりました。辛さは感じても、体験した当事者でなければ、自分の本当の痛みとして受け取る事は中々難しい事のように思います。

しかし今回のコロナ騒動は、全世界の人々に影響を及ぼしております。

 

このような現象から紐解き始めて、感じる事が多々あります。

今迄も人間の様々なエゴから作り上げた環境問題・破壊。

それ以上に間近に現れたコロナ。

 

私は、裏を返せば、人間の心と魂の救いなのではないかと思います。

今迄見つめる事が出来なかった様々な感情や氣づきを、必然的に準備されたように思います。

 

私達人類は何の為に生まれて、何の為に生きているのか?……

 

経済は大切です。しかし、人間はもっと大切です。

更に、自然界、様々な万物達も大切です。

 

そこの視点に立ち返る為のプロローグ。真の始まりのような氣がします。

 

 

ダライラマの言葉を借りて表現します。

 

【私達は、自分だけのため、自分の家族だけのため、自分の国家だけのためにではなく、人類全てのために働くことを学ばなければなりません。】

 

【すべての生きとし生けるものを慈しむ心は宝のように尊い感情であり、私達自身の幸せの源です。】

 

【全人類が、兄弟姉妹だと想うことです。】

 

ウィルスは、感情を持つ存在と言われます。

人間は、喜怒哀楽という感情を持ちます。

 

私達人類の歩みに対して、愛の刷新の為に現れた新型コロナウィルスではないでしょうか……

 

世の中でも、助け合いが起こっています。反する場面もありますが……

月並みな表現かもしれませんが、人類は助け合いで生き抜く事が出来るのではないでしょうか。

 

経済至上主義。資本主義との間に必要な、失ってはならない心の持ちよう。

 

ダライラマだけでなく、私達ひとり1人の奥底に眠る【無条件の愛】

 

地球という同じ惑星に住んでいる一つの人間家族。

 

今、私達に求められている【人類はみなひとつ】

 

悲劇を回避する究極の答えなのかもしれません。

 

 

改めて、大切な一日を一期一会と感じながら歩みを進めて参りたいと想う

この時です。

 

一年の半分の月に

新たな歩みを始めていきたいものです。

 

健やかな6月を、お迎えください。

 

 

                      m(__)m

2020年5月

風薫る5月を迎えました。

 

季節の中でも一番過ごしやすい季節ですね。

ですが、世界も日本も、生活全般が変化の時を迎えております。

 

昨年の5月は令和元年を迎えて私達日本全体が祝賀ムードの中におりました。

そして、今迄にないほど日本は、喜びと高揚感の中に、新しい元号と、新天皇即位に期待に胸をふくらませておりました。

しかし、現在は、今迄にない試練を味わっているように思います。

 

令和の持つ意味? チベットでは、【希望】を意味する元号といわれます。

 

大きな変革の前に訪れている現象をどうとらえるか。

分かりやすく表現したら、【家を建てるには、古い家を壊さない限り、そこに新しい家を建てる事ができません。】

そのように見つめたら、このコロナ現象は、暫く痛みは伴いますが、痛みと共に皆が支えあい、分かち合う、そんな準備の時代の前触れなのでしょう。

痛みは誰もが避けたい……当たり前のように思いますが、これまで人類は痛みから学びを得てきたはずです。

今、経済や、医療や、教育や様々な内容が変化しています。

内側は確かに揺れていきますが、この痛みの向こうに確かな扉が準備されていると確信を持ちながら、支えあって越えて行きたいと誰もが思うでしょう。

 

新たな天皇を迎えて、日本が輝きを増したあの瞬間。

私達日本人の魂に、令和を象徴する意識、【大調和】を密やかに目覚めさせてくれる出来事が、今のこの時なのかもしれません。

 

また、当たり前に出来ていた事が出来ない。

そのような想いから、改めて、私達の心の内側にある、真の感謝が立ち上がります。

 

これまで、私達は嫌な事があると、素直に見つめる作業をしないで、時に流されてきたようにおもいます。

 

自分の心をはぐらかし、快楽主義の人生を生きてきた、そんな私達人類に、今こそ意識の刷新も起こっているのではないでしょうか。

真の自分と誠実に向き合ってこなかった事を悔い改めながら、今出来る事を内側に訪ねて、心を楽しく豊かに皆で支えあって乗り越えて参りましょう。

 

皆様、どうぞご自愛くださいませ m(__)m(^.^)

2020年4月

桜の美しい季節。

本年は、当たり前になっていた桜を愛でる桜宴会もなくなりました。

 

今、世界的に蔓延しているコロナさんは様々に影響を及ぼしておりますね。

皆様の生活はいかがでしょう?

 

この現象を通じて感じるのは、当たり前に過ごしていた全ての生活基盤が実は当たり前でなく、つくづく私達は様々な支えの中で生かされていたのだと。

 

海外のコロナさんの猛威はヨーロッパ、アメリカで医療崩壊を招き、インドでは封鎖から失業者の暴動。第三諸国は衛生的でない環境を危惧する感染拡大。

日本もこれより、刻々と事態は変貌していくのでしょう。

 

令和二年は、新たな時代を創造する為のタイトな時を迎えているように思います。

私はこの時代に生きながら、非常に私の内側からストレスを感じていました。

それは経済至上主義! 又、格差社会。世界のいたる国々の貧困。競争社会。

どれをとっても苦しく感じておりました。

この世の中の通念を変えるどころか、そこに帰属しなければならない現状を打破する術もなく生きてきました。しかしながら私だけでなく、この時代に世を受けたことで、何かしら感じておられる方は多いのだと思います。

だからといって、どこかに、誰かに、責任転嫁する内容でもありません。

 

なんだか大きな事を言うわけではありませんが、人類の生きざま、価値転換を変革させる時に入ったように思います。

 

もちろん犠牲はあってほしくないのですが、私達一人一人の意識変革から全てが変容出来ると信頼したいと思うこの頃です。

多くの物理学者、科学者の方々が素晴らしい発見や発明や、新たな扉を開かれたりしています。その世界が私達万民に必要なのではないかと……

たとえば、難しい事はわかりませんが、量子力学の内容を表現しましたら・・・

目に見える全ての物は、素粒子で出来ている。電子顕微鏡でみると、最後は原子になって更にみていくと、もっと小さい素粒子になる。その素粒子をみていくと、間がある。隙間があいている。……ということは物質はスカスカの空間。

量子力学では普通の事。観察する人の意図に従い、素粒子は消えたり現れたりする……。このように私達人類が共同で見つめる先が、素敵な意図を込めれば、想いが一つであれば全てが変容していくのではないでしょうか。

目に見えない世界の観点からの表現は、物質文明を築いた私達人類には中々わかりにくいかもしれませんが、誰もが知っている般若心境の、「色即是空空即是色」に至るように思います。

 

私達が、今どんな意図をもつのか?

そんな事が問われている氣がいたします。

難しい事をお伝えしたいのではありませんが、

このように量子力学の世界を私達が活用できたら……と思います。

 

では、私どものサロンでは何をしているかをお伝えしましたら、

今の現象を現実に落として対処をしています。

 

サロンでは、身体に害のない、化学物質を使用しないコロナさん対策。

コロナに負けない免疫をアップするお茶をお出しして、更に、マスクの内側につけるウイルスをアウトする布をご紹介しています。

 

コロナを通じて私達は、ただ、不安・心配・恐怖に怯えるのではなく、沢山の当たり前と思っていた事が当たり前でないことに氣づき、改めて生活の中で、生きること、生かされていることに感謝を育んでいけたらと思います。

 

この4月も、しっかり地に足をつけて、

サロンでは、免疫アップのサンドバスと、マスクに隠れたスタッフの笑顔で皆様をお待ちしております。             (^.^).o.o○   m(__)m

2020年3月

暖冬から春へ

早いもので三月を迎えました。優しく感じられる春の空気感も、例年とは違い、日本全体に緊張感が流れています。

 

様々な立場で、決断と方向性を余儀なくされております。

世界を動かす意識はコロナウイルスの情報。

いずれにせよ、誰もが足元から選択しなければならない方向性は、他人事ではありません。

 

非難や批判!

でも……落ち着いて、感情的にならず、「あなたならどうしますか?」

 

今こそ、立場を変えて……

立ち位置を変えて……

ポジションを変えて……

 

全て同じ意味ですが・・・

相手の立場に視点を変えて……見つめる意識力が必要とされている氣がします。

 

前代未聞の時を迎えている中で、私達が出来る事は意識のバランスしかないように思います。

誰のせいにも出来ない事を・・・

 

時勢を感じながら、しっかりと個人として対処しつつ、心の在り方をしっかり持ち、魂の成長と進化の為に、今様々に置かれた処から支えあい、分かち合い、非難や批判を抜きにして、愛の実行が出来たらと思います。

誰においても、不安・心配・恐怖の感情は現れてくるはずです。

でも、その意識にドップリ浸かってしまっては、心と魂の成長と進化ができません。

 

宇宙からみたら、私達人類が今こそ、目を覚ましてください!!!

そんなメッセージを頂いているように感じます。

 

ワイドショーや、国会答弁を見ながら思います。

私達一般人も足元の生活から、ただの非難にならないように・・・

そして、こんな時だからこそ思い出すのは、マザーテレサ。

様々な伝染病患者と向き合って、死にゆく人々の支えになり、介護をし……何故、まったく医療体制が整っていない中でマザーテレサは、感染しないでいられたのか?

きっと人間なら誰もが持つ普遍的な愛を示したマザーだからこそ、この世の常識を越えた、超意識の世界と繋がり、源からサポートを受けていらっしゃったのですね。

足元にも及ばない、そんな想いがやってきますが、人類に確かな足跡を残してくださったマザーテレサを偲びつつ、気持ちを改めながら一瞬一瞬を大切に生きていきたいと思う日々です。

 

氣づかせて頂いています、コロナウイルスに。

 

 

                      愛と

                           祈りと

                                 感謝を込めて……

2020年2月

立春を迎えました。

待ち遠しい雪国の春。

しかし日本海側の上越は、雪がありません。山々に少し……

暖冬といえども、本来の四季折々の風情が楽しめないのも寂しいものですね。

 

新しい年を迎えて世界の色々な変動を感じますね。

イギリスのEU離脱。イギリス王室からヘンリー王子離脱。

中国の武漢から発生したコロナウィルスは、世界に広がりをみせ、日本にも上陸。

オーストラリアの長引く森林火災。アメリカ大統領選挙。

足元の日本では、様々な事件。人が人を殺めていく……そんな事は、昔余りなかった世の中でしたが、今は氣づけばニュースやワイドショーで流れています。

又、様々な詐欺の多発。更に自然災害。

 

私達の歩む人生にネガティブな内容ばかりが拡大化されておりますが、本来はもっと素敵な人間関係や、ボランティアなど素晴らしい歩みをされている人々が沢山いらっしゃると思います。私の人生でもそのような歩みを率先して働きかけている方々に出逢いました。

日本は、優しい国家です。目の前にオリンピックを控えております。

平和を願う国家。日本はそのような想いを見つめてきた国だと感じます。

オリンピックで世界の人々と豊かさを繋げていけたらと祈ります。

世界的イベントのオリンピック開催は、日本にとっても、本年が大きな変化の年だと感じますね。

いずれにせよ、世相を感じつつ流されない自分を育てていきたいと思うこの頃です。

 

世界で人類に起こる事は、全て私達の内側の反映と言われます。

私達は、全体の中で生かされています。

けれど、私という個体が全体を動かしているとも言えます。

それは、全てが繋がっているという事。

私は今年に入ってから益々そのように感じます。

 

先日ビートルズの【イマジン】を聞いていました。

涙が頬を伝います。

その頬に流れる涙をぬぐう事なく何度も聞き入っていました。

 

紙面ではメロディーをお伝え出来ませんが、多くの方々がご存知ですね。

 

ここにイマジンの詞を綴ります。

どうぞ、私の一人言を読んで下さっている方は、メロディーを感じながら詞をお読みください。

 

            二月も宜しくお願いいたします。<(_ _)>

 

Imagine/John Lennon

 


想像してごらん  天国のない世界を
やってごらん 簡単なことさ
僕らの足元に地獄はなく
見上げれば空が広がっているだけ

想像してごらん 今日という日の為に生きている 全ての人々を

想像してごらん 国や国境の無い世界を
難しいことじゃないよ
何かのために殺したり 死ぬこともない
宗教だってないんだ

想像してごらん 平和に暮らしている 全ての人々を

理想を語っていると 君は言うかもしれない
でも僕一人じゃないはず
いつの日か 君も仲間になってくれるといいな
そして 世界は一つになるんだ

想像してごらん 所有できるものがない世界を
貪欲になったり飢える必要もない
人はみんな兄弟で仲間なんだ

想像してごらん 全ての世界を分かち合う 全ての人々を

理想を語っていると 君は言うかもしれない
でも僕一人じゃないはず
いつの日か 君も仲間になってくれるといいな
そして 世界は一つになるんだ

2020年1月

新年明けましておめでとうございます。

本年は暖冬といわれ、各地では初日の出が美しかったようですね。

一瞬をとらえた初日の出の写真が、各地から送られてきました。

 

さて、本年はどんな年になるでしょう……

それぞれの人に物語があって、それぞれの国々にも物語があって、比べる事の出来ない月日を過ごしております。

 

本年がどのような年になり、自分は幸せに生きられるのだろうか?

誰にも訪れるマインド…   このような想いは疲れますね。                                           では、どのようにしたら?

楽に生きられるの?

結果論からすれば、マインドの解放しかありません。

思考は、過去や未来に連れ去り、今を生きる事が出来ません。

今を生きる、今の自分に正直に生きる。

過去を振り返らず、未来を見つめて不安になることなく、ただただ今に生きる事。

水平軸の見つめ方ではなく垂直軸でいられたらよいのでしょう。

思考で生きるのではなく、直感で生きる。

 

では、その直感で生きるとは?

私は何年もこのテーマに取り組んできました。

最近やっと腹に落ち始めたように感じます。

これを説明に入ると大人は迷宮に入ってしまいます。

 

一番簡単に表現をすると【幼子になること】それしかありません!

あの美しい目に思惑のない純水な眼

物事を難しくしてしまった大人は評論家になってしまいました。

単純に感じた感覚を大切にしながら生きる!

それが一瞬一瞬をとらえる積み重ね……いつの間にか今を生きやすく、今を生きられるようになる。

人の評価や人の目を氣にすることなく、自分は自分でいられる。

そんな集合体が幸せを築いていくのでしょうね。

 

直感を立ち上げると、人生は生きやすくなる!

本年の更なる取り組み!

 

皆で幼子を目指して参りましょう……❤

一瞬の美しい日の出をとらえるように。

 

どうぞ本年も宜しくお願いいたします。m(__)m

2019年12月

師走を迎えました。2019年も、あと残りわずか。皆様いかがお過ごしですか?

 

先日テレビで、シリアの北東部の激戦の映像をみました。多くの人々が追いやられ住む場所を

失い、8年も前からの紛争の中で、今も苦しんでいました。

その映像を見つめながら感じます。

人類は戦争から戦争の歴史。止まる事のない戦争の歴史だと。

 

日本も数々の戦争体験の中から学び、日本国憲法第九条・戦争放棄して、

今日がありますが、今憲法改正が騒がれています。日本はどこに向かうのでしょう。

 

私達は、日常の生活に足を取られ、心を奪われ、感情の渦に入り込み、個人の生きる歩みだけで精一杯に感じます。豊かさとはなんでしょう?

 

私は改めて感じるのです。

長いようで短い人生。 何の為に、どこに向かって生きているのでしょう?

物質主義の人類の在り方はもう終焉に近づいているのかもしれません。

ここ最近続く、世界の各地や、日本のいたるところで起こる自然災害……

「目覚めなさい!」という地球からの警告なのかもしれません。

 

私は、ある兵士の祈りと出会わせて頂きました。

この詩は、私の内側に変化をもたらしてくれました。 ご紹介いたします。

 

『グリフィンの祈り(ある無名兵士の祈り)』

 

~(アメリカ南北戦争時の)南軍無名兵士の作と伝えられる~

 

大きなことを成し遂げる為に、力を与えて欲しいと神に求めたのに、

謙虚さを学ぶようにと、弱さを授かった

偉大なことができるように健康を求めたのに、

より良きことをするようにと、病気をたまわった

幸せになろうと、富を求めたのに、 賢明であるようにと、貧困を授かった

世の人々の賞賛を得ようとして、成功を求めたのに、

得意にならないようにと、失敗を授かった

人生を享受しようとしてあらゆるものを求めたのに、

求めたものはひとつとして、与えられなかったが、

願いはすべて聞きとどけられた

神の意にそわぬ者であるにもかかわらず、

心の中の言い表せない祈りは、すべて叶えられた

私はもっとも豊かに祝福されたのだ

                  祈りの12月に心を込めて 

 

2019年11月

晩秋になり、初冠雪を迎える季節に入りました。

本年も走馬灯のように過ぎ去っていくように感じるのは私だけでしょうか?

 

新たな元号を迎えたばかりと思っていましたが……

「何をしてきたんだろう?」

「何を達成したんだろう?」・・・という想いが。

次の瞬間、そんなことはどうでもよいことだと、思考の働きに一瞬で氣づき、

それに氣づける今の自分が嬉しいのです。

「よく氣づいたね。その意識に支配されないでね。」と自分に語ります。

 

人間は大変ですね。

私達人間は思考が心だと勘違いをしてしまうようです。

思考が優先! 常に優先! 分析ばかりをしている自分にも氣づかず、そんな状態か続くと感覚が追いやられ、全て思考で判断する人生に陥る。

そして、時間に支配されて「あなたはどこにいくの?」

いつも心の置き場を忘れて、不安・心配・恐怖の中に入り込み、我を忘れて

回りの意識に支配され、いつのまにか本質の自分をもコントロールをしてしまう。

そんな事に氣づけるようになった自分を嬉しく感じています。

 

最近私は、今の自分の心にこんなふうに問いかけます。

「気持ちよい心を選択していますか?」

するともう一人の私が「わかりました。感じてみます!」

 

私の内側で一人芝居が始まる。 観客は私。

結構、私を気持ちよい方向に持っていってくれます。

真実の自分に出逢う。思考停止の子供のように童心に返れるのももう少し。

 

冒頭に記した、「何をしてきたんだろう?」「何を達成したんだろう?」

そんな想い(重い)の人生はどうでもよいのです。

 

【今】に生きれる!

無邪気な子供になる。それが素敵な大人なのでしょうね。

 

本音や建前で生きるのではなく、計りごとも策略もない、嘘や方便もいらない。キラキラした幼子の目が語ります。

 

平和を創るのは我が心のあり方から。

 

 

晩秋に想いをはせて……11月も宜しくお願いいたします<m(__)m>

2019年10月

小さな幼い頃のお話……

 

小学校二年生の頃、私は「泣いた赤鬼」の絵本を読みました。

 

涙が止まらない……

胸が震え、張り裂けそうな小さな私。

 

時々思い出す、この絵本と私の感情。

「泣いた赤鬼」を思い出す度に私は小学二年生になります。

 

悲しみと辛い感情がやってきます。

そして、感謝の感情も現れます。又、犠牲の辛さも感じます。

 

人間と友達になりたい一心で努力する赤鬼。けれど、赤鬼の容姿から怖い存在と定義づける人間たち。そこに、青鬼が、孤独を味わう赤鬼の想いに添えて力になる。お陰で赤鬼と人間は仲良し……でも当の青鬼は……

私はこの結末に幼い心を震わせました。

 

以後、小学四年生になって、いじめられてる友達をみると、いてもたってもいられず、だからといって、言葉も出ない、そんな私が勇気を持って出来たことは、いじめっ子に「眼を跳ばす」ことでした。いわゆる「願(意識)をとばす!」精一杯の訴えだったのでしょう。

幼い頃の素直な感情を記憶する私は、大人になり、誰もが通過する……

素直になれない感情や、本音と建前で生きる事の切なさや、利害関係が絡んだ人間関係の複雑な感情を辛く感じてきました。

 

けれど私はやっと、今はさまざまな体験を経て

しっかり自分と向き合って、私の中心を大切に育て生きています。

時として流され溺れてしまう、偽りの感情。

私は勇気を持って小学二年生の私と向き合っています。

 

小学二年生の懐かしい私が、教えてくれた純粋意識。

私を育ててくれた、人間関係。

 

【自分を育てる】 

これは生命を持ったからこそ人間として当たり前の事なのかもしれません。

 

 

幼い小学二年生の少女の私の魂は、健在に私を育てて導きます。

時として父の厳しい愛で……時として母の慈愛を含んで……

 

                   小学二年生の少女より    (^.^)m(__)m    

2019年9月

暑かった夏も通りすぎ、初秋を迎えました。

 

毎朝ベランダから野山を見つめています。私の楽しみのひとつです。

当たり前の事ですが、毎日同じ風景ではない事に新鮮さを感じます。

太陽がさんさんと照りつける時も、雨降りの時も、雨上がりの時も、曇り空も、雪の降る日も、風の強い日も……

 

日本は豊かな季節感と風情を持つ国ですね。

いつも、海外を旅して帰国すると、日本って素敵な国だなと感じます。

とは言っても……世界を旅したわけではありませんが()

感じる事は、四季の彩りの豊かさだったり、気候や季節で感じる事が出来る情緒性だったり……

「日本人なら誰でも持ち得る素晴らしい感性が宿っているのだろう」と、実はベランダから眺める風景をみつめながら感じるのです。

様々な観点から日本の技術、建築、土木、精密機械……優れた感性があるからこそ、形に具現化出来るのだと感じます。

感性を育てるのは、この豊かな大自然。

 

けれど、私の内側に矛盾を感じる事があります。

日本人は、優れている? でも、矛盾だらけ……素晴らしい感性を知らない間に育ててくれた大自然を、……壊していく!壊れていく。

今ハッキリ言える事は、どんな素晴らしい技術を持って様々なものを開発しようとも、絶対人間の力で出来ないものは、この大自然を創造する事です。

 

世界でも日本でも、様々な災害が始まっています。

私達の足下から氣付いていかなければ、私達を育ててくれている地球の存在が危うくなっているように思います。それは、繋がっている地球との存在、いわゆる自分の体を痛めつけていることになる私達。

その事に真摯に向き合って行かなければならない時がやってきたように思います。

 

手遅れにならないように……

受け継がれてきた、日本人の繊細な感性と純粋な魂を守り育てたい……

 

そんな想いが立ち上がり

ベランダから見える風景をみながら感じる……私の内側の世界です。

2019年8月

  

暑い日が続いておりますね。夏バテはされておられませんか?

 

私は、夏といえば、花火が大好きだった父を思い出します。

夏休みは家族で花火を楽しみました。

田舎では、大きな花火大会があるわけではありませんが、たまに父は「花火を見に行くよ」と言って連れて行ってくれました。

小さな私は、父の大きな手にひかれワクワクしながら山道を歩きました。

幼いながらに、何で山道を歩くのかしら?と思ったものです。

高台に連れて行かれ……「ここでみるの?」 「そうだよ!」と父。

なんとはるか彼方に花火がみえるではありませんか。山の高台から何十キロも離れた高田平野の向こうの直江津の海から上がる花火でした。

なんて小さい!しかも音は、随分してから耳に届きます。

幼い私は、花火はそんなものだと思っていました。

可愛い浴衣を着せてもらい、タヌキや狐や熊が出て来そうな誰もいない山奥で、家族と花火鑑賞。……今から思うと笑ってしまいます。

 

そして花火鑑賞で覚えていることは、誰よりも父が子供のように楽しんで、微笑んで、花火をみている姿です。それが胸に焼き付いています。

それは、私が花火を楽しむと言うよりも、喜んでいる父の姿を見て、私自身が喜びを感じていたのです。

幼い頃の一幕の記憶を手繰り寄せ、客観的に自分をみると、子供は純粋で、人の喜びを自分の喜びとして感じ取っているんだと、父との思い出を通じて感じます。

 

夏休みは子供に取って大切な情緒を育てる時なのかもしれません。

今の子供達の夏休みはどんな過ごし方かわかりませんが、私の時代は、花火のこんな思い出や、朝早くから兄と弟とカブトムシを捕まえにいったり、川に遊びに行ったり……自然の中で過ごしたものです。

 

お陰さまで大自然から感性を育ててもらったように思います。

私は、今更ながら父に感謝です。星空の山道をテクテク歩きながら稲の香りを感じ、草の竪琴、夜風の涼しさ、深淵な夜空。

全ては花火を超える想い出です。

 

こんな思いに浸っていたら父が三日前に夢に現れました。相変わらずの山高帽をかぶり金歯をキラッと光らせて笑って消えていきました……

 

【大人になっても鮮明な夏の思い出。花火以上に、色褪せることなく、私の胸の奥でキラキラ輝いています。……お父さんありがとう。】

 

                    盛夏

2019年7月

ひと雨ごとに、緑の鮮やかさ美しさを感じるこの頃ですね。その反面梅雨は湿度も
高く心身のバランスを意識的に整える大切な季節に思います。

盛夏を迎える前に、自然界は充分な水分補給が必要な時期でもあります。
氣をつけなければいけないのは水の滞留。
湿度は心身のバランスを崩します。
体内に入り込んだ水分の水捌けをしっかりしておかないと体に不具合を起こします。
分かりやすく例えれば花瓶の水と同じですね。
水を替えなければ花瓶の水が濁り淀み……悪臭を放つようになります。
私達の体の水捌けもさることながら、もっと重要な事は意識の水捌けです。

この季節は自律神経も崩しやすく体に変調をきたします。
気をつけるポイントは、心を意識的に整える努力だと思います。
心の安定や穏やかさ。
私達はとかく外に目を向けてしまいます。人の目。それも大切な事ではありますが、
いつも周囲に氣をくばり、家族の事を考え、自分の事は後回し。
そのような見つめ方の延長は「自分という存在は大切」と言う、自己肯定感を得に
くくなり、心も常に揺らぎやすくなります。
自己犠牲に基づく他者への貢献は長続きしません。

では、どうしたら良いのか?
私は最近、自らの意識を客観的にみれるように丁寧に生きることを始めています。
もう一人の自分をイメージの中で作り上げ、考えから来ているのか?ハートから来
ているのか?観察します。
ネガティブマインドもポジティブマインドも両方を感じて、心地良い方を選択しま
す。だからと言って、ネガティブマインドも否定せず、「そうだったんだ」と認め
ます。
今起きている事をあるがままに氣づき認めて、事の内容に溺れないよう、ドラマを
観察するように眺めます。

以前の私は、ドラマに入りこみ過ぎて心身のバランスを崩しました。
自分を意識的に生き、丁寧に生きると、小さな幸せを感じられる幸福度が増してき
ます。
季節はある意味潤いの季節です。
深呼吸しながら、ゆっくり自分の内側に入る(瞑想)
などしていくと、自分自身の心を感受できるように
なり、この季節のように潤いがやってきます。

潤いは、人から与えて頂くものではありません。
自慈心から育っていく慈愛心。
そんな風に思います。
又、体の水捌けには、サンドバスが最適。
皆さんの心身を大切に見守る「ゆりの森」 7月も宜しくお願いいたします。

この季節、共に心身の持ち方を見つめてまいりましょうm(__)m

2019年6月

早いもので既に半年となる6月を迎えました。

改めて月日の流れの早さを感じております。

桜が楽しみと思って過ごした春先から梅雨時期を迎えようとしております。

 

季節の変わり目に感じる想いがあります。

それは、幼い頃に父が教えてくれたお話・・・【竹の節越え】

 

私は竹のしなやかさが大好きで、七夕になると笹竹飾りを楽しみにしていたものですが、いつも竹竿を見て、節があるのは何故なんだろう?と思っていました。

そんな私に、父が

「竹も大きくなる為に竹の節越えがあるんだよ。ひとつの節を越えるのに、竹も一生懸命越えて伸び、又節越えがやってきて親竹になるんだよ。節を越える時は、少し辛いんだ。でも竹は、その痛みを越えて親竹になるんだよ。」

そのように諭してくれました。

 

材木屋を営む父は、木の年輪の話もしてくれました。

「年輪は人間の年齢と同じ。成長の記し。

植物にも、みんな心があるんだ。意識だね。

だから、「芯」という文字は草冠の下に心と書くんだよ。」

当時の幼い私にとって、印象に残る話でした。

 

こうして大人になって、改めて、あの頃の父の諭し話が胸を打ちます。

とても響くのです。

 

幼い子供の頃は、人生の体験がありません。

けれど、今になって思うことは、幼い我が子が人生を歩み、必ずやってくる試練や痛みを越えてほしい……そんな親心から父は伝えてくれていたのだと。

そう思って自然界をみるとなぜだか涙が溢れて仕方ありません。

 

父は、空から「自然に学びがあるんだね。」と語ってくれているようです。

自然界に導かれ人生を育む……

自然界には調和しかない。

 

そんな事に今更ながら氣づける自分に、「お父さんありがとうございます。」

「大自然に感謝をいたします。」

 

そんな想いで手を合わせている私がいます。

 

                                  合掌m(__)m

2019年5月

新天皇即位……201951

 

元号……【令和】

 

新しい時代を迎えました。

おめでとうございます。

 

日本は、「日の本」という光の根源を意味する尊い国だと感じております。

平成天皇の退位に伴い、明仁天皇、美智子皇后の歩みをメディアを通じて沢山拝見する事が出来た4月でした。

 

本当にお二人のお姿は、日本国民に、人としての人生の手本を現し続けてくださった、真に光の根源を意味する「日の元」の象徴となる存在であられたと感じます。

沢山の覚悟と苦悩を公務の中に静めて歩んで来られたように思います。

その道のりは、私たちに国民には、はるかに理解を越えた歩みであられたと思います。

 

【和】の文化と言われる日本は、「調和」と「平和」を意味する国家。

言葉としては簡単ですが、お二人は、全国各地や世界の国々、に日本のその意味を体現して歩まれたお姿を示してくださったのだと感慨深い想いになります。

 

足元から「人として交わる」事を貫き通され、平成に様々な災害に見舞われた被災地でも腰を落とし、膝をつき目線を合わせ、私達国民に……

このうえない慰め、励ましを与えてくださいました。

 

これから日本は、新しい【令和天皇】と共に、平成両陛下の歩まれた道を誇りとして見詰めながら更なる精神性の豊かさを育てて行きたいと思います。

 

冒頭で表現させて頂いた「日の元」光の根源を意味する名称……その国号の如く、日本が基点となって世界に光(平和)が放たれる動きとなる事を願い、そんな自らを日本人として尊びたいと思います。

 

私共のサロンも、少しでも天皇両陛下の意思を担っていけたらと思います。

 

どうぞ、【令和】を迎え、ゆりの森をご愛顧くださいますように宜しくお願いいたしますm(__)m

2019年4月

四月  新年度を迎えました。

そして、平成最後の月になりました。

【見送る時~迎える時】=【感慨深い時】

新たな門出を象徴する年を迎える一年を迎えたように衿が正されます。

 

元号は、【令和】

411130……多くの人が新たな元号を待ちわびた瞬間だったと思います。

 

【令和】と発表された時、私は内側に清々とした風が吹いてくるように感じました。

又、ゆりの森のスタッフは、朝起きた時……発表されていないのに【令和】

を感じたようです。

又、店長は、発表された瞬間に涙が流れたと語ってくれました。

 

不思議ですね?

【言霊】なのでしょうか……

【令和】から、感じる内側の意識との出逢い。

 

【令和】は、チベット語では【希望】を意味し

【ラテン語】では、【神からのギフト】

そんな意味があるそうです。

「美しい寒さの後、美しく咲く梅の花の情景を描いた」歌、万葉集から~

 

必ず春がやってくる、自然の摂理。

いよいよ日本は、自然界から学ぶ【調和】の訪れを潜在的に願って、天が与えて下さったギフトなのかもしれません。

本来、日本人の奥底に流れる平和を願う意識は……いずれ【大調和】に人類を牽引する象徴的な出発なのかもしれません。

 

日本人の本来持つ、たおやかさ、優しさ、礼節……太古の天皇から受け継いできた内なる意識。来月は新天皇即位。私達日本人は、【令和天皇】と意識をひとつにして新たな時代を創造していくように感じます。

 

いずれにせよ、時代の変わり目を皆様と共に、尊びながら迎えていきたいですね。

 

 

四月、新たな気持ちを大切にしながら過ごして参りましょうね。

どうぞ今月も宜しくお願いいたします。                      m(__)m

2019年3月

いよいよ、お楽しみの春がやって参りました。

雪国の春はひとしお!……ですね。

季節の変わり目というのは、単なる暦の区切りではなく、エネルギーが大きく動くときを意味するようです。

 

春は新しい命との出逢いを意味します。

大自然が教えてくれています。木々の芽吹きは新たな命!新生児のような感覚を感じます。又、山々に山野の美しい小さな花……名前も知らないお花や、少女のような可憐なすみれや、園児のような可愛いタンポポ。

花々も、春の訪れを伝えてくれますね。

 

新たな大自然のエネルギーは、宇宙からのエネルギー

 

春分も目の前……

季節の変わり目は、エネルギーをきちんとチャージ出来るように、自分自身を整えておく必要があります。

 

毎日、お風呂に入り、体を洗いますね。お洗濯もしますね。

では、心はどうしていますか?

ネガティブな意識をお洗濯……そして手放す。

いつまでもネガティブ意識を大切に握っていたら、苦しくなりませんか?

そこで必要になるのが【心のクリーニング】

つまりこれが心の浄化です。

 

この時期は、様々な内容の反応も出てきます。

それは、眠さだったり、だるさだったり、鬱っぽくなったり、体調の変化がおこるようになり、更には人間関係が突然変化したり、仕事上で様々な事がおこったり。

なぜそうなるかというと、自分の中にある見なくてはいけないもの、でもこれまで見て見ぬふりをしてきたもの、そういう深いところにある闇・影の部分が目の前につきつけられるようです。

 

新しい流れに乗っていくためには、身を軽やかにしなければなりません。

重たい様々な荷物を手放して、新しい流れに乗る準備をしていきたいものです。

 

角度をかえて見ると、一見、不運に見えることは【準備をして新たな門出】

そんなふうに読み取り、自分の意識転換をしてまいりましょう。

 

地上の春は、大自然のエネルギーが強く、芽吹きを誕生させていきます。

必然におこる四季の変わり目は、転換の時。

 

この三月は特に立春まで準備をしていきましょう。

皆様の心身の調整に【ゆりの森】にお越しください。

 

弥生三月、どうぞ宜しくお願いいたします。m(__)m

2019年2月

立春を迎え

頬を撫でる風も、降る雪も雨も今迄とは違い、春の陽氣を感じます。

氣の流れが変わりました。

(まだ、まだ、寒い日が続くでしょうが……)

 

 

自然の摂理の素晴らしさを改めて感じるこの頃です。

雪の下で、春の日差しを待ち続けている草花。

木々の芽吹きが、柔らかな日差しを浴びながら春を待ち望んでおります。

 

先月、ニューヨークでは、凄い寒気が訪れて21人が亡くなったようです。

世界では様々な気象情報が流れている中で、人間が関与出来ないエリアだと感じます。

 

旧暦のお正月を迎えた今、本年はどんな年になるでしょう。

 

不安や心配、恐怖は、ついて回ります。

けれど、私達に出来る事は、たった一つ。

自らの内側に正直に生きること! 

生活の中では、様々な感情や、出来事を信頼し、方向性の選択をしていく事が何よりも大切だと感じます。

 

人の意識や、歩みは様々です。

 

しかし自分は何をしたいのか?

自らを信頼して歩む事。

いつまでも自分の意識を選択出来ずにいたら、いつの間にか、気性も荒れて、荒れた気象を作ってしまうのでしょう。

 

自然界は本当に素晴らしいです。

私達は、自然界と共にあったら、素晴らしいセンサーを導き出す事が出来るのではないでしょうか。

 

【時】が来た事を伝えてくれている自然界。

 

 

今を! 人生を読み取る力を! ・・・導き出したいですね。

 

健やかな2月をお過ごしください(^-^)m(__)m

 

2019年1月

迎春

 

輝かしい太陽の光と共に迎えた元旦の朝。

雪国にとって珍しく天候に恵まれ、初詣も足元がよく、祝福された年はじめになったように思います。

 

お正月の神社参拝は、身が清められますね。

 

古き伝統を受け継ぎ、佳き事があるようにと新年を祝う【お正月】

お正月は、日本の魂を感じます。

玄関からお部屋の室礼。おせち料理。全てに美しさを感じます。

清めの美しさとでもいいましょうか、私はお正月の文字にすら、感動を致します。

「正しい月」と書いてお正月。文字に豊かさを込めて、五感の世界を研ぎ澄まし新しい新年を迎える素晴らしい文字。

 

又、天皇両陛下、皇族の方々の一般参賀。

平成の終わりと共に最後の一般参賀。

日本の国旗を一生懸命にはためかせながら拝する国民と天皇陛下の姿を、テレビで拝見しながら、何故だか感動が呼び起こされ涙が溢れました。

 

天皇陛下・皇后陛下……いよいよ御退位の迫る時。

人類・世界・日本の平和を願いながら歩んで来られた寄り添いの一本の道。

両陛下が在位されて今日迄、心から感謝を手向けながら偲びます。

 

皇太子と平民の婚姻から始まり、ご公務、子育て、夫婦のあり方、国民への心の寄せ方……。皇室の常識をしなやかに越えてこられた姿は、大変なご苦労の連続だったのではないでしょうか。

 

61年間ありがとうございますm(__)m  真心を持って拝します。

 

本年は、年号も変わります。

日本も、世界も、大きく変わる時代が訪れたように思います。

 

更に、両陛下に学ぶべきことを感じます。

それは、やはり【守るべき伝統と変えるべきこと】を様々な観点から導き出して歩んでこられた事です。

 

私たち日本人として、両陛下に学び、自らのただされた立ち位置をしっかり見つめて、時流に溺れることなく、しっかりと大地に根を張りながら、志し高く天を仰ぎ歩んでまいりたいですね。

 

天地開闢2019

本年も、どうぞ宜しくお願いいたしますm(__)m

2018年12月

今から約18年も前に、イタリア・フランスを旅した時の空を

12月を迎えると思い出します。

昼の青空とも夜空とも違う神秘的なブルーに染まった空。それは良く晴れた日の夜明け前や、日の入り後に訪れる深くて透明度の高いブルーなのです。

フランス語で、「ルールブルー」・・・この時間帯を意味します。

 

私の住んでいるバルコニーから、空の変化が良くわかります。

あの何ともいえない色の空に出合いたいとおもうこの頃なのですが、

これから冬を迎えていく季節は、まず難しいでしょう。

 

空をみつめていると、時間が過ぎゆくことを忘れてしまいます。

年々、時間が早く過ぎていくように感じます。

それと同時に、もっと瞬間、瞬間を大切に生きたい!丁寧に大事に生きたい!

そんな風に思うこの頃です。

 

「光陰矢のごとし」と言います。

いかがでしょう?

12月を迎えて四季を堪能して一年を過ごしたかしら?

そんな問いに……無言になってしまいます。

 

そのように敢えて自分に問いかけながら、「今を生きる」=「丁寧に生きる」。

この事の意味は人それぞれ感じ方が違うと思いますが、私は最近、丁寧に生きる事によって感謝が生まれてきています。

日頃当たり前と思っていたことが、「沸き上がる感謝」とでもいいましょうか

 

もう少しで、今年も終わり……丁寧にお掃除をして、一年の掃いと室礼(しつらい)を美しくして、居心地のよい場所を大切に育みながら、我が心も美しく祓う。

 

今日は、121

神社参拝の日。

我が心を綺麗に祓いながら祈ります。

 

居心地のよい場所とは……まずは、我が心。

あのイタリア・フランスでみつめた、ルールブルーの美しいブルーの空。

 

そんな我が心であるように日々精進しながら、本年最後の月を大切に大切に

生活しようと思います。

 

皆様も忙しい忙しいと日々の時間に追われませんよう……(忙=心を亡くす)

祈りを込めて

 

12月も、どうぞ宜しくお願いいたします。m(__)m(^.^)

2018年11月

過日、サンドバスの故郷である九州の高千穂に行ってきました。

 

弊立神宮、天君命陸墓。

清々しい秋の風が、優しく頬を撫で、今迄味わった事のない風景。

全てが五感を刺激致しました。

空を見上げると

澄みきった青空はまさしく「天高く馬肥ゆる秋」

大地を踏みしめると

柔らかなクッションをいれたような土感に、紅色のゲンノショウコの可憐な花が見送る秋を忍びながら一生懸命咲いていました。

 

太古の昔、日本に舞い降りたと言われる神々。

天孫降臨の故郷、高千穂。

 

美しい風光明媚なこの高千穂の石と出逢い、癒しの原点を頂いているように感じて帰ってきました。

 

石には=意志があると言われますが。

様々な石や、又は宝石なども、その存在そのものに其々のお役目の意志(エネルギー)が宿ります。

 

そんな想いで見つめていくと、サンドバスの石は、尊い日本の故郷。

高天原に導かれていくように感じます。

 

高天原はどこにあったか?

 

様々な説がありますが、

そんな事以上に大自然の中に人を癒す素晴らしい力が秘められている

そう感じた先に、日本は、世界の中でも癒しの国。

 

沢山の外国の方々が昨今日本に訪れます。

日本に来られる理由として色々な事情と内容があるのでしょうが、きっと日本は世界の国々の中でも癒しの国なのでしょう。

 

まだまだ、失われていない自然の豊かさ人の優しさ

 

そんな喜びを感じて帰ってまいりました。

 

そろそろ冬の足音が聞こえてきています。

冬支度の季節に入った晩秋です。

 

ほっこり

暖かなイメージの冬を迎えたいですね。

 

 

そんな事を思うと、体の芯から温めてもらえるサンドバスは、心までも温めてくれます。

 

心が冷えきってしまうと体も痛めてしまいます。

 

そして、全身が暖かさを感じたら心も豊かになり、優しい笑顔が現れます。

 

心身が和らぐ優しい季節をお迎えください。

 

 

11月もサンドバスに入り、サロンで暖かな一呼吸をされ、サロンメニューを楽しんでくださいね。

 

 

11月も宜しくお願いいたします。m(__)m(^.^)

2018年10月

移りゆく季節を感じながら10月を迎えました。

 

季節の変わり目は体調を崩しやすいですね。

日々サロンでお客様をお迎えし、親しく会話をさせてもらいながら、語って下さる皆様の

人となり「ひとりとして同じ人生の方はいない」そんな当たり前の事を、しみじみと感じて

10月を迎えました。

 

皆さん、本当に色んな事を抱えて人生を生きておられます。

病気の苦しみ、人間関係の痛み、経済力の悩み、仕事の悩み、傍らからみれば幸せそうに見える方も、言い知れぬ不安や心配、又は恐怖心。

人間だけが持つマインド。 様々な感情・思考。

私も、このような内容を体験として味わって参りました。

そして、苦しいときは何を手立てに生きればよいのか?

そんな迷宮に入り込み苦しんだ時代もありました。

 

人が癒され癒すのは・・・どのようにしたら真に癒されていくのか?

 

人によって人生観は全く違いますが、私の場合は、要領よく生きる事は出来なかったようで、

ストイックに人生を見つめて今日まできました。

 

お陰さまで今が一番「らしさ」を取り戻して、私なりの人生を味わっているように思います。

最近思うことは「人生はドラマ」 主人公は私!

一歩間違えればエゴに捉えられてしまいそうな表現ですが、それは自らの人生を自らで創造する。創造はまさしく想像。その原点が、少し見えてきたのでしょう。

 

人は一人では生きられません。

だからといって人に依存するのも自らの人生を創造することになりません。

往々にして私達は、人と比較をしながら、又、人にどう思われるかと人の目を気にしながら生きています。

【人にどう見られるか、どう思われるかではなく、自らはどうありたいか?!】

その事を失ってしまった人が多いのかもしれません。

沢山の方々とお話をして感じ、また以前の私もそうでした。

 

人生は沢山の方々と関わり合いながら、喜び、痛み苦しみ、泣いたり笑ったり。

そのような感情の機微から様々な想いが整理されて、思考・マインドに押し潰されずに、自らの尊い人生の発見が出来るのではないかと思います。

 

人と比べる事なく、どんな自分も等身大の自分を受け入れて。

私は移りゆくこの季節に人生とは?(^.^)

又、昨年とは違った秋を味わい感じ始めているようです。

 

苦労は必ず喜びの前触れ、そのようにみつめながら、我が心に向かいます

内側に向かう秋を迎え、忍耐の冬を偲び、そして喜びの春を迎えて、躍動の夏を体験。

 

人生はまるで、四季の旅ですね。

深まり行く秋を、楽しみましょう。   

 

10月も、どうぞ宜しくお願いいたしますm(__)m

2018年9月

台風の季節

台風21号が過ぎ去った後に、この一人言を綴っています。

 

テレビに映る被害状況を見ながら、改めて人の力では自然の脅威を止める事は出来ないと感じ脳裏に様々な震災の記憶がよみがえります。

 

自然の前には無力。人間の力の限界を感じながら

今年の815日、山口県で、2歳の男の子を発見した尾畠春夫さんを思い出します。

ニュースを通して、尾畠さんのボランティア精神はどこから溢れでてくるのだろうそんな事を思ってテレビをつけた時、尾畠春夫さんの人生が映し出されていました。

東日本大震災など、様々な被災地に足を運ぶ姿。

涙を流しながら被災された方のアルバム、ランドセルの泥を拭う姿。

氣づいたら、私の目から大量の涙

尾畠さんは、7人兄弟の4番目。家庭は貧しく十代半ばで奉公に出たとそのような人生の物語が始まり、私は食い入るようにテレビをみていました。

 

映像から流れてくる尾畠さんの意識を感じながら、さらに私は、溢れでる涙を止める事が出来ませんでした。

 

久し振りに胸を打つ感動と喜びに心が奮い立つ私がおりました。

同じことは出来なくても、私に何が出来るか?

そんな自分への問いがけ

 

【喉元過ぎれば熱さを忘れる】そんな現実がある中で、尾畠さんが歩み続ける姿勢に、

人の目覚めを感じます。

考えで歩んでいない尾畠さん。

その姿は、私達が胸の奥に閉じ込めてしまった愛を発見してほしい

と願われている気がして、神様が、尾畠さんを通じて、私達日本人に諭しているメッセージのように感じました。

 

過酷な時こそ、氣づきがあり、人の心が変化し、人間としての本来の生き方、争うのではなく、互いに助け合って生きることの大切さと素晴らしさ思い出します。

 

ありふれた言葉になりますが、物事の価値は、失ってみて初めてわかるものです。

 

日本には様々な災害が立て続けに起きていますが、

今、自分が持っている当たり前の幸せに氣づきながら、

これからも、何かを人それぞれ失うかもしれませんが

そんな時こそ、学びのチャンスであり、再スタートのためのエネルギーに転化出来るものだと感じます。

人生は氣づきの連続ですね。

 

人は完璧に作られていません。

だからこそ、神は人が互いに助け合い、補い合って生きるように、わざと完璧に造らなかったのですね。

 

月並みな言葉かもしれませんが、

【素直な心・お陰様・感謝の心】 大切に大切に育てたいと思います。

 

そして私達、人の心が、台風のようにならないように。

 

支えて合って歩みましょう。

九月もどうぞ宜しくお願いいたします。m(__)m

2018年8月

「東久邇宮平和賞」

724日、大阪ガーデンパレスでの授与式に出席してきました。

 

平和賞……この響きを感じただけでも胸が熱くなります。

何故なら、20世紀の女性の中で最も尊敬するマザーテレサがノーベル平和賞を受賞されたことが脳裏に蘇るからです。

私はマザーの足元にも及びませんが、マザーテレサの奇跡を辿れば辿るほどに、彼女の生きざまは、いつの時も枯れる事なく私達の心に息づいている事を感じます。

 

マザーテレサが、先進国の孤独を日本人に問いかけたのは1980年代でした。

時を経て、その事の意味を、今さらながらに深く感じています。

 

よき事はあまり表に表現されず、毎日TVで報道される内容は、目を背け耳をふさぎたくなるような事件ばかりです。

 

マザーテレサだけでなく、世界の平和を願いながら、その礎を築かれて逝かれた先人たち。そのような方々が、空の上から今の日本をどのように感じ見つめておられるでしょうか。

特に、太古の昔から【和を尊ぶ日本民族】・・・そう言われた私達日本人には、見失ったものが沢山あるように感じる事と思います。

 

8月は終戦記念日も迎えます。

本年の前半に世界の影響国である4か国、ロシア・アメリカ・中国・北朝鮮のリーダー達が重要なミッションを終えました。

 

2度と同じ過ちを犯さない為にも、世界で初めて原爆を投下された日本が、どこの国よりも平和という言葉を大切にし、実行でき、平和を伝えていかなければならない国なのかもしれません。

平和の鐘を鳴らすのは私たち。

一人一人が、見失った足元のスタートラインをみつけ、自らの思いで人生と向き合う力を育て…

人生とは? 何の為に生まれ……どこに行こうとしているか……。

 

お盆も間近です。

幸せを願って逝かれた御先祖様を偲びます。

私は霊前に手を合わせながら、いつもこの時期になると強く想うことがあります。

それは【生きざまは、死にざま】だということ。

マザーテレサの一言も思い出します。【愛の反対は憎しみではなく無関心】

 

魂の歪みがないか? 自らの心に問いかけながら、真実の自らと向き合うと

自ずとみえてくる純粋意識。

 

人をいじめることなく、自分をいじめることなく。

やはり、先ずは自らの内側の平安。 取り戻す平和!

平和は語るのではなく実践

 

私は、東久邇宮平和賞に恥じることなく、精進して参りたいと思います。

 

蓮座に座るお釈迦様のように、泥沼から天地に(根も茎も一緒に)成長し美しい花が咲く蓮の花のように。

 

【 人生は魂の成長と進化】・・・そのように思います

 

暑い夏を楽しみながら…     8月も宜しくお願いいたします。m(__)m

2018年7月

銀河宇宙に想いを馳せる

 

私の大好きな季節です。

七夕さま、織姫、彦星、・・・夜空を見上げると、美しい天の川銀河。

幼い頃は、夜空を見上げては、様々に想いを巡らし空想に浸ったものでした。

 

昨日、窓を開けて夜空を見上げると、あまりにも美しい夜空に見とれておりました。

 

宇宙飛行士にでもならなければ、この目で宇宙から私達の住む地球の存在を見ることは

出来ませんが人間にだけ与えられた想像力で感じてみる事はできます。

素晴らしい事です。

少し、この場で宇宙をご一緒に感じてみませんか?

 

      ☀ 

 

地球は太陽系の周りを回りつづけ、大きなエネルギーをもらっています。

太陽系は、銀河系のほんの一粒の存在です。

銀河系の直径は十万光年あり、約二千億個の恒星(太陽)を擁しています。

それぞれの太陽の回りに、地球や土星のような惑星が無数に回っていることでしょう。

 

しかしこの巨大な銀河系も、宇宙のほんの一部でしかありません。

宇宙はどこまで続いているのか?

 

宇宙空間は絶えず膨張しつづけていると言われています。

そして、広大な宇宙では、今日も星や星雲が生まれ死滅し、

地球上でも多くの生命が生まれ、滅び去っています。

私達の身体も宇宙と同じで、日々多くの細胞が生まれて、死滅しています。

 

 

私達の住む地球に想いを馳せてみましょう

 

地球そのものも、またひとつの生命体。

光や雨を降らせる空、大地を潤す水、植物を育む土。

植物は酸素を作り、食物として多くの生き物を養い、更には枯れて腐ると、排泄物として土を肥やし

生命が循環する食物連鎖。

 

地球は瑞々しい生命を私達に与えてくれます。

 

そして、

人間も哺乳類も爬虫類も、全てが生き生きとした生命力を秘めています。

受精によって生命が誕生し、細胞分裂が繰り返され、やがて一個の生命体になってゆく。赤ちゃんから大人、成長していく過程は素晴らしい創造の力が働き、まさしく宇宙、天の叡智。

 

マクロの天の川銀河に想いを馳せながら、ご一緒に、地球上からミクロのあらゆる生命の小宇宙に想いを馳せました。

 

7月は是非、美しい雨上がりの空や、夜空を見つめる時間をお持ちになってみてくださいね。

 

現実に囚われている時間が、優しい時間に変化していきますよ。

 

楽しい7月をお過ごしくださいね。             ( ^-^)∠※.:*:'°☆

 

2018年6月

可愛い姪が、新たな人生の旅立ちをいたしました。

 

526日赤倉観光ホテルで結婚式を挙げたのです。

 

お式、披露宴、全てが感動でした。

親が子を思う心。

兄夫婦の、花嫁をみつめる眼差しに、胸が熱くなるような感動と共に、愛しさ、懐かしさ、優しさ、寂しさ、喜びが溢れんばかりに胸の深いところからやってきました。

 

人間の営みは、様々な感情を味わいます。

だから人生は素晴らしいのだと、姪の結婚式を通じて感慨深く感情の素晴らしさを発見できました。

 

涙も愛

寂しさも愛

 

披露宴では、参列されていた男性の方々の涙をみました。

きっと、可愛いお嬢様がいらっしゃるのでしょう。

旅立つ花嫁の姿を、我が娘と重ねていらっしゃったのでしょう。

 

私は、美容師です。

この美容師人生で姪の結婚のお仕度をさせてもらい、共に嫁ぎ行く姿をみつめる両親の想いと、重ねて感じさせてもらいました。

正に疑似体験が、私の真の体験でした。

 

白無垢のお仕度が出来上がり、花嫁の母が、【はこせこ】を胸に差し入れる事で花嫁のお仕度が完了です。【はこせこ】は、嫁ぎ行く娘に、これよりの人生で我が身を振り返り、自らの心の内をみなさい。はこせこの㊥には、そのような意味合いをもって【うち鏡】が入っております。

 

そして、帯の処に【懐剣】をさし、我が心を律してみるようにと、魂の成長を願う、花嫁の神具です。

 

 

はこせこを差し入れる花嫁の母の姿をみつめ最後に参列者の皆様に御挨拶する花嫁の父の姿を見つめて涙が溢れました。

 

愛によって生まれ

愛によって育てられ

愛して

         愛を残してゆく。

 

愛しい姪に、人生が豊かでありますようにと願いながら、穏やかに二人の人生の門出を見守る事が出来た一日でした。

 

親から子へ、子から孫へ

そして人々に受け継ぐものは、愛しかない。

     

姪の結婚に自らの内側に愛の発見ができ感謝でした。

人生は【天意=愛】の発見

 

      6月も皆様と共に足元から愛の発見をいたしましょう。

 

               ( ^-^).:*:'°☆

2018年5月

五月晴れの爽やかな季節がやって参りました。

一年を通じてもっとも美しい季節に感じるのは私だけでしょうか?

桜が散ると待っていたかのように様々なお花が咲き誇ります。

まるで桜が『咲いてください』とメッセージをだしているかのようです。

 

少女の頃野山に出掛けて名もないお花を鑑賞したり、摘んで押し花にするのが喜びでした。

ただ、花の命の短さに、儚さの感情と共に、命ってなんなのだろうと思った事が幾度もありました。

けれど春になれば、冬の枯れてしまったような枝から、芽吹き、花々も咲く事で命は巡る!

幼い私は、そんな風に核心的に想い、喜びになった事を思い出します。

 

新しい芽吹きの蕾を指で摘まむと『柔らかい』・・・

その感触は赤ちゃんをイメージするかのような悦びでした。

 

清々とした風がふく五月は、大自然の芽吹きのように優しくたおやかに過ごしたいものです。

健やかな毎日を送りたい・・・誰もが思う気持ちです。

心の迷いや体の揺らぎを速やかに手放せたら

 

私は、心のクリーニングを皆様に提案しております。

 

そのヒントは大自然の中にありました。

柔らかな心そう!  木々の柔らかな芽吹きのように、花が咲く前のほっこり柔らかな蕾のように、息を抜いて、肩の力を抜いて。

全ての力を抜いた時に真の力強さが現れてくる・・・そんな風に思います。

 

柔らかな心を育てる・・・大自然が、その事を教えてくれています。

 

意気がらず。粋がらず。

 

【心身の健やかさ】

柔らかに生きる力

 

皆さん、健やかにお過ごしですか?

ご一緒にみつめて参りましょう。

 

五月の爽やかな五月晴れに笑われないように(^.^)

『あなたも五月晴れになれますよ。』

 

不定期に開催しますが、良かったら【久美子社長】の『健康のセミナー・

美のセミナー・カウセリング』などにご参加ください。

(スタッフ迄問い合わせください。)

 

ご一緒に、五月は心をほどきましょう。

今月も宜しくお願いいたします(^.^)m(__)m   

2018年4月

桜の季節に旅だった母を偲びます。

3月…お彼岸入りに母の元に出向いた私は、母の顔をみるなり…大丈夫かしら?

それから2週間近い日数、毎日母の元に通いました。

 

思い出すだけで涙が溢れます。でも感謝でした。

こんなにも母のそばに2週間近くいられた事はなかったから。

体をさすり、食事を口に運び、顔を拭いてあげ、背中のマッサージ、手のマッサージ、足の排毒をしてあげ、様々な事が出来た事。

少しでも、母の傍にいれた事。

本当に本当に嬉しく思いました。

 

サロンのスタッフが手伝ってくれ、友人が駆けつけて夜遅くまで母を共にみてもらい、施設の方は、家族のように心配してくださり、又、サロンの有志の方々が祈ってくださり、

本当に本当にお世話になりました。

 

母は命閉じる瞬間迄、人の事を思いやっておりました。

痩せ細った体で、絞り出すような声で『暗くなったよ…暗くなったよ。』

『帰りなさい…』

いつも相手の事ばかり見つめる母でした。

 

私は傍にいたいのに、又、母も私がいてほしいはずなのに…。

語り尽くせぬ母との想い出がよみがえります。

 

~・~・~・~・~・~・

 

親思ふ 心にまさる 親ごころ けふの訪れなんと聞くらん   ~吉田松陰~

 

子供が親を想う以上に、親は子を想う…。

この吉田松陰の辞世の句は、私の人生の中で、親の愛ほど深い愛はないと気づかせてくれた句です。

 

さりげない優しさや、さりげない労り、人への愛の原点は、親の後ろ姿で育ち…

更には全ての万物への愛と導き引き出されていく、誰もが持っている魂から沸き上がる愛。

 

父の厳愛。

母の無償の愛。

 

母の人生は愛を語る事はしていません。

母との一緒に歩んだ人生で…然り気無い日常に愛が存在していた事に気づかされ…

 

今、母に謝罪します。

そして宣言します。

『母の尊い願いを、地上に現し、沢山の種を蒔いて花を咲かせます。』

 

ベッドの上で痩せた体に絞り出す声で

【仲良くしてね。みんな仲良くね。】…この言葉は遺言のようでした。

 

母の生き方に恥じない娘として生きていきます。

 

足元の世界から始めてまいりましょう。

永遠の命

永遠の今を確かめながら…

 

お母さん、命をくださりありがとうございます。m(__)m

 

私と今日迄、出逢ってくださった方々と、これから出逢う、皆様に…

 

どうぞ宜しくお願いします。

 

愛の命の創造の花を咲かせる歩みをご一緒にしていけたらと願います。

 

                             愛と…

 祈りと…

    感謝を込めて

 

2018年3月

日差しが和らぎ風の流れも変わりはじめました。

春の訪れと共に、朝の小鳥の鳴き声も変わったように思います。

 

先日は、3月3日のひな祭りを、女性のお客様と楽しみました。

お内裏様とお雛様を愛でながらお話会&お茶会。楽しいひとときでした。

 

この日は、初めてお逢いする方々もいらっしゃいました。

そこで、なんと30年も前にお逢いしていた方にお声をかけられ驚きました。

確かにどこかでお逢いしたことがあるようなそう思っておりました。

ずーっと忘れずに、私の事を覚えていてくださった。

30年ぶりの再会。「又、出逢えて嬉しいですね。」と互いにお話しながら

何故だか本当に嬉しくなりました。

再会した喜びを感じ出逢いの大切さを感じました。

 

其々の人生を歩みながら今に至り、年齢を重ねながらより味わい深い人生を綴り

だからこそ心の目で見えてくる世界。

 

私は、女の子の節句で感じました。

私自身の人生には、沢山の痛みや苦しみがありましたが、それらは今にいたる私自身を

育ててくれた大切な贈り物だったと。

何年も前

体の痛みで眠れぬ夜を過ごし、心の渇きを絶えず感じながら過ごした憂いの日々。

今は『本当にお疲れ様でした。』と自らに言えるくらいに

以前と全く違う自分がここにいます。

 

会では「久美子社長はなんでそんなに引き出しがあるのですか?」と聞かれました。

「勉強されたんですね!」と言われましたが、私は、勉強などしておりません。

どうやら密に好奇心旺盛な女子だったのかもしれません。

 

幼少時を思い出せば、私の眼(まなこ)は、何故?どうして?不思議?

いつもこんな風に、花や木々や動物や、人間観察をしていたように思います。

 

〔お雛祭りを楽しむ会〕は、様々な職業の方、年齢層も20代から60代が集いました。

いくつになっても、女性は、女性。

女性で生まれてきたご自身を大切にしてほしいと願いながら会を終えました。

 

女性の輝きは世界を変えます。

 

優しくありましょう。

美しくありましょう。

健やかでありましょう。      心と共に美しく

 

3月も宜しくお願いいたします。    *."..;☆"..m(__)m.:*:'°☆..;".+☆;

2018年2月

立春を迎えました。

冬の雪掻き、雪下ろし、お疲れの事と思いますが、

私は、立春という言葉を耳にするだけで、うれしくなります。

そんな風に思うのは、私だけでしょうか?()…

そういえば、立春を迎える前に、31日はスーパームーンでしたね。

素晴らしい宇宙のイベントでした。

 

私達は、宇宙の理の中で生かされています。

(心の錆を取り、新たな出発。根源の意識と繋がる。)

そのように、ハートで、はっきり感じられます。

 

人生を見つめる

2月に入るやいなや、私の内側に感じた想い。

その思いを大切に感じて歩んで行こうと思いました。

 

それは『私自身である事。ただ、私自身で在りましょう。』

そんなメッセージが内側からやってきました。

 

その事の意味

『識別力を持ちましょう。洞察力を持ちましょう。

様々な情報のルツボに巻き込まれる事なく、私自身で在りましょう。

批判的になる事もなく。』

ある朝目覚めたらこんな声が聞こえてきました。

しかし、それは、声ではありません。

感覚的なものでした。

 

暫くすると、

『純化された日常を生きていると、あなたはより純粋になっていくでしょう。

ただ、そこに戻るだけです。あなたの外側にやって来る考えを、内側の暖かな

ハートに戻して観察してみてください。

いずれあなたに豊かさが芽生え、純化された日常を生きる力が現れます。』

 

春の訪れを感じたひとときを味わいました。

 

雪解け間近です。 猫柳の枝から新しい息吹きを現す、美しい新芽。

 

私達は、春を待つ者たち。

ひとたび内側の意識を見つめてみると感じられます

【心の春を迎えたいですね。】

 

    .:*:'°☆二月も宜しくお願いいたします.:*:'°☆

 

 

                                 (^.^)m(._.)m

2018年 1月

新年明けましておめでとうございます。

【サロンゆりの森】 本年も、どうぞ宜しくお願いいたしますm(__)m

 

『健康な体は、心と魂を守ります。健康である為に努力致します。

その為に身心を大切に致します。どうぞ宜しくお願いいたします。』

私は、初詣にしっかりこのようにお祈り致しました。

(全体の祈りの中のほんの一部の祈りです。)

けれど、ただ祈るだけではなく、実行しようと思いました。

何を?

生活の中の歪み。無意識に流されてしまう生活習慣。

心の部分での想い癖など

楽しみながら歪みの発見。

反省し悔い改め方向転換!

 

たとえば、お掃除が出来ない事をしっかり感じたら、

出したものは必ず本然の位置に戻す習慣。

毎日毎日やれば、おのずと軌道修正される自分がいます。

 

又、煩雑になった心も、一旦しっかり見つめ直し、心を本然の位置に戻す。

(美しい心が見えてきたら感動します!())

この事を続ける事は、自分の監督者になる事です。

 

私は新年早々に神社参りでこれを神様の前で誓う覚悟をしました。()

 

 

私達の健康の概念は外側だけを求めてきました。

しかしどうやら内側の心の有りようが大きく体に反映されているようです。

 

本年は【整理整頓の年】と言われております。

 

心と体の整理整頓!

その流れに新年早々から行動してみませんか?

いかがでしょう

そのように意識し行動を起こす人には必ず【神様】が応援して下さると思います。

 

初志貫徹

本年の運勢を導くには神頼みだけではなく、「実践者になりましょう!」

神様が私にそっと答えを囁いてくださいました(^-^)v

信じて行動してみませんか?

 

皆様と本年も、豊かさの創造をして参りましょう!!

本年も、【サロンゆりの森】で癒されて元気になられてくださいね。

 

          愛を込めて(^.^)

2017年12月

白い妖精が舞い降りて、山々が美しく白銀の世界が始まろうとしています。

 

一年の終わりの月、

この私の一人言を読んで下さっている方々は、いかがお過ごしですか?

 

冒頭の季節のご挨拶は、子供の頃の感覚を思い出して表現しました。

大人になると誰もが思う、『雪が降ってくる!』

私も、勿論そのような意識で見つめてしまう自分がいます。

 

けれど一方 子供の頃に育った感性は、そこを打ち消します。

やはり、『妖精の舞い降りてくる季節』 そう感じている自分がいるのも事実です。

 

幼い頃に、空を仰ぎ見ながら次から次へと降る雪に感動してみておりました。

しまいには首が痛くなって雪の上に倒れ込み、寒いなんてあるいは、冷たいなんて

一言も出ない、降る雪に魅せられておりました。

 

『綺麗!』 こんな自分を振り返ると、子供の頃は、全てが体験で喜びでした。

雪が降ろうと豪雪になろうと、心は豊かだったように思います。

 

よくよく過去を振り返ったら、山奥で育った私達

兄弟三人で朝早くから、道つけを「カンジキ」でしていました。

隣の家までの二本の道を、朝の六時から兄弟三人で道をつける仕事でした。

辛い時もありましたが、達成感を味わっていました。

でも、子供のお仕事ですから、所詮雑な道つけでした。()

又、体重の軽かった私のした後は、人が歩くとすぐにズボズボと埋まってしまうような

道つけでした。

そんな、中途半端な道をつける作業でも、父や母の笑顔や慰労の一言が、子供ながらに

嬉しかったものでした。

 

私の田舎は4メートルから5メートルの雪が降り積もります。

毎日、学校から帰ったら雪降ろし

これも屋根にあがって、兄弟三人で遊びながらですが、必死に雪降ろしと雪かきをして

いました。

飽きてきたら屋根の上から兄も弟も空中回転で着陸。

パウダースノーですから、粉雪が舞い上がり凄いダイビングでした。

今から思うと凄い遊びをしていたものです。

 

それにしても、よくそんな豪雪地帯に住んでいたなぁと思います。

 

しかし、良くも悪くも全ては今の自分を育てる為の尊い環境と体験に出会ったように思

います。

そんな想いが立ち上がり、一人言を綴っておりますが

 

もう少しで、一年も閉じていきます。

 

本年も様々ありました。

皆さまはいかがでしたか?

 

出逢いと別れを重ねながら育っていくのは、何でしょう?

そんな、風に自分に問いかけます。

 

肉体は、父母、ご先祖様からいただきましたが魂は?

私は神様と答えます。

 

どちらも自分のものであるようで自分のものではありません。

子供が生まれた時に誰もが新鮮に思う【授かりもの】そう思います。

 

そのように見つめたら本当に自らを大切に大切にしたいですね。

 

では何を大切に?

 

クリスマスももうじき

私は、クリスチャンではありませんが、イエス・キリストを偲びます。

何を大切に生きられた方か想いを馳せてみてください。

 

クリスマス

天から妖精が舞い降りて皆様の心をあたたかく導き、一年を終えていく、豊かな月に

なりますように

  

                            祈りを込めて         

       m(__)m.:*:'°☆

2017年11月

深まりゆく秋、兄と弟と私で、郷里の地に行って参りました。

 

懐かしい風景を見詰めながら、幼い頃の三人の姿が浮かび上がります。

 

実家の跡地は、木々や草が生い茂り、面影を失っておりました。

そんな中でも走馬灯に浮かぶ幼少期の想い出が甦ります。

兄と弟と遊んだ、裏藪の中。ターザンごっこや、その木々の下で遊んだ缶けり

苅田の中での戦争ごっこ。

泣いて笑ってケンカして本当にくったくのない三人の姿が浮かび上がりました。

脳裏に浮かぶそんな情景は私だけでなく、兄も弟も感じていたことと思います。

 

山深い中で育った私達には、今の生活から想像出来ない生活環境でした。

当時は全てが自給自足のような内容でした。

遊びも木々や草花、動物達。 自然がお友だちでした。

 

楽しみや喜びはいつも私達の手のひらにあったように思います。

そして、両親の愛も。

父の叱咤や母の取りなしケンカしても、悪さをしても、両親のバランスの良い愛情に内包され深い愛に支えられて育ちました。

 

私達子供に与えてくれていたのは、外側の強制的なものは全くなく、心の自由を与えてくれていたように思います。

様々な想いを見詰めながら

当時の面影がなくなった実家の跡地に、三人で感謝のお祈りをし、お墓にお参りをして帰って参りました。

 

その後、大人になって初めて三人で、お昼の食事をとりました。

私は胸が熱くなり涙が止まりませんでした。

 

兄と弟の真ん中で育ち、今更ながら二人の間で見守られていたのだと感じ、兄と弟の語らずとも感じる愛情に触れました。

 

ふるさと

 

私の大好きな歌は、「ふるさと」。思わず心の中で、口ずさんでおりました。

『~志しを果たしていつの日にか帰らん~

 

私の胸の内の志し新しい出発を胸に

私を育ててくれた、ふるさとの空と大地

そして、人生を出発する根っこを育ててくれた父母の愛、兄弟の愛に心からの感謝をおくりました。

 

2017年、この深まりゆく秋は、私の心の新しい出発になりました。

            合掌

2017年10月

風の流れが変わりました。

雲の動きも形も……草花も秋雨に打たれて静かに咲いています。

 

先日、関山神社に参拝にいって参りました。

火祭りで有名な神社ですが、初めての参拝に感謝が溢れて参りました。

静かな時間。日常に最近感じられなかった佇まい。

 

私は、こんな時間を取り戻したかったと正直に感じました。

 

言葉を平らに表現したら静けさの中に丁寧に生きる。

そんな感じでしょうか?

 

私達の回り、生活環境は、外側の刺激が強く影響を及ぼしております。

(知らぬ間に外側の世界だけに目を向けて)

帰宅して『丁寧』と言う言葉が浮かんで参りました。

 

私達は、時間を作り、時間に追われ、時間を追いかけています。

 

思わず私は丁寧に布団をたたみ、角と角を合わせてブランケットをたたみ、

洋服も丁寧にたたみ、物の置き方も静かに、戸を開けるとき閉めるときも静かに、更にお茶碗を洗うときも丁寧に。

花瓶の中のお花に目を向けて水を替え、玄関の靴は綺麗に並べて……

 

こんな風に、日頃の生活に自分の行動に目を向けて所作を見つめてみました。

 

数日、このように過ごすと、不思議に全ての存在に感謝が沸き上がってくるのを感じます。存在のありがたさ。

 

又、丁寧であることは『優しさ』であると感じます。

 

日頃の外側に意識を向けて煩雑に生活をすると、心がいつの間にか乱れて、人を思いやることさえ忘れます。タオルやハンカチをたたむ時に、角と角をあわせずにいると、角が(つの)が出てくるような感じになります。丁寧に生きると日頃の心の雑な動きが、不思議とあぶりだされてくるのです。

 

 

日本を改めて見つめると、日本の文化の中に継承されている、『優しさ・豊かさ・美しさ』そんな内側の世界に氣づきます。

 

 

この秋

更に自分の内側()に光をあててみたいと感じます。

 

10月も宜しくお願いいたしますm(__)m

2017年9月

初秋の風に乗って旅立った最愛の父の月命日が9月2日。

18年の月日が流れました。

 

父の名前は【晴清】  字のごとく、とても清々とした人でした。

竹を割ったような真っ直ぐな性格で、笑うと金歯が映えて()、飲んだとき以外はめったに怒った事がなく、困っている人には、さりげなく施しをしていた父でした。それは父が17才の時に、お父さんが倒れ、お母さんを亡くし一家の主にならなければいけなかった苦労の人生を幼いながらに出発したからでしょう。人の苦労を真に理解しそっと添える人でした。そして自ら苦労話を語ることもなく、(母が父の事を、話してくれました。)寡黙なそんな父が大好きでした。

 

ススキがたおやかに風に流れコスモスが咲き始めた郷里に、沢山の想い出を携えながら、月命日に墓掃除に行ってきました。沢山の苔が、お墓の回りにはびこり墓石は磨かないと真っ黒に汚れていました。

 

掃除は、友人の今村浩美ちゃんが一緒に手伝ってくれました。彼女は私が忘れていても、父の命日を必ず覚えてくれて、毎年お墓参りに同行してくれます。父が生前『良い友人に出逢ったね。久美子が最も辛いときに、一緒に泣いてくれる人。そして久美子の喜びを自分の事のように喜んでくれる人。そんな人と出逢う為に自分を磨くんだよ。磨いた分だけ神様が陰で導いてくれるんだよ。更に出逢いを大切にするんだよ。』そんな事を、語ってくれました。

この言葉は体を病んで入院しているときに語ってくれた言葉です。

私は当事、体が大変で父の看病すら、まったくままならないときに、浩美ちゃんと、彼女のお母さんが、病院に駆けつけて、何日も私の父の看護を手伝ってくれたのです。父は、衰弱していく体を感じながらこの人間関係をみつめて、私に残したい想いを表現してくれたのでしょう。

 

お墓の掃除をしながら、傍らで自分のお墓のように苔をとる浩美ちゃんの姿をみつめ、父との想い出を重ねていました。

 

 

 

お墓は、御先祖様と私達子孫を結ぶ受信機であり発信器とも言われます。

先祖祭りは尊い想いを繋ぎます。甦る魂還る魂。

 

私の存在がこの世に生を生み出す迄にどれ程の想いの中に命のバトンが渡されたのでしょう。

 

私は、当時の父の言葉、教えを携えて今に至ります。

今この立ち位置は過去と未来を結ぶ尊い【今】その【今】現在

私は、家族のようなスタッフに支えられています。

私の全てを理解して愛情深く支えてくれる明美店長を始めとして愉快な優しい個性豊かなスタッフ。

そして、沢山の仲間に真に支えられています。

 

『お父さんありがとうございます。私は何にも変えられない信頼を育ませて頂いています。人生とは何か?人間関係ですね。その命題が貴方のお陰で与えられてきています。』

 

私は自宅の祭壇でこのように祈りを捧げました。

 

父はシンプルに私に投げ掛けます。【人生は難しくない。応援しているよ。】

そんな声が聞こえてきました。

 

 

 

 

 

もうじきお彼岸です。

お墓参りに(父と御先祖様に会いに)又、出掛けます。

 

 

皆様も魂の出逢いを、感じてみませんか?

 

       良きお彼岸の日に

 

9月も宜しくお願いいたします。

 

2017年8月

幼い頃の夏休み。

私にとっては特別なものでした。

夏の朝に咲く朝顔を眺めながらラジオ体操に出かけ、少しの道草をしながら、トンボを追いかけたり、ひまわりを眺めたり蓮の華と葉っぱで遊んだり

 

兄妹で、川遊び。カブトムシやクワガタを捕まえ

私の子供の頃は自然が遊園地でした。

 

草の香りや風の音、小川のせせらぎ。野の草花と遊び昆虫は不思議なオモチャ。

 

どこを取っても大自然。

夏になると、郷里の地を訪ねたくなります。

 

もう少しでお盆を迎えます。ご先祖様を迎え、離ればなれになった縁をひとつに結ぶお墓参り。出逢いと別れが必ず訪れる切なさも感じます。

 

様々な想いが交差する中で、くったくのなかった、幼い子供時代を思いだし

私という存在が生まれて来るまでの、尊いご先祖様に思いを馳せます。

 

集う魂還る魂。

 

蓮に座す仏様。

泥沼から美しい華を咲かせる蓮。蓮は泥沼から出でて泥に染まらず

 

あの、幼い子供時代の純粋な想いによみがえらせてくれる夏休みと、お盆。

蓮の華が導いてくれるようですね。

 

人の生きざまを

 

8月を迎え、お盆と終戦記念日も迎えます。

 

少しでも故人に思いを馳せながら、生命を繋いで下さる存在に感謝しながら手を合わせる、そんな時を迎えたいと思います。

 

8月

      祈りの月でもありますように。

                   合掌

2017年7月

紫陽花の美しい季節です。

雨上がりの後の紫陽花の美しさは格段の光を放っています。

しっとりと佇み、太陽の光を浴びて様々な色合いを映し出す紫陽花は、私の人生をいつも見つめ返してくれる大切なお花です。

 

25年も前に韓国に嫁いだ友人が、『久美ちゃん、私の母はね、額アジサイが大好きだったんだよ。母は亡くなってしまったけど、妹と額アジサイが咲く季節は、母を思い出し二人で頑張っていこうねと、いつもこの季節に励まし合うの。』こんな風に紫陽花の想い出を語ってくれたことがありました。

 

『チーちゃん』と呼んでいたこの友人が、嫁ぐ前に『私ね、もうじき嫁ぐから、紫陽花の浴衣を久美ちゃんのお友達にプレゼントしていい? 私は韓国で使わないから。』と。なぜ想い出の絵柄の浴衣を手放すのか不思議になりたずねました。

すると、『久美ちゃんと出逢って素敵な友人を沢山紹介してもらったんだよ。だから久美ちゃんの大切なお友達が浴衣を持っていないと耳にしたから、プレゼントしたいと思ったの。』こんな風に語ってくれました。

 

チーちゃんは私より5才年下で、私達は何でも話せる姉妹のようでした。

私を姉のように慕ってくれ、私は可愛い妹のように感じていました。

出逢ったばかりの頃は、言葉少なくシャイでテンパるヤキモチやさんでした。

 

そのチーちゃんと韓国で逢ったときは、驚くほど大人になっていました。

日韓併合の中で、歴史的に作ってしまった韓日感情。

その人間関係の中で生き抜いていました。

 

『久美ちゃん、年のいった韓国のこちらの人は、まだまだ日本に恨みがあるよ。

私が少しでも架け橋になれればと思っているの。この韓国とのご縁が私のこれからの人生にどんな導きがあるか……心配しないで!いつも久美ちゃんに頼っていたけど、私はしっかり韓国で生きるからね』そう語ってくれました。

 

あれから何年もの月日が流れました。

 

チーちゃんは元気なのかと、いつもこの紫陽花の季節に思い出されます。

沢山の辛い事や痛みがあると思います。

 

何年か前にいただいた手紙で彼女を偲びます。

『元気です。心配しないでね。大丈夫。』

そのわずかな文字に愛情を感じさせてもらいました。

 

今、私は心からチーちゃんに感謝しています。

日本を離れる時に、もちろん私にも素敵なプレゼントをくれたチーちゃんですが、私の大切な友人にもプレゼントを置いていった彼女のその真心に触れました。

 

人と人を繋ぐ事をさり気なく行動に現してくれたチーちゃん。

 

別れの時の私への手紙にこう書かれていました。

『久美ちゃんから得た愛を繋いでいきますね。本当に本当に久美ちゃんに出会った事が生涯の宝です。お姉さんのようでした。でもね、・・・私のお母さんでした』

 

私は手紙をみて泣きました。

 

紫陽花は、大地の母を潤す雨にうたれ、更に美しく咲きます。

生きる事は現実沢山の痛みがあります。

でも、美しい虹のように咲く紫陽花。

全ての痛みは栄養となり美しい花を咲かせるのでしょう。

そんな想いを感じさせてくれた、紫陽花の季節。

また、さりげない人との出逢いが豊かな気持ちに導いてくださいます。

(ちーちゃん、ありがとう。)

 

    皆様も彩り豊かな7月になりますように。  

 

2017年6月

燕尾服の可愛い燕

六月は燕の子ども達も元気に巣立つ時ですね。

幼い頃、春になると燕がやってきて、軒下に巣をかけるのを毎日毎日待っておりました。

 

よく母が、「燕がやってこないと、何かがあるんだよ。」と話してくれました。

 

人間の家に巣をかける鳥はツバメくらいですね。

何故だろう?

そう思っていましたら、男性のお客様が教えてくださいました。

 

『ツバメは身を守る為に、あえて軒下に巣をかけるらしいですよ。』

 

成る程!と思っていたら、その方は、

『実は僕のアパートにツバメが今年初めてやってきたんだけど、いなくなった』と悲しそうに話し始められました。

 

毎日毎日、ピーピー鳴くツバメの雛も可愛く感じ、仕事から帰ってくると嬉しく、雛の声を聞いていたそうです。

ところがある日、床に羽が散らばり巣からは何も聞こえてこない『やられた!』

どうやらカラスにやられたようだと。

それで、毎日悲しくて悲しくて・・・と。

 

又、友人のご主人様は、毎日ツバメをみる事が楽しみだったようですが、ある日、鳴き声が聞こえなくなって巣の中をみたら、巣立っていってしまったツバメにショックで、寂しいと泣かれたそうです。

 

 

この、お話を伺って、ホッと心の中で微笑む私がおりました。

ハートが温かくなるお話。素敵ですね。

 

来年も又、やってくるでしょう

何千キロも何万キロも旅をしながら又、

ふるさとの軒下に

 

道しるべもない、海を渡って、ツバメのように、

人間も心のふるさとに帰れたら

 

又、福を呼ぶツバメさんのように私達も福を呼ぶ人間になりたいものですね。

 

六月は『禄をはむ』

豊かな月になりますように願いを込めて…m(__)m           祈り

2017年5月

待ち遠しい5月を迎えて、心が弾む思いです。

 

新緑の美しさ、色とりどりの花々、まばゆい太陽の光……

外に出て美しい風景を見ながら大きく深呼吸をすると、生命の息吹を感じます。

……こんな風に、待ち遠しい5月を迎える前に、ある出来事がありました。

 

先日、銀行のATMで並んでいた時の出来事です。

私の頭の中は、長蛇の列にも関わらずストレスを感じることなく、菜の花やチューリップの

美しい花々を思い描いておりました。

 

突然!

『うるさいね! え~何言ってんだよ! ハァ~?うるさいなぁ! いい加減にしなよなぁ!』

……私の後ろで主婦の怒鳴り声。完全に廻りを氣にする事もなく、大きな声を張り上げて、

携帯でご主人様と会話の声が、耳にしたくなくても入ってきました。

私の心地よかった頭は完全に破壊され、それどころか、驚きで、心臓がドキドキ波打ち始め

ていました。

 

私の前に並んでいた女性は、小さい少女の手を引いて背中を撫でていました。

少女は振り返り、泣きそうな顔。その前に並んでいる人々は、ビクッとした様子で、主婦を

氣にして、時折後ろを振り返っていました。

 

館内に響き渡りそうな低い怒鳴り声は、その場の空気感を一気に壊してしまいました。

私は前の少女のこわばって今にも泣きそうな顔に、必死で笑顔を返していました。

思いの外、少女の顔から笑みを感じるようになり、ほっとしたのもつかの間、又、先程の女性

が怒鳴り声を張り上げておりました。

とても美しい言葉とは言えず、また言葉だけでなく、その場にいた数十人の人々の内側を完全

に荒々しくしてしまったのです。

 

人の声の波動。人の言葉の汚さから感じる心。影響を受けてしまうこと。

私は久しぶりに、様々な事を実感した出来事になりました。

 

話し方や言葉の選び方、口から発した時に感情を伴った言葉は、更に強い影響を脳に刻み、

聞いた人も、もちろん発した人も脳に刻まれる。そんな思いが立ち上がります。

汚ない言葉が争いを生み、戦争に繋がる事も、決して飛躍した考え方ではないと感じます。

 

ちょっとだけならと思って使った言葉が、負の連鎖を引き起こし、誰も望まない戦争になって

しまうこともあり得ると思います。

 

話し方や言葉の選び方……

本音を語って、自分は気持ちよくても、相手はどうなのか。

そして環境や場の空気を感じる力。

 

そんな些細なところから平和を創造出来ると、改めて感じた出来事でした。

 

美と健康のサロンを営みながら、最近は生活の中での洞察が深まり、来られたお客様に

いかに気持ちよくサロンで過ごして頂けるかを考えております。

人への思いやりや、優しさを提供出来る事をみつめ……世の中が美しくない方向にシフトして

いきそうなときは、その流れを少しでも止められるような人でいたい。

そんなふうに思います。

 

 

5月は気持ちのよい環境作りを更に願って励みます。

 

怒鳴り声事件に出くわしたおかげで、

こんな想いにさせていただいたのは、偶然でなく必然。

学びを頂きました。

 

5月の爽やかな風に負けないよう、素敵な爽やかな風が流れる、【サロンゆりの森】を創造してまいりますね。

 

5月も宜しくお願いいたします。

 

                   m(__)m

 

2017年4月

  

待ちに待った桜の季節がやってきました。

上越高田の観桜会は日本三大夜景、四万本の桜、ソメイヨシノが美しく咲き誇ります。

桜の季節は私にとっても大変感慨深い季節です。当サロンがオープンした月は、この4月

【ゆりの森】も12年目を迎えてまいります。

月日のたつのは本当に早いものです。

皆様に支えられ、愛され、スタッフと共に仲良く歩んでこられました。

そして、お客様とも友人関係、親戚関係のように、素敵な人間関係を育んでこられたように思います。

今では、沢山のお客様から【ゆりの森】があることは精神的な支えです。

こんなふうにおっしゃってくださいます。

多くのお客様から素敵な想いを頂いております。

 

人生はあっというまに過ぎていきます。

私は、【ゆりの森】を皆様との憩いの森()として見つめています。

心身が病んだ事実を受け入れながら、そこから学ぶ私達の人生。

人生は、本来素晴らしく楽しいもの。

病は、真の自分に氣づかせてくれます。

先日もお客様から頂いた言葉。

『病気を通じて自分の今までの生き方を振り返りました。そこからみえてきた自分の生き方。深く感じる事が出来ました。社長、ゆりの森の存在がどれ程大切な出逢いだったか、今更ながら感謝がわき上がります。ありがとうございます、』と

 

この4月は、出逢いと別れが交差する季節です。

 

新しい出逢いを楽しみに、新年度を出発して参りたいと思います。

 

これからも、どうぞ宜しくお願いいたします。

 

2017年3月

弥生三月

雪国の上越も、降る雪は、たおやかな~ひらり・ひらりと春の雪。

凍てついた大地も、木々も、川のせせらぎも和らいで、頬を撫でる風も優しさを感じます。

穏やかな日差しが窓辺から差し込んで、春の来たことをつげています。

 

先日、ある女性誌に掲載されていた有名な若い女優さんのエッセイを読みました。

春を綴った内容でした。

 

「コンクリートとビルの谷間に育ったために、春の桜をみても、心から美しいと感じられず、木々や花をみても、何も心を動かされない自分だった。ただ、大人になった今気づいた事は、『桜は美しい』と親から定義付けされた見方をしていたという事。動植物も、幼い頃に触れ合うことがなかったために、心から可愛いと思えなかったのだと。そんな自分の中の感じ方の違和感があった。」と綴られていました。

 

正直なエッセイに感心しました。

改めて想うことは、人が同じものをみても、感じ方は本当に違うのだろうと思います。

 

私は大自然の中で育った為に、逆に都会に違和感を感じ、ビルの谷間やコンクリートジャングルは、いつまでたっても馴染めません。

若い頃、都会に憧れて上京をした私は、一週間で郷里に帰りたくなり、辛くて辛くてアパートのトイレで泣いた覚えがあります。()

今も、東京に出向いても、空気や雰囲気が肌に合わなく、慣れるという事が全くありません。

 

年齢を重ねながら、少しづつ見えてきた、この世のありよう。

 

私の内側に変わらずあるのは、流されていくこの世の価値観ではなく、自らの内側にあふれでる意識と出逢う事。

それと同時に、他の人々の想いを尊重したいと、思うようになりました。

 

自分の内側に正直である事(自我と真我の調和)・・・その意識の延長線上に見えてくる、自らの本当の意識に出逢う。

冒頭でご紹介したエッセイの女優さんは、正直な自分に出逢っているのでしょう。

 

自らの心に光をあててみる力。

 

穏やかな春。芽吹こうとする新しい生命のエネルギーに負ける事なく、私達も、自らの内外共に語りかけ、新しい創造をして参りたいですね。

 

 

  桜の開花を待ちわびながら…     三月も宜しくお願いいたします。      (^-^)m(__)m

2017年2月

2月、旧暦のお正月を迎えました。皆さん、お元気でお過ごしですか?

寒い日々が続いておりますが、暦の上では春を迎えました。

節分、豆まきを終えて2月4日は立春です。

 

けれど

雪国、新潟上越は、まだまだ冬の真只中です。

日照時間の少ない雪国に住んでいると、本当に太陽が恋しくなりますね。

先日、私は出張で東京に五日間滞在致しましたが、太陽が何だか新鮮に感じました。

不思議なもので、上越で味わう太陽ではありませんでした。

 

何故なのかしら? と、感じてみたら

 

新潟上越では、本当に雪が降り続き、重い雲が空を覆いつくす毎日です。

こんな日々がつづくと、心まで重くなりそうですが

やはり、重い空が続いた日々の雲の間から、差し込む太陽の光は醍醐味です。

これは、都会や、あるいは、リゾート地などで感じる味わい方とまったく違う喜びです。

太陽の光を感じただけで、言い知れぬ喜びがやってきます。

 

当たり前の……凄く、当たり前の事と思われるかもしれませんが、

いつも太陽の恵みを頂いている地域では、中々感じる事ができないかもしれません。

この当たり前のような体験は、人それぞれですが、私は最近、こんな足元の事から本当に言い知れぬ感謝がやってきます。

どんな暖房よりも暖かく優しく包み込んでくれる太陽の恵みに、思わず手を合わせたくなります。

 

先日、あるお客様がこんな事を心からおっしゃいました。

 

【『ゆりの森』さんは、太陽のような存在です。

いつも暖かく丁度よい加減で迎えてくださり又お月さまのような存在でもあります。

そう陰で優しく支えてくださり

こんな素敵なサロンに出逢えて良かったです。

そして最近気づきました。 ゆりの森さんの存在が当たり前になっていた事に

 

東京や大阪に用があって、出掛けて帰ってきた時に、まず浮かんだのは、『ゆりの森』に早く行きたい・・・そんな風に思いました。

 

社長さん、ゆりの森を作ってくださりありがとうございました。

改めて「灯台元暗し」でした!

 

スタッフさんも素敵です。最高です。

まるで、寒い冬にほっこり現れた太陽のようなサロンです。】

 

私は、今一人言を綴りながら、こんな事を語ってくださったお客様を思い出しました。

嬉しい言葉でした。

 

ゆりの森は、沢山のお客様が、心身を痛み悩み又、回復を願い、心身の健康管理を願いながら来店されます。

立春を迎えて、改めて皆様のお役にたち暖かな春の日差しを放っていけるよう励みます。

 

2月も、どうぞ宜しくお願いいたします。                  m(__)m(^-^)

2017年1月

新しい年を迎えました。 本年も宜しくお願いいたします。

 

昨年末、義理の母が他界致しました。

私の胸の内に、なんとも言えない焦燥感がやって来ました。

義母の最後の言葉(しっかりとした会話)は、「久美ちゃんお誕生日おめでとう。

久美ちゃんは、この頃、元気になったね。良かった、良かった……。でもね、無理するんじゃないよ。体は大事にするんだよ。」

私の手を力強く握り、暫く手を離そうとしませんでした。

たぶん義母は、お別れがわかっていたのかもしれません。

亡くなる一週間前の出来事でした。

 

義母は、フレンドリーな楽しい女性でした。

おおらかで、たまに私の辛い胸の内をお話しすると、『大丈夫、大丈夫、きっとうまくいくよ。』と、励ましてくれました。

 

義母との思い出は、後から後から溢れてきます。

今から14年位前、ゆりの森を、立ち上げる少し前の出来事でした。

二人で、庭の大きな鉢の中で咲いている綺麗な百合を見ながらお茶を飲んでおりました。

「あの百合、久美ちゃんが植えてくれたんだね。ありがとう。」

「えっ? お母さんが植えたんじゃないの?私はお母さんが植えてくれたんだとばかり思っていたのよ!」・・・・??

二人はその後狐に騙されたような顔で、無言になってしまいました。

 

その後新しいサロンのビジョンと、サロン名は【ゆりの森】にすることを語りました。

義母は、私の話に、しっかり耳を傾けてくれました。

特に私の話の中で、何故、サロン名が【ゆりの森】なのかその事に心が動いたようで、涙を流しながら聞いてくれました。

 

その内容を簡単に御紹介します。

実は私の父は材木屋を営んでおりました。冬になると木を買いに歩きます。

そして、その木を、春の芽吹きがふく前に、残雪がまだあるときに伐採します。

父は伐採の時に、他の木を傷つけずに、見事に倒します。伐採の名人でした。

また、父は百合の花が大好きで、伐採後の山に百合の花を植えては満足な顔をしていたものです。

ある時、私は父に訪ねました。「ねぇ、何で百合を植えるの?」父は答えました。

「百合はね、山で切った木を慰めてくれるんだよ。そして、百合は大好きな花なんだ。」

幼い私にとって、とても印象深い話でした。

 

その話を以前、実の母にすると、「父は百合の花が大好きだから、女の子が生まれたら、百合子と命名する予定だったんだけど、いざ待望の女の子が生まれて、百合子と命名する決意で役所に行ったら、何故だか、久美子と命名して帰ってきたしまった」と。

そのエピソードは衝撃的でした。

 

そして、この話を義母にしたら

「そうなんだ【ゆりの森】それは、久美ちゃんのお父さんが願っている、サロンの名前だね。お父さんが久美ちゃんを想って命名したいと天国で想っているんだね。頑張ってね」と、言ってくれました。

 

振り返ると、亡き二人の親から励ましてもらった【サロンゆりの森】

 

葬儀場で、花嫁衣装でお別れしていく義理の母。棺の傍らで、主人の涙を、義理の妹の涙をみつめながら、お別れの切なさを見届けていた私に、フラッシュバックのように思い出がよみがえってきます。

義母の顔の傍らに、そっと百合を手向けました。

「お母さんありがとうございます。天国で私達を見守っていてくださいね。」

 

             

2017年は、どんな年になるでしょう。

しかし、私達がその与えられた年を創造していきます。そう思ったら他人事ではありませんね。

私は、この体験から、亡き二人の親から頂いたメッセージを土台に、心から励んでいこうと思います。

 

今ここに、13年前に主人が一生懸命に作ってくれた【ゆりの森】のパンフレットがあります。

 

想い   そのページは、私の想いを綴ってくれたのです。

 

今、私はそのページをみていますが、見ながら涙が止まりません。

主人が心から私の想いを感じて表現してくれたパンフレット。

私の想いを受け取ってもらって、支えてもらって今がある。

そして、今更ながら思います。……

私はどれだけの人々に支えて頂いているのでしょう。

 

パンフレットには、   ゆりの森=森羅万象 百に合う=百合   とあります。

 

その意味をどうぞ受け取って頂き、皆様と、更に本年も素敵な美しい百合の花を咲かせたい……

そう願っております。

 

亡き親から頂いた想いを胸に……

                 合掌

2016年12月

12月を迎えました。

この月は私にとっても大変思い出深い月です。 

 

24年前、123日は、美容室ラディアンスがオープンした日です。

サロンオープンの宣伝を全くせず、始めましたが、胸の内は、ドキドキでした。

あれから24年、一日として一人も来客のない日はありませんでした【お陰さまですね

 

けれど、私にとっては、辛い日々の始まりでした。

何故なら結婚と同時にサロンオープンです。夫も同時に建築事務所を立ち上げたので、

結婚生活を落ち着いて迎えた実感は全くなく、ただ、ただ忙しさの中に月日は過ぎていきました。

結婚当初、すでに最愛の父の闘病生活が始まっており、続いて嫁ぎ先の父が倒れ、

更には、私を心から愛し見守ってくれた叔父まで倒れていったのです。

私を守ってくれた3人を順番に見送り、この世でのお別れをしていきました。

 

でも、私の内側にある、生まれる前にプログラムした意識は黙っていなかったようです。

美容室の中での出逢いは、私にとって大切な宇宙になりました。

 

私は、一人一人のお客様と大切に向き合おうときめました。

宇宙は広がり、更にはスピリチュアルな出逢いが沢山準備され、その世界の方々に愛され支えられました。

とくに、12月になると、そのように精神世界に精通した人が現れました。

神様も私を放っておかなかったのでしょう。

 

今では、ラディソンス美容室の延長線上に、【サロンゆりの森】を開く事が出来ました。

私の人生で更に出逢いの場が膨らみました。

 

この舞台は私にとって真に重要なところになったようです。

接客を通じて学ぶ人間関係。本当に幸せです。

何故なら、お客様を越えて友人が沢山出来たのです。志した意識は実りますね。

私は、お客様作りをしたいのではありません。

この人生にどれだけ心を許せる友人を作れるだろう。その事が私にとって最も大切な事なのです。

もちろん元のスタッフも私の大切な友人です。

 

二千年前に、足元から崩れていったイエス・キリストの人間関係。

人類を最高の友として……信頼を導きたかったイエス。唯一の友は、神様だったのです。

時代は成熟していなかった……そんな中だからこそ築き上げようとした、人間関係。

 

いよいよクリスマスがやってきます。大切な尊い月のようです。

私はイエス様が大好きです。人類にとって大切な示唆を向け、愛で刷新した、十字架上のイエス様。

 

私はこの12月に生まれました。生まれる日は自分で選ぶと言われます。

私はこの月に生まれた意味を、この数年間で知ったように思います。

 

皆さんと出逢った事が私の人生での最も大切な事のようです。

 

人生とは、あなたにとって何でしょう? そんな事を少しでも感じてみませんか?

 

一年の終りの12月があなたにとって豊かな月になりますように。

12月も宜しくお願いいたします。          m(__)m

 

2016年11月

晩秋の11月を迎えました。

すっかり寒くなりましたが、お元気でお過ごしですか?

自然界は冬の準備に入っております。

彩られた木々も落葉が始まり、固くなった枝は、静かに休息を迎えます。

 

先日まで鳴いていた鈴虫も、すっかり静かになりました。

又、動物達は、春の日差しを待ちながら、長い冬眠に入ります。

動植物の営みは実にシンプルで、自然の理の中で生き続けます。

 

しかし、この大自然の摂理を狂わせてしまった人間の愚かさも対極に感じてしまうこの頃です。

 

熊や、猪は、山からいでて、人間の居住空間を荒らします。

どんどんと、人間界に入り込む動物達。

しかし、これも全て、私達人類の自然界を侵した、しっぺ返し。

熊や、猪や、タネキが悪いわけではないのです。

生命の尊さを無視した、現在の人間の生活の立ち位置が問題である事は、間違いありません。

 

私達が、何を、どこから始めるかを問われます。

私達人類の生き方のありよう……

 

内側が、整ってこそ、外側の繁栄。

誰かのせいにする必要はなく、自らの一人一人の気付きから。

 

私は、ゆりの森で皆様の心身のサポートをしておりますが、病んだからこそ分かる世界。

それは、大元から狂ってしまった内容を発見します。

 

この世にあって、この世にない。

それは、この世のニーズに流される事なく、自らの意志と、

意識の先に作り上げられる、シンプルな真実の世界。

 

わたしは、今の立ち位置をしっかりみすえて、更に皆様の、サポートが出来たらと考えております。

勇気を持って見直してみましょう。

生活の中での歪み・・・・・・

 

わたしは、息苦しいほど発見しました。

 

食品の狂い。移住空間の狂い。電磁波。マイクロ波。医療の問題。人間関係。

 

これらを、勇気を持ってみきったからこそ、見えてきた世界があります。

 

本来人間は素晴らしい存在だった事に間違いはありません。

ネガティブ意識を作りたいわけではありません。

今ある現実から逃げずに創造していく喜びに立ち返り、歪んだからからこそ、見えてきた美しい世界があります。

 

今月は、新しい年を迎える為の重要な月です。

11月は、そんな月と言われています。

 

肩の力を抜いて、大自然と共に人間の自然の姿にもどりましょう。

今から……     私から……11月も宜しくお願いいたします。    m(__)m

2016年10月

衣替えの季節を迎えました。

学生服も最近では見られなくなりましたが、私の学生時代は、制服が変わることで季節の移り変わりを

実感したものです。

詰め襟に、セーラー服。どちらも考えてみれば、軍服です。過去日本は軍事国家だったからなのでしょうか?

今はなかなか見かけない姿ですが、私にとっては、非常に懐かしく思い出深い制服(学生服)です。

 

こんな想いから季節感を感じてもいた私ですが……何故か衣替えは大好きなのです。

聖書にこんな聖句があります。 【古き衣を脱ぎすてなさい。そうすれば天国に行けるでしょう。】

 

天国に地獄……話は変わりますが、母がよく幼い私に天国と地獄を例えばなしで語ってくれました。

小学校の四年生位の時です。私は「もう漢字の練習は、やだ!」と叫んでいました。

そうしたら母は、「あのね、漢字がわからないと、あの世に行くとき困るんだよ。」と。

「なんで?」と聞くと……「人は、死ぬと間もなく、目の前に標識が出てくるの。でもね、漢字を覚えてないと、その標識は天国行きと地獄行きと2つの漢字が書かれてあるんだけど、読み方が解らなくて、間違って地獄の標識の方に歩いていっちゃうんだよ。だからね、なんでも漢字は覚えておくといいんだよ。」と諭してくれました。

幼い私は、それから一生懸命に漢字の練習をしました。()

 

そんな母の教えから私は漢字の意味を見つめるようになりました。

衣と言う文字のもつ意味。この季節になると身近な人に、お話を致します。

 

「古い衣を脱ぎましょう……」私なりに表現をします。

私の内側にある、持っていてもなんの得にもならない衣()を手放しましょう。

その想いはいつもこの季節に強く現れます。

 

衣へんの上に龍と書いて、襲われる・・・と表現される文字になります。

龍とは神をも意味しますが……。なんと聖書に記されたメッセージには、感動します。

私の勝手なとらえかたなのかもしれませんが……

 

又、余談ですが、一説には、聖書は漢字で記されていたとも聞いた事があります。

 

冒頭で、制服の話もしましたが、……詰め襟とセーラー服が、手放されていく時代。

もしかしたら、日本は軍事国家から、離れ始めているのかもしれません。

とは、いっても今の政治家の方々はどのように見つめているのでしょう?

(これも余談ですが、自衛隊やら憲法9条が騒がれて……)

古い衣を脱ぎ始めて下さっていればよいのですが、……

 

衣とは、なんでしょう?・・・・・・「考え・マインド」

私はそのように見つめながら、この季節

洋服をクリーニングしたり、新しい服を新調するように、心も、楽しく爽やかに生活できるように、

古い衣を、脱いでいこうと思います。

 

皆様も、この衣替えの季節。 身だけではなく、心の衣替えをしませんか?

 

身はサンドバスで、汚れを落としてクリーニング。

心は、過ごしやすい、この季節に心の内観でクリーニング。

 

皆様の心身が、実りの季節を迎えられますように。

 

10月も宜しくお願いいたします。 m(__)m

 

2016年9月

去り行く夏……訪れる秋

茜色の夕日に、鱗雲、すすきに、萩。秋桜は風邪に揺れながら、初秋を彩ります。

……の歌を思わず口ずさんでしまいます。

 

少し前に、友人と私の郷里を訪ねました。

そこには、何も残っていない、住居後には、沢山の雑草と木が生えておりました。

ここに以前私の生家があったのかしら?と思わせられる程の変わりようでした。

しばらく佇む中で……大自然の中で育ててもらった父母への感謝があふれでました。

そして、誰も通らない農道に座りながら、しばらく昔を回想

していました。

……自然にあふれでる涙を感じながら

そこには、不思議な安堵感があり、時空が止まってしまいました。

……やはり、郷里は深い父母の愛があるのですね。

 

そして、9月2日・父の命日。秋風と共に旅立った父を思い出します。

私は季節の変わり目で、1番この季節が、大好きです。季節の変わり目は、人生の節目すら感じてしまうものがあります。

 

誰もが年を重ねていきますが、変わらないのは人の心。

よく「あの人は変わってしまった。」なんて、言葉を聞きますが、本当は人の心は変わらない……。そんな風に思います。

 

人は、環境のせいにしたり、誰か第三者のせいにしたり、見なかったことにしたり、存在そのものを否定したり・・・あえて何かを変えようとするのでしょう。

それは、そうして生きる事が楽になると思わせられた魔法なのかもしれません。

 

でも、どんなに変えようとしても変わらないものは、自らの内側にある、全てを知っている本当の自分。

私の大好きな映画【レミゼラブル】 その映画の主人公ジャンバルジャンのように。

 

私は、久しぶりに郷里の土を踏んで、懐かしさと、自らの純粋意識に出逢ったような氣がします。

そして、冒頭で表現した心の中で口ずさむ昔の歌がありました。

 

~赤トンボ。小さい秋。

どんなに素敵な音楽や歌に出会っても、やはり幼い頃、母と歌った唄は細胞で覚えており特別です。

きっと、こんな小さな自分との出会いから、人生の中で作ってしまった、自らへの嘘は暴かれて、郷里の風にのって歌にのって懐かしい父母の愛にのって

そして、大自然が後押しし、【魔法】が解かれていくのでしょう。

季節の変わり目に想うこのごろ。

 

もう少ししたら、もっと過ごしやすい季節を迎えます。

この季節の変わり目に皆様も、少し自分と向き合ってみませんか?

 

秋風が、魔法を解かしてくれますよ。

 

そして、夏の疲れを取る季節。

ゆりの森で心身の浄化をいたしましょう。

 

                         m(__)m

 

2016年8月

上越市高田公園では、第37回上越蓮まつりが開かれております。

本年も双頭蓮が開花しました。一本の茎から蓮の花が二つ。出現の割合は23万本に一本と言われているそうです。それだけでなく、並てい蓮も咲いたそうです。

一つの花の中に二つの花托をつけている蓮だそうです。

 

東洋一と言われるだけあって、高田公園のお堀の蓮は、数と美しさは圧巻です。

それだけでも凄いのに、この二つの蓮の奇跡的な咲き方は、上越市に何かしら喜びを運んでくれるような予感がします。

 

御釈迦様の蓮座、白衣観音の蓮座。

美と豊穣の女神とされる、(ヒンズー教)ラクシュミも又、蓮座に立っています。

 

花の中でも、霊格が高いと言われる蓮は、人が魂の進化と成長を成したとき

蓮の花になると言われています。

又、蓮の香りは人も動物も全ての生命を癒すとも言われます。

私は、なぜこのように蓮のお話しを綴るかと言いますと先日、高田公園を散歩した折に、朝の風が、夏を感じさせず涼やかな蓮の香りを運んでくれました。

 

私は蓮の香りと一体となり突然癒されました。

私の内側にやって来たのは、今更ながら生かされ育まれているという実感でした。自然の摂理の素晴らしさに感動を覚え暫く蓮の花を見つめながら佇んでしまいました。

私の内側に浮かぶ想いをそのまま感じながら蓮の花と共にそこにいました。

何も着飾ることのない自然界。

人間の内側にある傲りや、憎しみや、いかり、悲しみ、恐れ。

それら全てを包み込む自然界の偉大さを、蓮の花を通じて感じた、ある日の朝の出来事でした。

 

今日は私の心に    蓮の花を飾って祈ります。

 

今日は、私の祖父の命日です。

肉体は亡くなっても、霊()は存在しています。

それぞれの違う次元で様々な形で生き続けています。

蓮の花で、豊かな優しさに導かれ

祖父の存在に感謝を捧げながら、今月の「一人言」の綴りを終えます。

 

どうぞ、お盆の月の8月は、皆様にとって大切なご先祖様への祈りの月になりますように。

 

心に蓮を飾って祈ってみてくださいね。

 

              合掌…m(__)m

2016年7月

夏本番を迎える七月は、七色に輝く虹と紫陽花が美しい季節です。

私の住む高田公園も美しい紫陽花が咲き誇り、蓮の花も咲き始めました。

季節ごとに咲く花のエネルギーは癒しを与えてくれます。

 

先日不思議な体験を致しました。

その日は、身心が疲れはて帰宅しました。

テーブルの上にはピンクの百合が飾ってありました。

私は、心の中で少し疲れた一日だった事を、そのテーブルの上の百合に話しかけました。

私の想いを感じてくれているかのように、風もないのに揺れるのです。

ふっと窓をみると閉まっています。

それと同時に、テーブルの横に置いてある白檀の匂い袋からも、突然優しく香るのです。

私の内側は優しい心に満たされました。

 

全ての存在に意識があるといいますが……

たとえば、確かに、人が住まなくなった家は朽ちるのが早く、人の気のない住宅は寂しさが漂います。

 

氣の世界を、当たり前に思っている事が多い日々に、ふっと氣づかせてくれる、生活の中の痛み。痛みがあるからこそ、謙虚になる氣づき。

先月インドから帰ってきて改めて思いました。

日本人は細やかな氣づきの民族であると。

 

日本人は【愛を持った存在】回りをみれば、色々ありますが、外に出て氣づく愛の世界。

私達は、とかく外に憧れてしまいます。

けれど、今回もインドに行って、本当に日本との違いを感じました。

 

冒頭で、美しい自然をお伝えしましたが、インドから帰ってきたからこそ、日本の美しい自然を更に感じるのでしょう。

又、匂い。

インドはたえず、汚物の匂い。大地はゴミだらけ……

そして、路上で寝ている人、貧困、病気。

しかし、そんな中でも、私が目的地に向かう中で感じた事がありました。

それは、小さい村の、小さい規模の祭りの光景でした。

少し外れた音楽を奏でながら、人々は変なはしゃぎもなく、自然体の中で楽しんでいるように感じたのです。いわゆる、肩に力が入っていない

きっと人々から発している、氣が自然だったのでしょう。

今回のインドは、足元から更に深く内側に感じる想いがありました。

日本は外側の世界では満たされた内容を沢山持っています。

しかし人々から発している氣は、硬直しています。

一概に言えないとしても日本人は緊張感を感じてしまう民族のように感じてしまいました。

しかし本来は素晴らしい意識を持った日本民族。

 

もっと私達一人一人に、良い意味での自信が必要なのでしょう。

比較文化を作ってしまった日本人。ナンバーワンを目指すのではなく、オンリーワン。

疎外感を作り出し、孤独を作りだしたのでしょう。

インドで生涯を終えたマザー・テレサは、日本人に対して語られました。

「先進国の孤独。精神の貧困を見つめてください」・・・と。

 

でも、「日本人は本来どこの国よりも素晴らしい精神性を持ち合わせている」と

世界のエネルギーを感じる方々が、世界中を回っておっしゃったらしいです。

 

私達日本人が持つ精神性。原点回帰なのでしょう。

 

豊かな色合いと書いて【艶】と書きます。

色には沢山の内側を現す心の表現(愛情)

この季節美しい虹をみるように、又、美しく七色の光と氣を発する紫陽花のように、

私達は自らを信頼してまいりましょう。誰よりも自分を信頼出来なければ自信になりません。

そうです。どんな自分でも信じてあげる事なのでしょう。自分を愛せて回りを愛せる。

 

マザー・テレサは言われました。

「愛の反対は、憎しみではありません。愛の反対は、無関心です。」

 

私達は、自らにも人にも無関心でなく、関心を持つ事で愛が生まれるのでしょうね。

 

七界天国とも言われる七月。

共に身心の幸せづくりに励みましょうね。一人一人の内側に天国を。

 

 七月も宜しくお願いいたします。 

 

 

2016年6月

東洋一と言われる、高田公園の蓮の葉が成長しています。

本年は、どんな鮮やかな花をつけてくれるか楽しみです。

 

3年前の6月は、毎日、朝から散歩を楽しみました。

スポーツが苦手な私は、せめてもの体力作りと思って始めたのですが、最も重要な理由は、インドに向かう為に体力が必要だったのです。

 

実は、この6月5日から、5回目のインドに出発です。

インドは、私にとって苦手な国なのですが…

何故だか人生で、こんなにご縁があるとは驚きです。

けれど・・・治安、気候、食事、衛生面、あまりにも日本と違いすぎ、本当に困ってしまう事ばかりです。

一番は私の体力のない事が辛いです。

いずれにせよ、インドに向かう事は、私が決めた事です。

どんな理由があるにせよ楽しんで参ります。

 

環境を変えて自分を見直す事。立場を変えて自らを見つめる力。

たった一度の人生に対して責任を持つのは私自身です。

私の尊敬するマザーテレサは、人生の全てをインドで過ごしたようなものです。

 

何故インドなのか?

そして、仏陀は何故インドで、お生まれになったのか?

その答えは私のの4回目のインドで、わかり始めました。

 

今回は、「だから…インドなのです。」と…答えられそうです。

 

18歳の頃…私は蓮座にお座りになる、お釈迦様に憧れました。

今、私は高田公園の蓮に囲まれた生活をしています。

これは偶然でしょうか?

人生の中で、細やかな出逢いに、シンクロに、感動を覚える日々です。

 

泥沼でないと美しく咲かない、蓮の花。

人生も苦があって悟ると言われます。

 

この、一人言を綴りながら、あれだけインド行きにどこかで抵抗していた私が、

何故だか深いところで、感謝と祈りを捧げています。?!

 

「悟り」とは、…「差取り」全ての分離意識の差を取ること。

全ては、時にかなって美しく、全ては、不完全の中での完全。

宇宙は常に今。過去もなく未來もない。

全ては、今…

そして、人類は進化ではなく成長。

悟りとは?と簡単に表現してみたら、このような言葉が浮かびます。

13年前は理論で見いだそうとしていた私ですが、今は…嬉しいくらい、腹に落ちてきています。

人は変わらないですが、変容はしますね。本当に今更ながら驚きます。

 

初めてインドに出向いた13年前。

その時と、今の私の内側は、まったく変化した事を感じます。

 

皆さん、今回も目覚めて参りますね。()

蓮座に微笑む自らをイメージして。そう思ったら楽しいですね。

帰国して、皆様と、お逢い出来る事を楽しみにしております。

 

6月も宜しくお願いいたします。              ナマステ(^-^)m(__)m

2016年5月

爽やかな五月を迎えました。花々が美しく新緑の眩しい季節です。

季節の移り変わりの早さに今更ながら驚きを感じます。

 

四月の中旬に大阪に行って参りました。

昨年の11月に東久邇宮文化褒章の受賞に引き続き、東久邇宮記念賞を賜り、その式典に参加するためです。

 

行きは、本当に大変でした。

数日前に、熊本の震災があり、出発当日は大変な暴風に見舞われ、乗る予定の新幹線は止まり、高速道路は一部通行止めとなり、結局、車で大阪まで向かったのですが、慣れない長距離の道を、強風にハンドルを取られながら、女性3人で代わる代わる運転して下さり、大阪に着いたのは夜遅くでした。

又、ある方は、別のルートで電車を乗り継ぎ、何時間もかけて会場に駆け付けて下さり、同伴して下さった皆さんには、本当に感謝でした。

その日はウィークデー。皆さん長年のお客様ですが、仕事を休み、自腹で、授賞式と祝賀会に参加してくださり、本当にかけがえのない友人であり、利害を超えたお付き合いだと痛感いたしました。

 

本当に大変な一日であったからこそ、こんな風に感じられたのでしょう。

当たり前の事が当たり前でないと思えた氣づきに、とても嬉しくなりました。

 

帰りは、道中の風景を楽しみながら、芽生えていく緑に新鮮な内なる喜びを感じ涙が溢れて止まらず、私にとっては、東久邇宮記念賞を頂く喜びと共に、尊い氣づきを与えられた記念の日となりました。

 

豊かさとは何でしょうか?

 

色々あると思いますが、私にとっての豊かさは「友」だと答えます。

親子も夫婦も恋人も全ての人との関係性は、友人関係であると感じます。

困ったときに力になってくれたり、共に喜んでくれる存在は、突然現れるわけではありません。

私は長年、お客様との関係の先に友人関係を育みたいと思って、これまで歩んできました。

利害を超えた人間関係を築くことで、人生も潤います。

 

ともすれば、近くなればなる程に見えなくなってしまうのが、心の世界。

相手を敬う、尊ぶ心が失せ、相手の心に土足で入り込んでしまう。

そんな人間関係を見つめ直すには、他人でもなく、親族でもなく、友人関係のような距離感を保つ事で整えられるように感じます。

 

五月は、緑が美しく萌える季節。緑色は調和の色に象徴されます。

この季節、人間関係を足元から見直してみませんか?

 

五月晴れ

爽やかな風があなたの心に行き渡るかもしれません。

 

 

どうぞ五月も宜しくお願いします。

2016年4月

久し振りに 郷里を訪ねて~

 

私の生まれ育ったところは人里離れた山の奥の奥です。

山紫水明ですが……まったく何もありません。

過疎化が進み、人に出会う事もありません。

人の気配がほぼ無くなった田舎に少しの寂しさを感じながら、暫く山歩きをしました。

しかし

余りにも懐かしくて足を止めると、暫く時間が止まったような感覚になったのです。

 

雪解けの水の音

   鳥の声

   小川のせせらぎ

    風の音

 

幼い頃、大きく見えた田んぼが小さく見えて、小さく感じた杉の木が大きくなりました。

幼い頃の想い出が走馬灯のように蘇り涙が溢れました。

 

ふるさと      本当によいものです。

 

春の自然界は新しい生命を生み出します。そして命の大切さを感じます。

蕗の薹・つくし・スミレ  木々の芽吹きと共に春を満喫しながら

スミレかタンポポのようだった小さい頃(保育園の頃)の私を思い出しました。

懐かしい父母との想い出。そして兄弟とケンカしたり仲良く遊んだり沢山の想い出。

その想い出と共に当時の心情も深くよみがえりました。

【ふるさと】は家族の、そして父母の愛の証がありますね。

この大地が私を育て、この空が私を見守ってくれました

 

この4月大自然と両親に感謝しながら新しい出発です。 私も、ゆりの森も。

 

10年を迎えた【ゆりの森】

新年度共にスタートです。

 

【ゆりの森】を、10年愛してくださりありがとうございます。

514()午後6時、【ゆりの森・10周年パーティ】を準備しております。

どうぞ皆様ご参加ください。そして共に祝ってください。

 

そして皆様のご両親から頂いた大切な心身、これからもしっかりサポートさせて頂きます。

 

「私たちの第二のふるさとが【ゆりの森】」と言って頂けるよう、スタッフと共に、励んで参ります。

 

どうぞ宜しくお願いいたします。     m(__)m

2016年3月

   【弥生・三月】

 

受験・卒業・転勤・転職・引っ越し・入学準備。

三月は、大変忙しい月です。

三という数字には【三人よれば文殊の知恵・石の上にも三年・三年一昔・三日坊主・三羽烏・三度の飯・三三九度・三途の川・三拍子】まだまだこのように三が現された言葉が沢山あります。

 

三月は、一年を通じても、人の生涯を通じても、何か大きな変わり目の月のように感じます。

私の人生を振り返ると、その都度に変わり目があった事に氣づきます。

この、一人言を読んで下さっているかたも、ご自分の人生を少し振り返ってみてください。少なからず人生の変わり目であり、氣づきの月であり、そして一年の躍動を始める時なのだと感じられると思います。

凍てついた冬を越えて春。死から蘇生のように、硬い枯れ枝のようなところから、新しい芽が吹きます。

そして、しっかりと天から降り注がれる日の光を受け止め、三月を越えて、大地に根をはる、四月を迎えます。

 

なんて春は素晴らしい季節なのでしょう。

私は数字に少し興味を持っておりますが、数字には全て霊(意識)が宿ると言われます。

例えば、三は天数(父を現します)。四は大地の数(母を現します)

 

父なる数字と母なる数字を足すと(3+4)七数になります。

七日という一週間を現し、虹色の七色、ラッキーセブンが表現されます。

三数と四数は、とても意味があるのです。

このように、改めて一年の出発の大切な季節に感じます。

 

三月を、どんな風に歩むかを意識し、四月の新年度の準備を致しましょう。

そして皆様と楽しむ月に致しましょう。

先ずは心身のケアにお越しくださいね。

 

今月も宜しくお願いいたします。   m(__)m

 

2016年2月

節分を迎え、そして立春、いよいよ桃の節句ももうじきですね。

まだまだ寒い日が続いておりますが、暦の上で春の喜びを感じるこの頃です。

 

日本は四季がハッキリしています。

季節感を感じる喜びとして月ごとの行事や、年中行事があります。

特に、桃の節句・お雛祭りは、日本の女性にとって楽しみな行事でもあるようです。

最近では、様々な材料を使っての手作りお雛様が流行っています。

絵に書いたり、粘土で作ったり、色紙を使ったり、貝殻を使ったり、アイデアを楽しむ、ひな祭り。

高価な雛人形から随分と変化した雛人形。

時代の移り変わりの影響も受けているのでしょう。

 

平安時代から伝わる雛祭り。

この雛祭りは、お内裏様と呼ぶように、宮中のお姿を仮に人形に写して敬うもの。昔は雛人形で遊びながらお飾りの、お膳の上のお椀やお箸やお茶碗で、自然と使い方を学びました。

雛壇は、様々な立場から、各位というものは何かを象徴的に壇で教えています。

又、雛祭りは、楽しみながら、女の子に必要な躾を学んだようです。

 

桃の節句は邪気払いとも言われ、桃の木には邪気を払う力があります。

健やかに育ってほしい、親の願いと祈りを込めて行われてきた日本文化になくてはならない年中行事のひとつでした。

 

季節の変わり目と喜びを教えてくれる雛祭り。

失われていく日本文化を雛祭りを通じて感じてみませんか?

 

実は本来、桃の節句は、女性の優しさ、たおやかさ、豊かさ、美しさを導き出す行事のようです。

 

女性の優しさは平和を作り出します。女性性に宿る母性から

 

   雛祭りの女子会。

 

    雛祭りパーテイ。

 

楽しみながら、雛祭りで女性を感じてみてください。

 

2月も宜しくお願いいたします。

2016年1月

新年明けましておめでとうございます。

 

新しい年の幕開けは、お天気に恵まれ、日照時間の少ない雪国には珍しい年明けとなりました。

お正月はどのように過ごされましたか?

  本年は申年(丙申)ですね。申は熱いエネルギーのある存在ですが、本年はどんな年か簡単にお伝えいたします。

丙申年は、陽気が一段と強くなり発展していく事を意味しています。

そして、丙申の申は、人偏をつけた「伸」と同じで伸びるという意味になります。新しい力の伸展や挑戦を表しております。

以下は私なりの解釈ですが参考にしてみてください。人偏の他に、神の文字にも「申」があります。神の偏は「示す偏」です。皆様は初詣に行かれたと思いますが、何を神様の前に示し祈るのか?そんな事も照らし合わせたら、何を伸ばす事が出来るのか、人の力だけでなく、神の力に委ねも必要と感じるのではないでしょうか。そして…()をみると有頂天になるのは禁物です。

丙申は、「陽の火」「陽の金」で相剋の関係になり不調和な状況が生まれることを示唆しています。紛争や自然災害など不調和な状況が増えそうです。 

 

  ゆりの森では、年に一回から二回、風水の先生をお呼びします。

私自身も鑑定をして頂き、良き方向づけを頂きます。

欠けている部分があったらそこを伸ばし又、沢山の学びを頂きます。

今回も2016年に相応しいアドバイスを頂きましたが、私達人類、万物世界は宇宙の法則と共に生きています。私は風水、氣学などは宇宙学だと感じます。大自然の歩みは宇宙の歩みとリンクしながら、そこに万物界の霊長といわれる人類。そこにこそ、地球の命運を導き出す答えがあると思っています。

 

その答えは最もシンプルな「生き方」なのかもしれません。

人間にだけ示す事が出来る「生き方」

全てに影響力をもたらす人間の歩み。そして意識。想念。

 

本年の命運を平面的な言葉、善し悪しで表すなら、やはりシンブルに「生き方」なのだと思います。

 

 

宇宙の法則

【やったことが返ってくるだけ。】

 

本年は、特に多くの方々と人生を立体的に見詰める力を育てられたらと思っています。全てを楽しめるよう、心身含めて、皆様に良きアドバイスが出来るよう歩んで参りたいと思います。

 

本年もどうぞ宜しくお願いいたします。

 

            合掌m(__)m

2015年12月

   華やぎの季節がやって参りました。

そして、天からは白い妖精が舞い降りてきます。

 一年は早いですね。新しい年を迎える前の大切な月です。

 

この12月が私の誕生月でもあるせいか、とても想い入れがあります。

又、全世界で偲ばれるイエス・キリストの降誕を祝う日としてクリスマスがあります。

私はクリスチャンではありませんが、イエス・キリストとの関係性を感じる不思議な体験が

今迄の人生の中で幾度もありました。

 

一つご紹介しますと、それは19年位前に遡ります。

人生の中で大きなターニングポイントの時でした。

苦しみの中にいた私が、インドネシアの古都ジョグジャカルタから一時間の世界遺産のボロブドゥール遺跡を訪ねた時でした。

そこは89世紀に作られた世界三大仏教遺跡でもあり、お釈迦様の生涯のレリーフが刻まれています。その石に刻まれている御釈迦様の生涯を観ながらボロブドゥール遺跡を上りきった後、同行の群れから外れ、一人で丘を降りてきた時の事です。

貧困の地でもあり、現地の人々が沢山の土産物を路肩で販売していました。

大体が灰色の仏像ばかりでした。しかしふとみると綺麗な色彩のイエス様が私の目に飛び込んできました。「なんでヒンズー教の地に、イエス?」私は不思議でした。

そして氣がつけばイエス様の像を手に取っていました。

810歳位の男の子に「How much?」と尋ねましたが、英語は通じず、手から放そうとすると、その子は受け取ろうとせず、像を私に押し戻すのです。

買ってほしいのだと思い現地のお金を適当に出すと、そのお金を返されてしまいました。

暫くイエス像のやり取りが行われ、私は断念して頂きました。

そのイエス像を持ちながら、不思議な感覚で、又一人で歩いていました。

間もなく主人が私に追い付き、「そのイエス像どうしたの?」 私は頂いたと答えました。

主人は「こんな貧困の地で、くれるわけがないから一緒に返しにいこう」と言われ、来た道を戻りました。すると、そこには先ほどの男の子の隣にお母さんもいました。

私はその時、やはり主人の言うように、傍らにお母さんが居なかったから、男の子の勝手な行動だったのだと思い、お母さんに返しました。

するとお母さんはイエス像を受けとるやいなや、現地の新聞紙に包んで、又、私の手に戻されたのです。キョトンとしている私に、持って帰りなさいと言わんばかりに素敵な笑みを浮かべて、さよなら、の手を振ってくれました。涙が止めどなくながれ、その場を跡にしました。

 

あの時の不思議な体験も忘れられませんが、あの可愛い男の子とお母さんの綺麗な目を忘れる事が出来ません。

私は、この体験から不思議な程に生きる勇気が与えられました。

 

12 …  私はイエス様を偲べる大切な月だと思って過ごします。

2000年前に 十字架で亡くなられたイエス・キリスト。

現代に生きる私達に沢山のメッセージを残しました。

 

クリスマスはプレゼント交換やケーキを頂く事も楽しいし嬉しいですが、イエス・キリストを想う日としても大切な一日として見詰めてみてはいかがでしょう。

 

イエスが願った愛の世界を…          ~祈り~

 

 2015年 11月

 1月3日(文化の日)。東久邇宮文化褒賞を受賞致しました。
秋日和に恵まれた、東京の京王プラザホテルにて式典が開かれました。高松宮賞、秩父宮賞と共に三大宮賞と親しまれている「東久邇宮文化褒賞」。この賞を賜った事で私の人生の大きな機転になったように思います。

振り返れば、25歳の時の大病によって人生を見つめる意識が変わっていきました。
何の為に生き、どこへいこうとしているのか? そんな人生の迷いから迷宮へ入っていく期間が続きました。

  もともと美容師だった私でしたが、現在は皆様の健康相談やら、人生の様々なシーンで迷っていらっしゃる方々にカウンセリングもさせて頂いております。
そのような歩みが出来るのは、やはり、私自身が健康を害し、精神の苦しみがあったからこそ自分自身と向き合い、その痛みが、私自身を育てたのだと思います。
人生の中で不幸と思われる事が、実は大きな人生の転換期の発見の時なのかもしれません。「ピンチがチャンス」

私の回りには人生を共に生きる友達が沢山集っております。私は以前から、サロンで出逢った方々を、お客様ではなく、「お友達」としてお付き合いをしていきたいと思ってきました。小さいお子様であろうと、お年を召された方であろうと。その思いは、前身のラディアンス美容室の開設の時から一貫して変わっておりません。 
私の人生に関わった方々は全てご縁。私自身を育てる、大切な大切な天からの贈りもの。

人生は全て人間関係だと思います。悩みも苦も喜びも人間関係から始まります。
どのような人間関係を築くかは、自分次第。

私は、このサロンを窓口に、少しでも皆様の人生が豊かな人生として彩られていく創造のお手伝いが出来たらと心から願っております。
今回の受賞を通じて、今迄の様々な歩みを評価頂いたと本当に嬉しく思っておりますが、ただそこには今迄ご縁を頂いた皆様との出逢いがあってこその受賞です。

私と出逢って下さった全ての皆様に心からの感謝を、この場をお借りしてお礼を申し上げます。

【本当にありがとうございました。これからもどうぞ宜しくお願いいたします。】
                                   小熊久美子

2015年 10月

秋桜が美しく日差しを浴びてうららかな秋晴れを演出する季節。

私はこの季節が大好きです。

そして私の人生に大切な氣づきを与えてくれた季節でもあります。

 

その象徴として秋桜の花が私の人生の支えになりました。

根をしっかり張りながら晩秋に向けて雨・風に負けず美しく咲いています。

茎は細く、葉っぱは繊細にも関わらず本当に見るものを魅了してくれる花ですね。

そして可憐で有りながら一生懸命咲く秋桜は心の支えにもなりました。

 

「サロンゆりの森」の土台となった「美容室ラディアンス」。

ラディアンスは秋桜の品種。更に【輝き】と言う意味を持ちます。

 

自らも輝き、多くの人達と輝きたい。

そんな想いを込めて命名しました。

現在は「サロンゆりの森」内に「美容室ラディアンス」があります。

今では東北・関西からも美容室に訪ねてくださいます。

更に多くの方々との交流を繋いでくれる場です。

 

私の人生の土台を作ってくれた大切なお花。大切な美容室。

そして次のステップに繋がって「サロンゆりの森」

「サロンゆりの森」は来年の4月で丸10年です。

ゆりの花との出逢いの意識は、また私にとって本当に尊い出逢いです。

 

来年の4月あたりに10周年のパーティーを開催しようと思います。

その時に、大切なゆりの花との出逢いをお話し出来たらと思います。

この「一人言」を読んで下さっている方、是非ご参加くださいね。

 

そして

10月は衣替えの季節であり「神無月」でもあります。神様が出雲に集結して会議を開きますが、私達も、古い衣を脱ぎ捨てて新しい衣に着替えましょう。

聖書にもある聖句  「古い衣を脱ぎなさい、そうすれば天国に入れます。」

そんな言葉を思いだし

こだわり・囚われをぬぎされるよう(*´∀`)♪

サンドバスで温まり様々なメニューで癒されてください。

 

楽しいスタッフがお待ちしています。

10月も宜しくお願いいたします。     (^-^)m(__)m

2015年 9月

暑かった夏とも、いよいよお別れですね。
蜩が鳴き始めて… そして鈴虫の声… 丁子色に染まるススキの穂。
そして秋の収穫の時迎えます。

夏から秋へと~ 季節の変わり目は体調の管理が必要です。
アクティブな夏は何かと体に無理がかかったのではないでしょうか?
いかがですか?

私は最近、腸内フローラに興味を持っています。
とは言っても大病した時から腸の大切さを実感させられています。

「腸内フローラ」はNHKスペシャルで話題沸騰!
 最近では、書店でも「腸内フローラ」に関しての書籍が沢山出ています。

腸内フローラとは、腸内細菌の生態系のこと。
フローラは「お花畑」を意味し、お花畑に様々なお花が咲いているように、腸内細菌が生息しているイメージです。
腸内細菌は約1~1.5㎏。どんな細菌がどれくらい生息しているか、その生態バランスは人によって異なります。

どうやら、病気になるのも、太っているのも、性格も、脳の働きも、実は腸が原因なようです。
1000種類の100兆個に及ぶ腸内細菌が、その鍵を握っているようです。
腸内細菌のバランスがいかに大切か、腸の事を知れば知るほど素晴らしく神秘の世界です。
幸せになる為には腸が要と言っても過言ではないようです。
【幸せ物質】であるドーパミン・セロトニンという脳内伝達物質の前駆体を脳に送っているのは乳酸菌のようです。
そして過度のストレスで腸内細菌のバランスを乱し、それによって「幸せ物質」がうまく合成出来なくなってしまうようです。
たとえば「うつ」の人は腸を綺麗にする事が重要とも言われます。

こんな事から【脳】の健康は(腸)の健康、(腸)の健康は【脳】の健康と感じます。

一日何食食べますか? 食べた分だけの便通がありますか?
たとえば…三食ならバナナ3本の排便といわれます。
お通じが悪い方は、ご相談くださいね。

この九月、皆様が初秋を楽しめるようサポート致します。
皆様が爽やかな九月を過ごせますように… m(__)m

2015年 8月

 先日、遠方から来られたお客様が、高田公園の蓮の花を観賞し驚いておられました。「ここまで沢山の蓮の花は圧巻ですね!」と。東京・金沢・長野・神奈川・茨城・岩手から来られた方々が口々に語られました。

 

白蓮・紅蓮  高田公園の蓮の花は世界でも有名な咲き方らしいですね。

この二つの色合いが珍しく白と紅のコントラストと16ヘクタールまで広がる、美しい蓮の素晴らしさは東洋一と言われています。

満開の時期を終えても次から次へと花をつけ、一花の寿命は四日です。

 

決して綺麗な水からは咲かず、泥水の中から咲き誇る蓮の花は、人間の人生を示唆しているようですね。

お盆のお花。お釈迦様の美しい蓮座がイメージされます。

そして蓮の花は非常に霊格が高いと言われています。

心を浄化してくれる蓮の香りは、10キロから15キロも香りが漂うと聞いた事があります。

お盆のこの季節は、誰もがご先祖様に手を合わせ感謝の想いを伝えながら偲びます。

受け継がれていく生命の営みを感じながら、改めてルーツに感謝したい季節ですね。

 

この蓮の花も先人の知恵。

明治初期飢餓で苦しむこの地の人々を救う為に、保坂貞吉さんという方が蓮根の栽培を始めました。そのお陰で、現在は食する為の蓮根でなく私達は美しい蓮を愛でる事が出来るのです。

感謝ですね。

 

蓮の花言葉は〔神聖・沈着・休養〕です。

 

蓮の季節もわずかです。どうぞこの私の一人言を一読された方は高田公園の蓮の花を散歩でもしながら風情を楽しんでみてください。そして御自身と向き合う時間として設けられたらいいですね。きっと日々の喧騒から解き放たれ素敵な自分と出逢うでしょう。

私は早朝散歩しながら蓮に沢山の英気を頂いております。

  

今日も蓮のエネルギーを頂きました。 

         

まだまだ暑い日が続きます。

どうぞご自愛され残された夏を楽しんでくださいね。        m(__)m

2015年 7月

美しい紫陽花の季節を迎え高田公園の蓮も咲き始めました。

 

私は朝の散歩で、移りゆく季節を味わいながら植物の優しいエネルギーを感じて爽やかな一日の出発をしています。

 

自然と向き合う事で失われた意識を取り戻す術を発見します。

各々の植物の調和のエネルギーは本当に素晴らしいですね。

 

紫陽花は様々な色合いを映し出し人の心の有り様を示すかのように、その時々の花弁の色合いに惹かれます。

たとえば今日の私は白い花弁。「純粋無垢」でありたいのですね。

昨日の私の惹かれた花弁はうすい色合いのピンク色。

「優しさ」生活の中で優しくありたいのですね。

一昨日の私は紫色にヒットし霊性()を清めたいのですね。

 

紫陽花の花言葉は【移り気】と現されていますが、私の捉え方は、その時々の感じた私の心を見詰める、梅雨の季節をサポートしてくれる花なのです。

梅雨の季節は盛夏を迎える前の植物達が雨で英気を養う季節です。

高温多湿のこの季節は、私達人間にとってうっかりすると心身の不調も招きかねません。

けれど植物達は、自然の摂理に準じて生きるために、人間の内在されたセンサーを立ち上げなさいと教えてくれています。

季節を味わって楽しい日々を送りましょうね。

 

来月は優しくピンク色に咲く蓮のお話を致しましょう。

 

ちなみに

 

サロンゆりの森の【サンドバス】のエネルギーの周波数は植物の精妙な波動と同じです。

ですから子供から、お年寄りまで大丈夫なのです。

 

優しいエネルギーに包まれにいらしてくださいね。

2015年 6月

六月を迎えましたね。

お元気でいらっしゃいますか?

 

梅雨の時期を迎えます。夏の日照りに備えての自然界の摂理ですね。

紫陽花の美しさにも魅了される時期です。

環境に振り回されることなく楽しんで梅雨の季節を越えて参りましょう。

 

今、世界的にも日本においても、火山の噴火や地震で、何か変動の時のように感じます。

 気象は=気性というように、私達の人類意識の反映と考えたら本当に一人一人の意識の変容が大切ですね。

 

因果応報 

そんな言葉があるように、私達の身の回りで起こる全ては原点回帰に目覚めさせてくれる出来事として受け取っていけたらと思っています。

 

人間は素晴らしい能力を備えておりますが、梅雨の季節に咲く、あの紫陽花。  いくら素晴らしい能力があっても、この紫陽花という生命を作り出す事は出来ません。

私たち人間は、人知は不完全である事を知ってこそ、人智を越えた領域に扉を開く事が出来るのでしょう。

不可能を可能にする力があるとするなら、美しい紫陽花も創造出来る素晴らしい人類だったのかもしれません。

 

美しい自然界を楽しみながら、様々な出来事があるからこそ、イマジネーションの世界を最大限に活用しながら六月も楽しんでまいりましょう。

 

心身のケアも忘れずに、癒しの空間「ゆりの森」でお待ちしております。

2015年5月

妙高山の残雪も少なくなり、跳ね馬も飛び立ったかのように姿が見えなくなってきています。

 

 やっと暖かくなって参りました。年間を通じて日照時間が少ない雪国にとってこの季節が天国のように感じます。自然と一体になる事も大切な健康管理なのかもしれません。太陽の暖かさをを肌で感じ、新緑と色とりどりに咲く花の美しさの中で過ごすと、心身が蘇ってきます。心の声に従って感じてみてください。

そういえば、この時期は五月病にかかりやすいといわれていますが、この季節はやはり心身の調整を計る大切な時期なのかもしれません。

 

 ゆりの森では、「ゴッドクリーナー」というデドックスマシーンが入りました。

沢山の方々が体験されています。足は第二の心臓ともいわれて各臓器の反射区があります。 身体に溜まった汚れを足からバキューム。サンドバスで代謝を上げてから体験されると、信じられないくらいに汚れが出てきます。

 

国立予防衛生研究所の実験リポートによると、便秘で三日溜まった人間の便を液体化してネズミに注射すると、ネズミは不調になり、四日以上たって出た便は猛毒の状態で、微量の液でネズミは即死したという報告です。

 

この結果でお分かりのように、溜めるのではなく排出しなければ大変です。

様々な臓器にも負荷がかかるのも当然でしょう。

 

 私達の大腸は便を排出したりする大切な臓器ですが、それだけでなく様々な酵素を造り、ホルモンを造り、カルシウムなども製造する…長さでいうと6~7メートルもある巨大な臓器。この腸を美しくすると何だか気持ちもよくなります。

そう!  何よりも頭がスッキリするようです。

私は、超能力が目覚めるように感じます。()

実は【超能力→腸脳力】ではないかと思います。第二の脳と言われている腸は脳と繋がり、働いてくれているのだと思います。腸がスッキリすると大切なパーソナルコンピューター()が気持ちよく作動するのでしょう。

 

何だか、大脳の形と腸の形、似ていませんか? (^-^)

 

又、沈黙の臓器といわれる、膵臓・肝臓。そして腎臓。

春は、冬の間溜まってしまった体内の毒を一生懸命排出しながら、各々の臓器と連動し、働いてくれている、この{臓器さん達}に、少し心を向けて上げて下さい。

 

爽やかに過ごしたい季節です。 ゆりの森で、爽やかな心身を手に入れてください。

5月も優しいスタッフと共にお待ちしています。

   ♪~♪~♪m(__)m

2015年4月

かぐわしい香りの花便り~春を満喫し桜を愛でる季節がやって参りました。

   昔の人々は桜の木には「サ神」という山の神様が宿ると信じていたそうです。一年の豊作を桜の木の下でお酒を供えて祈り、そのお酒を頂いた風習から、お花見がはじまったとか。

 

平安時代の貴族の優雅な遊びとして広まった花見は江戸時代から庶民の楽しみとして広がりをみせたようです。

  

  日本の国花といわれている桜。

桜全線がゆっくり北上しながら春の来たことをしっかり伝えてくれます。

 

桜の季節になると自然界の素晴らしさをつくづく感じます。

 

共に咲き共に散るといわれる桜は日本人の武士道を現すともいわれてきましたが、その時代のいさぎよさ…なのでしょうか。

しかし現代に生きる日本人は、その時代の意識背景とは変わってきています。今必要とされている日本人への意識は共存共栄なのかもしれません。

   今の日本全体の課題。少子化・老人介護・病気の看護・経済・政治。

それぞれの心の窓で感じる今の日本の情勢。

 

 

 桜の花が、何だか私達の生き方を示唆しているように思います。…美しく咲く桜のように共に生き共に咲き誇るそんな人生を楽しみたいですね。

 

 花冷えの季節です。お体をご自愛しながら桜を愛で楽しんでください。

 

  4月も宜しくお願いいたします。

         m(__)m

2015年3月

春の喜びを感じる季節がやって参りました。

猫柳・山桜・カタクリ・ふきのとう・つくし。

大自然の恵みに心から感謝する季節です。

 

幼い頃は雪解けの土から覗くふきのとうを採るのが喜びでした。

そして母から作ってもらう山菜料理が懐かしいです。

 

私はつくづく森の山の恵みの中で自然と共に幸せに暮らし生きてきたのだと今更ながら実感致します。

 

たまに都会に出ると私の心が萎縮するのを感じます。

自然と隔離されたストレスの多い都会の中で生きている人々は、その環境が当たり前になってしまっているのかもしれません。

太古の昔は、森や山や海やその自然界の中で共に幸せに生きていた人間。

けれど生活するために大量の樹木を伐採し動物や植物と共存する優しい心を忘れてしまったのです。

大自然の中で生きていた人間は、自らの手で自然の森を消失させ、自然を尊ぶ心を失くし、お金が全ての社会に変化させ、物の豊かさより、心の豊かさが大切なことを忘れてしまいました。

心の歪み、体の歪みは、私達人間が作ってしまいました。

どこから立て直したら良いのだろうと思います。

私はいつもこの季節がやってくると思います。

春の喜びを感じながら、芽吹きの勢いに負けないように自然と調和出来る心身を育てていきたいと思います。

 

春はデトックスが必要な季節です。冬の固まった体を楽にして心身の汚れを洗い流しましょう。

この季節は特に、ゆりの森をご利用くださいね。

 

楽しいスタッフと共にお待ちしております。 (^-^)(^-^)v♪

2015年2月

立春を迎えました。
待ち遠しい春がやってまいりますね。

雪国にとってどれ程待ち遠しいことでしょう。
とは言え、3月迄は雪に対してまだまだ油断が出来ません。

先日、仕事を終えて帰宅しましたら玄関が雪の山でした。
直ぐに消雪パイプのスイッチを押して水を出しましたが中々消えませんでした。
仕事を終えての雪かきは、大変ですね。
又、朝起きた時に雪の山は本当に喜べません。喜ぶのは子供くらいです。
大人の事情がわからない、幼い頃の私もそうでした。
雪は春の田畑を潤し私達の生活に必要な水を供給して頂く天からの尊い恵みです。
田舎で育った私は雪どけの水の流れる音を聞くのが大好きでした。
雪があるからこそ春の喜びを感じるのもひとしおです。

冒頭で、私の自宅の庭の雪の山のお話をしましたが、実は次の日、私はいつもより
早い目覚めをしました。朝の雪かきをしなければと思ったのです。
沢山積もったかしら?
そう思って庭をみたら…
雪かきの跡があります。きれいに除雪されていました。びっくり!
なんと、近所の方が雪かきをしてくださっていたのです。感動と感謝でした。
また義理の母の話によると、ディサービスから帰ってくると車庫の前の雪かき、
又、玄関に車椅子が入れるように雪かきがしてあったりするのですが、
それは向かいのお宅の方と、後ろのアパートの見ず知らずのおじさんが雪かきを
してくださっていたそうです。…
本当に有り難い事です。我が家は足の不自由な姑さんと私。主人は今、東京です。
冬の雪かきは主人がいないときなどは大変です。

私は本当に嬉しくて、春は暦の上だけと思いながらも、この御近所さんの優しさ
に春のような喜びを感じました。

支えあう喜び、人の温かさ、困った時こそ実感します。
いつもこのような足元の感謝に触れられる心でいたいと思いました。

誰かに贈る優しさや労りは誰にでもあるはず。

穏やかな優しい春の喜びを感じられるように人生を
過ごしたいものですね。
                                       m(__)m

2015年1月

新年明けましておめでとうございます。

 どんなお正月を過ごされましたか?

 【幸せに過ごせますように…】と誰もが願うお正月。

私も初詣をすませて本年の想いを心で語り、願って参りました。

 

 ~祈り~

ご存知ですか?

 

祈りとは「意乗り」である事。

「意」を「乗せる」と言う意味が「祈り」

私の“意”を“乗”せる。

 

明確に意を表す事が、祈り=意乗り

「具体的な祈り」

日本語の素晴らしさ、明確さが一つ一つの言葉に表されて

感動を致します。

 

まだ、「祈り」をしていない方がいらっしゃいましたら、

近くの神社・仏閣、ご自宅の神棚、あるいは仏壇に手を合わせて

祈ってみてください。

手を合わせる習慣が希薄になった昨今。せめて一年に一度位は手を

合わせたいものですね。

その手の現れが感謝を表す何よりもの礼節なのかもしれません。

その誠実な思いが天に届くのでしょう…。

祈りは「意乗り」が明確であればあるほど叶うと言われております。

どうぞよかったらそのように祈ってみてくださいね。

 

 本年も皆様の心身の健康とご多幸を意乗ります。

 幸せの花咲く年になりますように。

            

 

                   祈り(合掌)

2014年12月

~聖なる月~

世界で大きなイベントといえばクリスマス。

イエス・キリストの誕生日です。

クリスチャンではない人々も、この日ばかりは大いにはしゃぎ楽しみます。

 2001年の6月、私はイタリアのアッシジに旅行をしました。

丘に登る道がななめについており、フランシスコ大聖堂の下に延びています。

それから、大聖堂前の広場へ出て道はかなり急でした。対面にクララ大聖堂が建っています。

アッシジは日本でいうなら門前町のようです。特にヨーロッパ、そして世界全土から信徒たちが巡礼に来るところです。

可愛いお土産屋さんが立ち並んだ小さい小高い丘の静かな町は、12世紀に

タイムスリップしたようにさえ感じました。

ウンブリア平原を見渡しながら、生涯をイエスと神に使えた修道士・修道女の

終の住みかとして素晴らしい祝福を得た美しい地に、思いを馳せました。

燕が飛び交い、朝も夕方もコバルトブルーの美しい空。

私はクリスマスになるとアッシジのフランチェスコとクララを思い出します。

裕福な商人の子として生まれたフランチェスコ。貴族の娘として生まれた

クララ。二人は若くして修道者の道を選択します。

そして貧しい居頓生活の中で生涯を終えていきます。

 

私は25才の時に不思議な体験をしました。夢か正夢か…幻か…現実か。

それは、私が今までの人生の中で一番苦しんだ時期でした。

朝方の蒼い時に…体験が起こりました。

眼前に広がるコバルトブルーの空は、懐かしく、切なく…。

そして心の底から、震え上がるほど優しい声は天と地から聞こえてきました。

 

「もう泣くのはお止め…あなたが泣く前からわたしも泣いていた、

そしてあなたが苦しむ前からわたしも苦しんだ。あなたがいるまえから、

わたしはいた。だからもう泣くのはお止め、あなたは私と共にあるのだから…」

 

ハラハラ涙を流しながら、何時間も泣き続けました。

その不思議な体験が終わった後は…

今までの人生の価値観が全て変わってしまったようでした。

 

私はクリスチャンではありません。何かを堅く信仰しているのでもありません。

なのに、何故私にこんな体験が起こったのか…とても私の人生に意味深いもの

となりました。12月になって当時の,この体験を思い出します。

私の魂の誕生月なのかもしれません。

 

“クリスマス”  ホーリーナイト(聖なる夜)の日の意味を、

  少しだけでも考えてみませんか?

  …愛を分け与える日…

 聖人を偲びながらクリスマスケーキを頂きましょう!  

 

                                 メリークリスマス♪

2014年11月

雪の振る前は、寒暖の差が激しく体調も崩しやすいですね。

私は久し振りに風邪をひいて数日寝込んでしまいました。
日々の生活を生き生きと楽しむ為には体調管理が絶対必要です。当たり前と思って
いる事が、健康でないと出来ない事が沢山あります。
今回はちょっとした風邪でも、心身が健康であることが何よりも大切で感謝である
ことを改めて感じました。
    
11月14日は、{世界感謝の日}として表わされております。
実は、私はこの日を前に倒れてしまった事で、本当に感謝とは何なのかを考えさ
せられました。「感謝」といっても何に対しての感謝か、さまざまにあります。
「感じて→謝る」「お陰様→お陰に感謝」陰の存在に感謝。
改めて日本語は素晴らしいと感じます。

お陰様とはマクロ的に表現をしたら…本来神仏への感謝。神仏、大きくいえば
宇宙に守られたおかげで健康に生きているという意味です。
又、ミクロ的に表現をしたら…人は一人では生きられません。家族・友人・会社の
仲間。相手があって生きているもの。誰かのお陰で生きている。
マクロもミクロも同じ全ての存在に感謝であることと繋がり絆を感じます。

私は今回特に強く感じた事があります。それは繋がりに感謝だという事でした。
私がまず心身が健康でなければ、全ての繋がりに様々に影響を及ぼす事。
当たり前の事ですが…いわゆる、心の健康。
そして、身体の健康は…地球生命の大自然の健康に繋がるのです。
当たり前の事でも心の底から感じていない事が沢山あった事に氣づきます。

  この11月14日{世界感謝の日}をきっかけに、皆様もしっかり感謝
 という言葉の意味から自らを見詰めてみませんか?
この世知辛い世の中、面白くないこと、腹のたつことも多いでしょうが、
不満さえ感謝に変えられる心を育てたいと感じます。
風邪をひくのも悪い事ではないですね。私の心の奥深いところで氣づきを教えて
くれました。

  疲れが重なりマイナーな心をひっぱったかな?と感じたら…私の細胞に
「ごめんなさい」を伝えます。そして「氣づかせてくださってありがとうござい
ます。」と、風邪をひいた私の心身に伝えます。そう祈ると…何だか穏やかに涙が
溢れて、病んだ心身に、元気の“氣”を取り戻していきます。
こんな足元の氣づきを通して、私は今回の風邪に感謝しました。

感謝は周りに溢れて満ちています。当たり前のような氣づきが感謝に変わり、人は

人に、そして全ての生命そのものに優しく
なっていくのでしょう。
そう地球生命そのものにも…そして明らかでない神秘の宇宙の
存在にも…

本当に、痛みも喜びも感謝の出来る心を育てる尊い出来事。ですね♪
深まり行く秋に、少し自分自身の心を覗いてみませんか?

2014年10月

金木犀が香しい季節です。

香りで癒され、秋晴れに癒されます。

私の最も大好きな季節がやって参りました。

深まりゆく秋の気配と共に内側を内観出来る季節です。

 

先日、私の大好きな秋桜高原に行って来ました。

秋の風に揺れる秋桜は、少しの強い風にも寄り添いながら美しく咲いておりました。

秋桜高原には沢山の人達が来られておりました。

親子連れ、老夫婦、カップル、友人、兄弟姉妹。

 

人は各々に物語があって、この一瞬に様々な出来事が繰り広げられている…

私はそんな想いの中で、綺麗な秋桜と人々を見つめていました。

  

出逢いと別れ。

先日、長年のお客様を見送ったばかりでした。

「春夫さん・純子さんありがとうございました。特別な事は何も出来なかったけれど、お二人との想い出が大切な宝です。」

秋桜の高原で祈りを捧げました。

 

生まれてから生命を閉じるまでどれだけの方々とお逢いするのでしょう。

私は改めて、今のこの仕事に感謝を致しました。

そして胸に立ち上がる熱い想いは何なのでしょう・・・。

 

お二人のお客様とのお別れは、私に沢山の気づきを与えてくださいました。

秋風と共にお別れしたお二人に改めて感謝を贈ります。

「お二人の笑顔を忘れません。ご家族の皆様と知り合いになれた私達を見守ってくださいね。ありがとうございました。」

 

ゆりの森で出逢ったお客様(このサロンで友人になった皆様)が、温かくおくって下さいました。

 

                        ~祈り~

2014年9月

残暑が残りつつも暑かった夏を見送りながら初秋を感じるこの頃です。

9月2日は父の月命日です。
毎年この日は同じ空気感を感じて父を思い出します。15年前、残暑を感じながら、芒の穂と、優しく咲く秋桜が父を見送ってくれました。

これだけの歳月を経ても父の面影は鮮明です。
「逢いたいな。もう少し長生きしてくれていたらサンドバスに入ってもらえたのに…」毎年やって来る9月の命日に父の写真の前で思います。
でも先日の命日に私の内側にやって来た想いは少し違っておりました。

 霊前での祈りは…「お父さんの痛みは私のいたみ。お父さんも私も、切ない病気を体験して辛かったけど、私がこのサロンを勇気を持って立ち上げる事が出来たのは、様々な心身の痛みを体験したからです。ありがとうございます。天にいるお父さん、私を応援してくださいね。多くの人達が沢山の心身の痛みを感じています。少しでも、お客様に寄り添いながら楽にして差し上げられるように、私と私の元にいるスタッフも共に見守っていてくださいね。そして多くの人々が癒され生きる価値を見出だせますように。お父さんの痛みの体験を共有出来た事に感謝いたします。そして本当にありがとうございました。…」

  私達の命…
どうやら10代さかのぼると1024人の先祖(両親)の下に生まれてきているようです。(凄い数です。)
誰が欠けても私がいない。
その尊い生の誕生の軌跡がかけがえのない父母との出逢いの奇跡をうみ、育みます。
  私は再度、霊前で祈りました。
9月2日
 「お父さん愛しています。」

お盆が過ぎ、まもなくお彼岸を迎えます。

自然災害を含め、様々な事件。人の心が世の中の幸・不幸をうみます。
どうぞ、私の人生の幸せも祈りながら、世の中の人達の幸せも祈り…命を繋いで下さった多くの先人の皆様に感謝の想いをおくりませんか?

9月は優しい祈りの月になりますように…

2014年8月

暑い夏を迎えておりますね。お元気でいらっしゃいますか?

本年の夏は格別に暑く感じます。  極度に冷やした室内から外に出たとき灼熱のような暑さ。このようにして私達の心身は外気温差からくる自律神経の狂いを生じはじめます。そして、しらない間に健康を害してしまいます。

更には冷たい飲食のし放題…など。

私達の体は疲れはてているはずです。

 夏こそ労りを持って心身のサポートを心がけてください。

「夏だからサンドバス!」とミストサウナに貼らせて頂いておりますが、それを読まれて、実際にお客様の一日二回の入浴が増えております。

どうぞ、体験されてみてください。

本当に体が楽になり爽やかな体の軽さを感じます。私も体験致しました。

 更に私は現在努めて心身のケアの為にしている事があります。

 実はニュースキャンというロシア製の機械による心身のメンテナンスです。

この機械は本当に目から鱗です。

ロシアは国家予算の80パーセントを軍事予算にかけると言われております。

このニュースキャンは、最初は軍人の為に開発されたと聞きました。

しかし今では宇宙飛行士の為にも活用されながら民間に導入され、日本では、薬局やエステ、鍼灸師、モチロン病院にも浸透しています。

 サロンゆりの森に数年前に導入しました。

ご愛用くださっているお客様が沢山いらっしゃいます。

本当に心身のケア~又は病んでいらっしゃる方々に好評です。

 詳細は、ゆりの森のスタッフにたずねてください。フロアで詳しくご紹介致します。

 私はこの素晴らしいマシーンで夏バテにならずに、爽やかな健康生活をおくっています。

 心身の悩みは一人で抱えず、お気軽にお声をかけてくださいね。

 時にはリラックスして委ねてみることで、大切な出逢いが待っているかもしれません。

   八月も宜しくお願いいたします。

2014年7月

庭に薄紫の紫陽花の花が咲いております。名は【ミセスクミコ】という品種。
この紫陽花は三年前に義理の母にプレゼントしたものです。

義理の母が鉢から庭の土に戻してくれました。今ではしっかり根を張り、株が沢山増え始めています。通常の紫陽花よりは根づきがよくありませんが、義理の母は一生懸命に育ててくれました。

そんな義理の母の姿をみて、私も実践をしました。
昨年12月、スタッフの黒沢から可愛いシクラメンの鉢を誕生日に貰いました。
実は冬を越えて春先は枯れ始めていました。
南の窓辺に置いたのですがドンドン枯れていきました。
通常は日光と適度の水と暖かさが必要です。
余りにも枯れていくので、私はあえて北向きの窓辺に置いてみました。
すると…どうした事でしょう。当然季節外れですので、花は咲いていませんが、枯れた葉っぱが生き生きしはじめたのです。 そして蕾をつけ始めたのです。今では可愛い花を咲かせています。
本当に小さな蕾から小さい花を咲かせました。 私は凄く感動しました。
後でシクラメンの育て方を調べましたが、やはり、日差しが必要で、私の育て方は、そのノウハウとは完全に当てはまった内容ではありませんでしたが、この季節外れに咲いてくれた事に単純に感動しました。

よく何を育てるにも愛情が必要と言われますが、わたしがした事は届けてくれた黒沢を思い出していた事です。私は業務以外でスタッフの黒沢を“育代ちゃん”と呼んでいます。

このシクラメンの名前を育代ちゃんと名付けていました。可笑しなもので名前をつけると更に情がいくものです。不思議ですね。

特に縁のある名前をつけたりすると、想いがその方に届くのかもしれません。

紫陽花は切り花も、中々水の吸い上げがもたなくて枯れやすいのですが、私の庭先で咲く【ミセスクミコ】をサロンに二輪持って行きました。この紫陽花も感動です。しっかりと長持ちして咲き続けています。
クミコは私の名前だから、私自身が想いいれ、愛情深く見守っているようです(笑)

二つの、お花が氣づかせてくれた愛情。
人間関係も大切に育みたいですね。
七月も宜しくお願いいたします。m(__)m

2014年6月

季節は梅雨の時期に入りました。本格的な夏を迎える準備ですね。

雨にうたれて紫陽花も美しく咲き誇ります。

ツバメは田畑を美しく旋回しながら巣造りを終え子育てに入っています。

ちなみにツバメの巣は外装工事に三日、内装工事に三日かかり約一週間で完成致します。

それにしても、土を張り藁を差し込み見事な建築やさんであり左官屋さんです。
しかも巣を作る場所は民家の軒下を選びます。
私は幼い頃、生家の軒下に巣を造るツバメを一日飽きもせずよくみていました。
子どもの頃は探究心が旺盛ですからね。

母からこんな事をよく耳にしました。
毎年やって来るツバメは生まれた郷里を覚えているし、帰って来て巣づくりをすると…。又、ツバメは運気を運んでくれる鳥であり、巣を作ったら、その家は一年間は安泰の象徴だと聞いた事があります。

雛は夏過ぎまで、はばたきや旋回や餌の取り方の練習をして親鳥と過ごし、越冬は、長い距離を飛びながら東南アジア迄飛んで行き、また帰ってきます。
きっと天界の星々からも応援を貰って郷里に帰ってくる渡り鳥なのでしょう。

ツバメだけでも観察すると不思議な位に感動致します。
その鳥に刻まれた生命を維持する設計図(DNA)に感動致します。
ツバメの生態ひとつ取っても「神様は凄い!」と、一人で感動しています。

「神様」と口にしただけで宗教と思われる世の中ですが、私はこんな足元から神様の存在を幼い頃から信じてきました。

今日は休日の朝…
大人になっても今もなおツバメを観察しつづけている私がいます。

素直に私達人間の座標軸というものを発見したいものですね。 燕尾服のツバメに敬意を抱きながら…

6月も宜しくお願いいたします。m(__)m

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